【You Tube】ゴッドファーザーの動画の原稿【誰も見ぃひん】

という事で今回は言わずと知れた歴史的大傑作映画。
ゴッドファーザーの小説版との比較、解説、ちょっと考察といった事をやっていこうかと思います。
といっても僕はもうゴッドファーザーに関しては何でも聞いてくれよって言うと大袈裟ですけれども
ハッキリ言って何度見たか分からないくらいには見ていますのでまぁお手の物って感じなんですけれども
とはいえ、もう一度小説版を読み返すと、まぁ色々と思うところとか、気付くところもあったりして
やっぱ「ゴッドファーザーマスターへの道は長く険しいな」と改めて思ったりしましたね。

映画版のオープニングは誰でも知っている超有名シーンだと思うのですが、まずここが小説版とは少し違っています。
アメリゴ・ボナセーラのシーンから、というのはその通りなのですが
小説版ではボナセーラの裁判シーン、裁判で負けたというシーンから始まり、ここでボナセーラはこう思います
「ドン・コルレオーネのところに行こう」

そして次にジョニー・フォンテーンが女房と揉めて困っているシーン。更にパン屋のエンツォが困っているシーンと続いて
彼等は一様に「ドン・コルレオーネのところに行こう」と考え、そして映画版ののオープニングに合流します

187ここで特筆すべきはボナセーラが何故冷遇されているのか?という事ですね
「ドンのところより警察に先に行ったからでしょ?」ってのはまぁその通りなのですが
このボナセーラが行った行動というのは、シシリーという場所、及びマフィアという組織の成り立ちに関わっているらしく
マフィアの沈黙の掟、いわゆる「オメルタ」と呼ばれるものは、まず自分達シチリア人を迫害した対象
一般社会、即ち「警察」に対して向けられているものらしいんですね。警察ってのはシシリー人にとって最悪の敵だったと。
コレを聞くとボナセーラが何故このような扱いを受けたのか
ちなみに映画版だとボナセーラの後に色々と面会がありますが、小説版だとボナセーラの面会は最後の最後に回されています
つまり「シシリー人の分際で警察側に立ちやがった」というのは彼等にとってとんでもない話だったりするんですね
しかしドン・コルレオーネはここで彼を赦します。このシーンがこの作品全体を象徴しているシーンだと言えますね。
ドン・コルレオーネは赦し、助ける。結局のところ、ドンは困っている人を助けるんですね。

次は婚礼のシーンですが、ここはまぁ特に言う事も無いというか、細かくやっていくとキリが無いので飛ばします
一つ言えるのは映画版のマイケルは「最愛の息子」って感じですが
小説版だと「俺の言う事を聞かない息子」みたいな感じの扱いで、若干印象が違います

7981そして映画版では存在しない重要シーン。ジェンコ・アッバンダンドが臨終の際にある、というシーンがあります
ゴッドファーザーパート2においてドン・ヴィトー・コルレオーネの過去のシーンが出てきますが
ヴィトーの過去シーンにおいて、ヴィトーと共に成り上がった人間というのが実は3人います。
一人はご存知クレメンザ。もう一人はもちろんテシオ。しかしもう一人が、何を隠そう、トム・ヘイゲンの前のコンシリエーレ
ジェンコ・アッバンダンドなんですね。ゴッドファーザーの物語は実はジェンコ・アッバンダンドというコンシリエーレが
死んだところから話が始まると言えるんです。王の手「ジョン・アリン」が死んだところから話が始まる
ゲーム・オブ・スローンズとちょっと被っている感じしますよね。
ってか普通にゲーム・オブ・スローンズはゴッドファーザーに影響受けてるだろうな、ってシーンちょくちょくある気がします。

まぁともかく、長年の盟友ジェンコが死んでしまい、ドンはその穴を埋める事になる。
そしてその穴を誰で埋めるのか?という問題に選ばれたのが、ご存知トム・ヘイゲン。
トム・ヘイゲンはジャーマン・アイリッシュの家系で、映画版でも「シチリア人じゃない」と言われるシーンが出てきますが
小説版だとこの「シチリア人じゃない奴をコンシリエーレに選んだ」というのが、敵対組織に侮られるきっかけになります

ゴッドファーザーの話というのは古い物から新しい物へと変わる時の軋轢、みたいな構造が非常に良く出てくるんですが
これはその一番最初の「新しいモノへの変化」と言えるでしょうね。
ここから新しいモノの考え方、つまり【麻薬】を取り扱う事に対する考え方でコルレオーネファミリーは苦しむ訳ですが
小説版においてはコルレオーネ・ファミリーからまず変革を開始した、と言えるような気がします

続いてウォルツのシーン。馬の生首のシーンですね。映画版のカートゥムは額に白い模様がありますが
生首の馬は模様がありませんので、多分違う馬だと思うのですが、小説版では紛れもなくカートゥムです。
ちなみにこのウォルツという男は小説版においてはバージル・ソロッツォと対比の関係になっておりまして
118まずウォルツに「金玉ついているのか?」とドンが尋ねるシーンが出てきて、トムは「いいえ」と答え
そして馬の生首と相成る訳なんですが
130一方でソロッツォは「金玉がある」という事で、ドンが差し向けるのはルカ・ブラージという事になります。
ちなみに非常に重要な情報として申し上げておくと、小説版のウォルツはロリコン趣味です。

113 少し話は前後しますが。ボナセーラの依頼を受けて仕事をしたのは裏切り者のポーリー・ガットーです
小説を読んでると「優秀だった」という単語はほぼ裏切りのフラグのようになってたりするのですが
彼はクレメンザの右腕で、頭も切れるし、腕も立つ、マフィアの若頭としては申し分ない人材であり
周囲の信頼も厚い、といったような事が語られているシーンがまずあって、そこからドン銃撃のシーンになります
映画版だとポーリーの嘘風邪を見抜き、というか嘘風邪だと断定し、ソニーは一瞬でポーリー殺害を命じますが
小説版だと「ポーリーかクレメンザのどっちかだと思うが…」という描写が入っていて面白いですね。
この「クレメンザは陽気で頼もしい幹部なんだが、いまいち完全に信用されていないっぽい」という描写は
実は小説版だとちょこちょこあったりして、ここはお分かりの通り、ラストの部分の伏線になっている訳ですね。

131 ソロッツォとの会談のシーンですが、ここでちょっと面白いのがソロッツォはお金が必要だったという訳ですが
もう一つ、ドンの持っている影響力、即ち「万一捕まった場合の刑期の最低保証」が欲しかったというシーンですね
2、3年なら我慢出来ても、10年くらったら黙ってはいられず仲間を売るだろう、と。
その影響力を持っているのが、マフィアの中ではドンしかいなかった、と。
それなのに銃撃しちゃったら意味無いんじゃねぇの?と思ったりもしますが、まぁ最悪金が入ればいいか、って事なんでしょう

ちなみにここで下手すると小説内で最も重要なのでは無いのかと思われるセリフの説明をしますと
このソニーがドンの頭越しに自分の意見を語ろうとしたシーン。
135このシーンに対してトムは「ソニーのコンシリエーレになるのは絶対にゴメンだ」と思うという場面が出てくるんですが
175この「ファミリーの内部に意見の対立がある事を他の勢力に知られるとヤバい」というのは
このシーンだけでなく、基本ゴッドファーザーシリーズを通して貫かれている不文律みたいになっています。
ここでのソニーやポーリー、そして後に出てくるカルロの話。パート2のフランク・ペンタンジェリやフレドの話
全て「内部に意見の対立がある」という部分を敵方に悟られて、そこを突かれるという展開が採用されており
そしてドン・ヴィトー・コルレオーネ、及びマイケル・コルレオーネが徹底して警戒していたのもそこだと言えます。
ただヴィトーの恐るべき人心掌握術のようなものをマイケルは持っておらず
マイケルは恐怖と残酷性によってファミリーを維持せざるを得ず、そこからファミリーが崩壊していく
という事になる訳ですけれどね。この「意見対立を絶対に表に出してはいけない」という部分を念頭に置いて見てみると
ゴッドファーザーのまたちょっと違った楽しみ方が出来るかもしれません

さて、ドンが銃撃されてソニーはもちろんブチ切れなんですが、映画でも一行だけ出てくるセリフですけど
「コレは宣戦布告とかそういう事じゃなくて、単にビジネスなんだ」というのがトム・ヘイゲンの意見
「最近の若いもんの考えている事は理解出来ん」というセリフはあらゆるジャンルに登場しますが
まぁそういう事ですね。ソニーは古いタイプのマフィアなので「血には血だ」となりますが
一歩引いた目線から見ると、ソロッツォの裏にはタッタリアがおり、タッタリアの裏にはバルジーニがいる
まぁバルジーニに関してはずっと裏から状況を操っているシロッコみたいなポジションだという事が後に判明しますが
この時点ではそこまで見通せてはいないにせよ
トムとしては「誰を殺したからといって解決する問題では無く、冷静にならねばならん」と。
ただキレたソニーはタッタリアの子供を殺して戦争が始まってしまいます。まぁ宜なるかな…って感じですけどね。

156157そしてここでもテシオとクレメンザを比較し、クレメンザが信用されていない、という描写が出てきます
まぁこの時点でポーリー及び、その上司であるクレメンザを疑う、というのは当然の事なのでしょうけどね

162 囚われのトム。ソロッツォに「シチリア人で無いお前がコンシリエーレになった事が間違いだった」と言われます
なんか別に普通の事のように感じますけど、よくよく考えたら酷い差別社会ですよね。シチリア純血主義ってやつですか
164言いたい放題言われたトムですが、ここは我慢し、我慢し、我慢し我慢し我慢し
いずれその時がきたら反撃しよう、と、臥薪嘗胆の決意を固めます。419まぁここはちょっと忠臣蔵っぽいですね
ちなみに映画版だと「残酷なチンピラ」って感じのソロッツォですが、小説版だと結構大物感が漂っている印象です

171除け者っぽい扱いになっているマイケルですが「僕だって働ける。戦争でジャップを何人も殺したんだ」と
この辺りの日本人描写ってのは腹の立つ人もいるでしょうが、恐らく今後、全く見れなくなっていくでしょうし
鬼畜米英達の消え行く文化の一つとして楽しみましょう。
ちなみにこの「マイケルは実は海軍で勲章も2つほど貰っている」というような描写は映画だとあまり強調されませんが
小説版だと結構頻繁に出てきます。映画版は「ただのカレッジボーイ」が「マフィアのドン」になる
最初に出てきた時と、最後で、完全に別人にしか見えないというのが史上最強の売りとなっている感じなんで
これは別に構わないと思うのですけれどもね。

あとそれと同様にトムのような外様の人間がコンシリエーレになった事が如何に重大な問題なのか
というような描写も非常に良く出てきます。
ですので映画版はテーマに沿って非常にカッチリと作られている印象ですけど
小説版は結構話が何処に行くのか分からないような、ふわふわした印象があったりしますね。

173 自分が飼っている警官にちゃんとポーリーが裏切り行為をしていた事を確認するソニー。まぁ当たり前でしょう

188 ポーリーの裏切りを知った上司クレメンザ。以前ポーリーが貰っている給料についてドンに掛け合ったが
ドンは相手してくれなかったそうです。
映画版のドンはほぼほぼ完璧な、一種の超人として描写されている感じがありますが
小説版ではちょくちょくこういう描写があり、まぁドンも人間なんだな、みたいな部分が伺えます

そしてクレメンザとしてはポーリーの後釜を考えなければなりません。ここでちょっとマフィア組織
というか、コルレオーネファミリーの構造というものを説明してみようかと思います


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まぁ別段変わった事じゃないとは思うのですが。
一番上にドン。そしてその下に幹部。その下に若頭。その下に下っ端の構成員がおり
更にもうニ個くらい下まであるっぽいです。この構造っていうのはどういう作用があるのかというと
単純に「偉い偉くない」という事ではなく、この階層は完全なる断絶、劇中の表現でいうと「絶縁体」になっており
まぁ簡単な話、警察に捕まった場合、全てはこの階層ごとに処理される事になる、という訳です。

で、話はちょっと飛びますけど、この階層による絶縁体が崩壊してしまったのが
パート2のフランク・ペンタンジェリとのやり取りになっています。
公聴会のシーンでフランクの部下のチッチは「ドンとは会った事も無い」と発言していますが
これが絶縁体の機能。マイケルとしては「こんな男とは会った事も無い」と言う事が出来る訳ですが
パート2では寝返ってしまったのは幹部のフランクであり、これはドンにとって致命傷、となる訳ですね。

で、クレメンザとしては、自分の直下の人間であったポーリーの枠が空いてしまったので
ここに誰を置くか…そこで選んだのは、皆様御存知、ロッコ・ランポーネな訳ですね。え?ご存知で無い?
ロッコはパート2においてアル・ネリと並んでマイケルの右腕として働く人物であり
恐ろしい事に、既に死にかけているハイマン・ロスに対してカミカゼアタックを結構させられた人物です。
死ぬのが分かっている任務に赴かされたという、並外れた忠誠心を持っていた訳ですが
そういう貴重なはずの人材を軽々と使い捨てにしたマイケルの残忍さが際立つシーンになってましたね。
まぁそのロッコが、クレメンザの抜擢により、ポーリーの後釜に据えられ、今後、徐々に頭角を現して来る事になります
ちなみにポーリーを始末したのもロッコです。

214215そして対ソロッツォ問題。トムは繰り返し「これはビジネスなんだ。ビジネスなんだ」と訴えますが
ソニーは聞く耳を持ちません。「ビジネスなんだ」とかいうとなんか軽く聞こえてくるような気がしますがこの場合は逆なんですね。
筋を通す通さないで言うとビートたけしのアウトレイジという映画があって、僕はもう本当に大好きな映画なんですけど
アレは「筋の通し合い」の話で、ソニーとしてはどっちかというとアウトレイジの世界の住人なんですね
でもこれはそういう問題じゃないんだ、と。筋が通ってる通って無いの話じゃなくって、金儲けの話なんだ
だからこそ余計に性質が悪いんだ、とトムは言う訳ですね。即ち「誰を倒せば解決する」って問題じゃないって訳です
でも「あんな連中やっちまえばいいんだ!」と吠えるソニー。クレメンザとテシオはモジモジしています。
まぁようは捨て犬ですからね。誰倒しても、敵は後から後から出てくる事になります。何故なら全てはビジネスだからです。

220カタギのマイケルを襲ったら他のファミリーが一斉にそっぽを向く、という話
こんな事ってあるか?勝手に作った設定なんじゃないのか?とちょっと思うんですが
まぁよくよく考えたらこれをやりだすと、妻とか娘とか子供とか際限なく狙われだしそうですし
この掟はまぁマフィア社会的に普通に存在しているのかもしれませんね。分かりませんけど。

病院の護衛が外されてマイケルが警官に殴られるシーン
246247その後の会話で、何度目かのソニーとトムのやり取りですね。とにかくソロッツォを殺したいというソニーと
これはそういう単純な話じゃないと繰り返し説得するトム。いい加減もういいよ、といった感じですが
そこでマイケルが僕がやる、というシーン。

僕はこのシーンがゴッドファーザーという歴史的名作の中でも一番好きと言えるシーンなんですよね。
ここからのわずか数シーンはコルレオーネファミリーがファミリーとして完全に一つになっていた
紛れもなく彼等はファミリーだ、というシーンになっていて非常に感動的です。
この後マイケルはシシリアに逃げて、ソニーは殺されてしまいますからね。
249このシーンは映画の脚色が見事というか
ソニーのなんとも言えない表情からクレメンザの笑い。そしてテシオの笑いにつられてソニーも笑う
という流れになってて、本当に完璧なシーンだと僕は思うのですが
小説版だと真っ先にソニーが「何言ってんだお前」と笑いながら茶化す感じになってますね
ここは絶対に、映画版の方が良いと思います。何度見ても本当に最高。
251275そしてその表情を見てトムはマイケルを「ドンの化身のようだ」と感じたそうです
252そしてソニーの反応。映画版のソニーはただの乱暴者、みたいに描かれている部分がありますが
小説版だとかなりまともというか、カッコいいというか、なんやかやでいい親分になれるんじゃないのかみたいな
そういう印象を受けますね。ただドン・ヴィトーに比べると格落ちな訳ですが、それはマイケルも同じ事です
そしてご承知の通り、マイケルはソロッツォとマクルスキー警部を殺害しました。

小説版だとここから
12章13章としばらくジョニーフォンテーンの話が続きます
そして14章はゴッドファーザーパート2で描かれている若き日のヴィトーの物語
ここで先程説明した初代コンシリエーレ、ジェンコ・アッバンダンドが登場してきます。
この辺りの話は割と興味深いんですが、パート2の動画でも作って、そこでやろうかな、と思います。

ここで小説の上巻は終わりですので、この動画も切りよく終わりにしようかと思います。

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