敗者復活ってなんだ?
あけましておめでとうございます。
top画像は私の実家からの景色です。
こうやって改めて見ると、とても自然豊かな場所で幼少期を過ごしたんだな、と懐かしく思います。
家の近所の踏切
2年ぶりに実家に帰省しました。
私には弟が3人いるのですが、今回の帰省でそれぞれのパートナー(配偶者、婚約者、彼女)に会えて、一気に妹が3人増えたようで嬉しいような、こそばゆいような、不思議で幸せな感覚を味わえました。
3人の弟のうち、一番下の弟は私と11歳年が離れているのですが
今回の帰省で、彼の著しい変化に驚いたことを書きたいと思います。
末弟は大学在学中に国指定の難病に罹患し、余儀なく退学しました。
安倍元首相と同じ病気で、現在のところ完治させる治療法はありません。
私は彼が当時7歳の頃から上京して実家を出ているので、彼が一番病気が深刻だった頃を詳しくは知らないのですが、20代が始まったばかりで完治しない病との戦いが始まってしまったことを考えるだけで未だに胸が痛みます。
大学は中退。その後も治療に時間を要した為、通常の正規雇用での「就職」は叶いませんでした。
彼の社会人スタートはアルバイト。カフェの店員。
私自身が超氷河期に社会人になったこと、非正規雇用から正規雇用へのハードルの高さ、また年齢差別とも言える労働市場の厳しい制限、などがずっと頭にあったので、働き続ける上ではアルバイト以外の選択肢を選ばないとその後が大変になるのに…と密かに心配していました。が、私自身も海外駐在や育児などで自分のことだけでも精一杯でしたし、ただでさえ病気で辛い思いをしている弟に残酷な現実を伝えることがプラスになるとも思えず、本人に直接伝えることができないまま10年近くが経ってしまいました。
弟の淹れてくれたカフェラテ。これは失敗作らしいw
そんな姉の心配をよそに、弟は自分でちゃんと道を切り拓いていました。
この約10年で、彼はカフェのアルバイトからコーヒーの魅力を知り、師匠と呼べる人と出会い、コーヒー豆の産地、アフリカのルワンダまで行って「もっと地元に美味しいコーヒーを広めたい!」と自分の店を持つところまで漕ぎ着けました。
コーヒーの知識や技術の取得だけでなく、土地の購入から、その土地の転用、契約関連、銀行への借入、店の経営オペレーションなどなど、これまでも多岐にわたるチャレンジやハードルがあったことと思います。
様々な方々に協力いただきながら、それらを一つ一つ乗り越え、近々自分のお店をオープンさせます。
来月末オープン予定のお店にて。エスプレッソマシンに興味津々な息子。
長時間の移動も辛かったはずなのに、持病を抱えながら衛生環境がとても良いとは言えないアフリカのルワンダに1人で行ったこと、そこでの出会いから彼の人生の目的が明確になったようです。
11歳も歳が離れているので、ついつい彼のことは「小さな弟」扱いをしてしまっていました。なので、カフェをオープンさせると最初聞いた時「え?!大丈夫なの?」の心配の方が実は圧倒的に強く…。しかし、今回久々に会った弟の眼差しには、記憶にある「小さな弟」の面影はありませんでした。
自分が扱うスペシャルティコーヒーやそれらの豆の特徴、コーヒーの面白さを生き生きと語る弟の様子は、それまでの姿からは想像もできないほどポジティブなエネルギーに溢れていて、完治しない難病に罹患している人物とはとても思えないほどでした。
私がProject MINTのインパクトデーで発表したスライドの表紙
私がProject MINTのインパクトデーで発表したテーマは
「敗者復活戦が当たり前にー 一人ひとりが社会に必要なピースだと実感できる社会」
過去の記事でも少し触れましたが、
私はキャリアチェンジや約10年の専業主婦期間を経験したことで「社会のレールから外れてしまった」感覚と劣等感を感じながら、キャリアの再構築を目指してきました。そもそも社会に出るタイミングが就職氷河期だったり、何かしらの事情で離職を経験したり、非正規雇用から次のステップに困難を感じたりする人達の「再挑戦」へのハードルの高さが、私が特に解決したい社会課題だったのでこのテーマを選びました。
一つのレールに残り続けることで勝ち負けが決まるわけでは無いですし、このテーマを最初発表した時にも「敗者復活戦」のキーワードに対して「そもそも『敗者の定義』は何?」とコーチや同期達からも聞かれました。
私は、子育て等で離職した女性達だけではなく、弟のような病気療養や家庭の事情など、様々な事情でキャリアの再構築に苦戦している人達が今の社会には多数いると感じています。少子高齢化や労働人口の減少など、解決すべき課題が目の前にあるのに、年齢や性別、学歴、専門性、など、企業側から求められる条件は「再挑戦」したいと求職者が思っても、挑むには高すぎるハードルで、その高さは歳を重ねるごとに高くなる一方です。
新卒で大手企業に入れたからその後も安泰か?というと必ずしもそうとは限らないですし、宇宙旅行を実現させた某著名人のように学歴関係なく社会的に成功し億万長者になっている人も勿論います。そして「人手不足」に苦しむ企業側の言い分も理解できます。なので、キャリアの再構築に苦戦している人達を「敗者」と簡単には定義したくはないですし、黒板に爪を掻き立てるくらい不快で居心地が悪いです。当事者本人達も他人から「敗者」と言われたら嫌悪感や反発心から激昂する人もいるでしょう。
「敗者復活」というキーワードに対しては小4の娘からも「勝ち負けを決めるのは他人じゃなくて自分だけじゃないの?」と苦言をもらった程です。
「勝ち負け」では無いことは頭では分かっています。
でも、実際にはそれに近いことは就職活動や入社後に言われ、何度か悔しい思いをしてきました。弟は私とは比較にならないほど苦しい現実と病気を抱えながら戦ってきたと思います。
どうして子どもの頃は「夢は大きく、沢山あって良い」と言われるのに、大人になったら「現実を見ろ、選択肢から選べ」になってしまうのか? 「勝ち組」「負け組」という言葉が頻繁に使われ始める少し前に社会に出た私はずっと違和感を感じていました。
弟の淹れたエスプレッソ。3回かき混ぜるのがミソらしい。最初はプラムの香りがしたのに温度が下がると香りも味も変わるのが不思議。
そんな想いを抱えていたことと、ちょうど自分もパーパスが見つかった直後ということもあったので
「これだ!」という自分軸が見つけられた人はこんなにも輝いて見えるのか
と我が弟ながらその変化にものすごく感動したのでした。
30歳。社会人経験ほぼゼロでカフェの経営者。
きっとこれからも山も谷も沢山経験するでしょう。諦めたくなってしまう瞬間や落ち込むような事態とも対峙するかもしれません。
それでも「不治の病だから…」と人生に絶望して狭い世界に閉じこもるのではなく、行動し、前に進む勇気を持つ弟を、私は心から誇らしく思います。何度でも挑戦する意欲は持ち続けていて欲しい。それこそ「敗者」なんていうキーワードは鼻で笑い飛ばしてもらいたい。
そして、私自身がパーパス「ピースをつなぎ、旅のように人生を楽しむ」の実現を目指す中で、満足のいくキャリアの再構築を達成する。挑戦し、前に進み続ける姉の背中を見せつけてエールを送り続けたい。
その為にも、私はまだまだ頑張るぞ!と弟の淹れたコーヒーを飲み比べしながら心に誓ったのでした。
叔父(弟)の指導を受けて娘が淹れてくれたコーヒー。爽やかな味。
そう言えば…
まだ病気を発症する前、オーストラリア駐在中の私たちを当時高校生だった弟が訪ねてきたことがありました。
とある有名なビーチで海を見ながら弟がボソッと
「僕も◯さん(私の夫)のように将来は世界を繋ぐ仕事がしたいな…」
と呟いたことを思い出しました。
会社勤めのグローバルな業務には就いていないけど、ちゃんとコーヒー豆を通じて世界を繋ぐ仕事を選んでいる。すごいな…弟よ…。
何歳からだって諦めなければ夢は叶う。
それが当初予定した姿とは少し違ったとしても。
脳内お花畑だと言われても、私は死ぬまでそう信じ続けたいです。
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