手放さずに抱きしめる ヒリヒリとした気持ち
書けなかったこと
子供をずっと欲しかった気持ち。
その気持ちと向き合い、文章にすることで手放せるかもしれない――そう思って、準備ができたら書こうと決めていた。でも、今までどんなことでも書いてきたのに、「子供」のことだけはずっと書けなかった。
書くことで、母になる可能性を、私の人生から完全に手放してしまうのが怖かったからだ。
でもある日、気づいた。
ドロドロで危うかった気持ちが、いつの間にかあたたかいものに変わっていたこと。子育ての話を柔らかな気持ちで聞ける自分に気づいた時、ようやく筆を取る準備ができた。
子供を望んだ気持ち
子供は欲しかった。
その気持ちが本当か嘘かなんて、もうどうでもいい。誰の価値観の影響かなんて、客観的に分析できることでもない。人を育てたいというエゴや夢があったわけじゃない。
ただ、幼い頃の幸せな記憶――7人家族だったあの頃――その影響はあるかもしれない。「家に人がたくさんいるって、やっぱりいいな。」そう思うからだ。
恐れと選択
「お母さん、お母さん」――そう呼ばれたら、どんな気持ちになるだろう。
その子の鼻が私に似て低かったり、手足が短かったり。賢くて、ちょっと嫌味な子だったりして。
そんな子を見たら、きっと「変なところが似たな」と笑うだろうか。それとも心配ばかりで、自分のことなんて後回しになるのだろうか。
それが、怖かった。自分が自分でなくなってしまうことが、心の奥でずっと怖かったのだ。
ただでさえ、自分のことで手いっぱいなのに。一から人生を歩み始める小さな人間に、自分の願いや未練を投影して、拗らせてしまうのが目に見えていた。
だからだろう。私がこれまで選んできた道のひとつひとつが、知らず知らずのうちに、私を「子供を持つ人生」から遠ざけていったのだと思う。
今の幸せ
そして、夢から覚めた時――ベッドの上には4匹の飼い猫が寝ていた。
抱き上げると、ふわふわの毛が柔らかく、艶やかだった。薄い皮膚は繊細で、手のひら越しに感じる、寝息と共に上下する骨と筋肉の動き――人間とはまるで違うけれど、変え難いほど愛しい存在だ。
そんな存在が、私たちには6匹もいる。ふと気づけば、幼少期に過ごした7人家族よりも多い。「2人と6匹」の、8人家族の暮らし――その事実に気づいた瞬間、涙がこぼれた。
手放しと新たな章
子供を欲しかった――あの頃の素直な気持ち。
けれど、その気持ちは今、あたたかな色に変わった。
今の私は幸せか?
――涙が出るほど幸せだ。
子供がいなくても、心から「幸せだ」と思える自分がいる。
だからこそ、手に入らなかった「辛い気持ち」は、そっと手放したい。
今、私が手にしているものは、まったく違う形をしているけれど――胸が苦しくなるほど愛おしい存在たちだ。
それが霞んでしまわないように、私は軽やかでいたい。
ヒリヒリする想い
準備はできた。手放して、新しい章をはじめよう――そう思った。
けれど、投稿しようとする今、胸の奥にヒリヒリする想いがまだ残っていることに気づく。
ただ「軽くなるためだけ」に、この想いを手放すことはできない。まだヒリヒリしていたいのだ。
母になるというのは、それほど深く、体の奥底から湧き上がる、本能的で強い願いなのだろう。
今の私は最高に幸せだ。後悔はしていない。
それでも、時々、手に入らなかったものに想いを馳せることがあってもいい――そう思う。
死ぬとき、そんな想いがひとつくらい残っていたなら、それはきっと、人間らしくて素敵なことなのではないだろうか。