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【You Tube】エクソシストの動画の原稿【ホラー映画の傑作】

https://youtu.be/kT0FzC3EE5o

https://youtu.be/lrjtpJfxkHA

【悪魔を信じよ 神を信じる為に】

という事で今回はホラー映画の大傑作。
エクソシストの小説版との比較、解説、ちょっと考察といった感じでやっていこうかと思います

ホラー映画に考察もクソもあんのか?そのまま愉しめばいいじゃねぇか、とは僕も思うんですが
細かく見ていくと結構色んな要素のある、実は物凄く悲しい話だったりするんですよね

このシリーズの究極的なテーマってのは信仰って事であって
信仰故にエクソシスト達は苦しみ、信仰故に悪魔と戦う事が出来る、という事になります

まずこの作品の最重要人物であるカラス神父の作中の立場から説明していきましょう。

この地球の歴史の中で「神の時代の終焉」というのはひとえに科学の発展と切り離せないものであり
科学が発展していくにつれて宗教というものは衰退していく事になった、というのは皆さんもご存知でしょう
それでもまだ宗教というものはONであると考える人達がなんやかやで結構いる訳で
大した信仰心を持ち合わせていない我々のような一般人にはそういう人達は少々奇異に感じる訳ですが

そういう人達の頭の中ってのがいったいどうなっているのか?って考える場合
比較になる人が劇中で3人いると考えられます

一人は当然カラス神父、そしてもう一人はメリン神父。そして最後は影が薄いですがダイアー神父ですね
一番わかり易いのはダイアー神父であり、この人はなんだってお前が聖職についているんだ?って感じで
口を開けばなんだか冗談を飛ばしており、酒と音楽が大好きなお調子者って感じです

で、ダイアー神父のその冗談ってのは信仰や神に関する事柄にも及び
神の絶対性、みたいな事を、恐らく説教の時なんかには口にする事もあるでしょうが
実はそこまで真剣に考えている訳ではない、宗教や神というものを相対的に物事を見ている。
我々から見ると「普通の立場」の神父って感じの人ですね
ようは失うほどの確固たる信仰を最初からそこまで持ち合わせていない訳で
そしてこのくらいじゃないと逆にカラス神父みたいに精神を病んでしまう
みたいな事で、この人は劇中に登場してくるんだと思います。

ちなみにダイアー神父は傑作中の傑作であるエクソシスト3の重要人物になるので見過ごせません

そして逆にメリン神父はこの辺はもう色々と突っ切ってしまって、信仰を失うとかそういう段階にありません
しかしそれというのは、実は過去に悪魔、特に宿敵であるパズズと死闘を繰り広げた事があり
彼は「悪魔の存在によって神の存在への確信、言い換えれば究極的な信仰を獲得した人」
という立ち位置になります

そしてカラス神父は丁度この二人の間、ある種最悪の立ち位置におかれた存在になっています
カラス神父は神父でありながらも心理療法士、実は神父専門のカウンセラーであり
カラス神父と同様、色々な悩みをいだいている神父の心のケアを、神父をやりながら両立させている人です

で、神父の悩みというのはどういうものかというと、彼等は神に純潔を捧げていますので
性的な事を遠ざけなければならないんですね。
で、その反動という事で神父の間で同性愛が少々蔓延している、と
そして自分が同性愛者であるという事を疑われたく無い、みたいな事で
まぁようは仲のいい友達も出来ない。物凄く孤独である、みたいな話なんですね。
つまり信仰を貫こうとすればするほど、神父という職業を選んだ人はどんどん孤独になってしまう、信仰心故に、って訳です

で、心理療法ってのは言わば「科学的に人間の心理を解釈する」といったような立場であり
そもそも精神医学というものが発達したのはこういった悪魔憑きによる集団パニック
その代表的なものが魔女狩りな訳ですが、そういったものを科学的に考察し、発展し、解明していったものなんですね

つまり神を殺す事に一役買った学問を、神の信徒が学んだ、という立場がカラス神父な訳です

例えるならボクサーやりながら競輪選手やるようなものです。

そして更に輪をかけて最悪なのが、カラス神父は母親にとって良き息子であろうと思っているっぽい点です

神父ってのは勤務地を好き勝手に選べる訳じゃなく、教区から派遣されてやってくる人達な訳で
母親の事は心配しているカラスですが、しょっちゅう会いにいける距離に配属されるとは限りません

まぁようするに神父、学者、良き息子、という相当食い合わせの悪い立場の全てを成立しようとしており
結果としてその全て…というか、学者という立場はまぁそれなりにやれているっぽい訳ですが
神父としては既に信仰も消え失せ、母親を一人で寂しくさせている事を気に病みつつもどうする事も出来ず
そして物語の冒頭で母親を孤独のうちに死なせてしまっている訳です
コレらの事はカラス本人としても自分ではどうにも出来ない種類のものであって
ようは信仰の喪失に繋がっていってしまう訳ですね、「主よ…何故なのですか?」と

コレがカラス神父の非常に非常にセンシティブな立場、という事になりまして

まぁこの辺りの話しを踏まえて、時系列に沿ってストーリーをおさらいしていきましょう

ちなみに映画版は通常版とディレクターズカット版が存在しており、僕は一応どっちも見ていますけど
基本的にディレクターズカット版を参考に話していると考えて下さい

まずアバンは飛ばして一番最初はイラクの発掘調査のシーン。
ここで一つ重要なのは発掘調査に加わっているメリン神父もカラスと同様神父兼学者という立場という事ですね
考古学というのはよくよく考えると人類の歴史を解き明かしていく学問な訳で
これもあまり信仰心と食い合わせがいいとは言えない部分がありますが
メリン神父の信仰心は一切ゆるぎません。
この薬は心臓の薬ですね。グリセリンです。

悪には悪…というこのセリフはハッキリ言って意味不明でしたが、小説を読んだところここは
「パズズにはパズズ」という意味のセリフらしく、恐らく過去にイラクでもパズズがやってきて猛威を奮った事があるのでしょう
イラクは国民の大半がイスラム教な訳ですけれども、この辺はどう考えればいいのかちょっと分かりかねます
ちなみにエクソシスト2はアフリカ、3はフィリピンと、何故か分かりませんが
キリスト教の本流と外れているような気がするところでエクソシズムが行われている、という描写が多いですね
キリスト教を飛び越えたところにも悪魔の驚異はある、という事なのでしょうか、
今調べたらフィリピンはカソリックのようです、しつれいしました。

そして話はジョージタウン。僕はこのお母さんがなんで俳優という設定なのかいまいち分からないんですけど
まぁ恐らくですが、金持ちだったら何でも良かったんじゃないのかな?と思いますね
ここからとにかく娘の検査で金を湯水の如く使う事になる訳ですから。アメリカの医療費ですから半端じゃないはずです

そしてここから娘であるリーガンが何かおかしいんじゃないのか?みたいな話になっていき
まずはウィジャボードに始まり、そこからまず思春期の子供の反抗期だとか、抑鬱症の一種だとか
ヒステリーだとか、神経系の疾患だとか、薬を使えば治るとか、脳に異常があるんじゃないのかとか
黒ミサに影響を受けたんじゃないのかとか、悪魔学の本を読んだ影響なんじゃないのかとか
精神分裂病なんじゃないのかとかドラッグやってるんじゃないのかとか
髄液を調べてみましょうとか、催眠療法はどうだとか、ショック療法はどうだとか
何かの呪いなんじゃないのかとか、もうとにかく考えられるありとあらゆる検査を延々と続ける描写が続き
まぁご存知の通り、その全てが完全なる失敗に終わるという事になる訳ですね
この辺りの描写はちょっと読んでてキツかったですね、失敗のための失敗、っていう部分ですからね

ちなみにリーガンがいったいいつ、どのタイミングでパズズに乗っ取られたのかというのが
小説版でわかるかな?と思ったのですが、やっぱり分かりませんでした。

そして結果としてお母さんのクリスが出した結論…というか、もはや消去法で残っているのがこれくらいしか無かった訳ですが
悪魔憑きであるという可能性に行き着く事になる訳なんですけれども

ようやく出てきたと思ったカラス神父ですが、ここからもまたカラス神父独自の調査が始まる事になりますね
この辺りの描写はなんか「まだ調べんの?」みたいな感じで少々まどろっこしいですよね
なんかテレキネシス的なものを使ってる感じがするし、頭も180°捻ったりしているしもう確定だろって感じですが

52悪魔曰く「俺達からすれば疑惑を抱かせておく方が得策」らしいです
というのもエクソシストの力というのは結局のところ信仰の力という事になる訳で
ちょっとした疑念みたいなものが混じっている事が命取りになるのでしょう

54そしてカラスの録音テープの再生シーン。ここで映画ではカットになっている部分があります
まぁ大半は意味不明なんですが、病気の神父というのはメリン神父の事でしょう
つまりこの悪魔はメリン神父と同様、再戦を予言していたような事になる訳で
因果律というか、或いは悪魔には一度殺しそこねた相手は必ず殺す、という執着心があるとかそういう話なのかもしれません
ちなみに3のモーニング神父も悪魔に「またお前か」みたいな事を言われていましたね

55あと、この「俺は誰でもない、大勢だ」というセリフはエクソシスト3でも出てくるセリフです

81後にカラスはメリン神父に「少なくとも3人の悪魔がリーガンに取り付いている」と説明し
メリンは「いや、一匹だ」と答えるシーンがありますが、正直実はこのシーンでどちらが正しいのかは分かりませんが
確信、信仰、という意味においてはメリンがカラスの上をいっている、というシーンになるのだと思います

6061そしてメリンの著書の一部が読める部分、まぁ簡単に言うと「行く川の流れは絶えずして」みたいな話なんですが
結局のところメリンが言いたいのは最後の言葉でしょう。絶望すべきでない。即ちそれは神を信じろ、という事ですね

そしてメリン到着
メリンが到着してからの駆け足感というのは今まで延々と二の足を踏み続けてきた事との
クッキリとした対比になっていると考えられます。メリンには悪魔の存在に対して一切の躊躇や疑念がありません
たったコレだけの描写で「こいつは頼もしいのが来たぞ…」と思わせてくれるってのは実に良く出来た構成です

で、ここからの描写ってのはまぁ色々あるんですけど、とはいえ比較したりする必要があるかというとなんとも言えません
例えばここでリーガンは下痢便垂れていますが流石に映画では下痢便はカットになっています
8182そして一時休憩のシーン。ここはカラスとメリンの最後の会話という事になるので
まぁ興味深いところですね
82

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ここの考え方ってのはミルトンの失楽園なんかにも出てくる訳ですけど
ようは神の究極的な目的ってのは「悪の中から善を生み出す事なのではないのか?」っていう話なんですね

キリスト教圏にいない人間からすると「なんだそりゃ?」って感じではありますが、
何故この世に悪が存在するのか?という子供でも考えるような疑問の答えはキリスト教神学的にはそういう事になるようです
そしてそうなってくると、ルシファー、つまりサタンこそが神の究極的な目的を果たすキモという事になってきて
まぁまた話がややこしくなる訳ですが、まぁその辺はあまり詳しくないので話しを進めます

85そしてメリン神父が死んでしまった訳ですが、ここのセリフが少々気がかりですね
「俺はこいつと決着をつけたい」と言っていますが、悪魔にとっては殺した事が即ち決着という事では無いのでしょうか
まぁ実際、メリンは心臓の病気、つまり心労で死んでしまった訳なんですが
悪魔的勝利、というのはもしかしたら自分の内側に取り込んでその魂を永遠に苦しめ続ける、という事なのかもしれません
ちなみに3がそういう話です。

確かに映画版のリーガンもここは不思議と呆然としたような表情をしているんですよね
メリンを殺して嬉しがっているようには見えません

87そしてカラスの自爆シーンですが、それを壊されてたまるか、というのは恐らくですが脳みその事だと思われます
カラスは悪魔に乗っ取られる瞬間に自分の脳みそが悪魔にとって重要である事を察知し
とっさに窓の外に身を投げたと考えられます、この辺りはエクソシスト3を見るとなんとなく分かると思います

90そしてカラス神父の最後、なんとも悲しく、なんとも皮肉な事ですが、カラス神父は悪魔に取り憑かれるという
ある種の究極まで行ったところでようやく自分の信仰を取り戻すに至ったという事になる訳ですね

94そしてラストのシーン。まぁメリン神父が言った事と同じ事ですが
悪魔は神様のコマーシャルみたいなものなんだ、というリーガンの母親クリスのセリフ
こんなセリフで片付けられては僕としてはエクソシスト達が浮かばれないだろと思うのですが
しかしそうとでも考えなければ悪魔の存在と、そして神の沈黙に対する答えは出ない訳ですね

エクソシストシリーズを通じて神の存在というのは何処まで行っても巨大な空洞という事になるのです

といったところでエクシスト1の話は終わりにしたいと思いますが
やっぱちょっと2と3、というか3の話しをどうしてもしたいという気になってきたりしてしまったので
続けざまに2,3の解説もしてみようかと思います。


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