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恋愛依存からの脱却:自分を中心に据えて生きることの手応え

昔の私は、誰かを好きになると、それはたいそう夢中になってしまう性格だった。その人の好みに合わせて自分を変え、その人が好きなことを好きになり、好かれるために全力で振る舞う。まるで大黒摩季の「あなただけ見つめてる」の歌詞を地で行くような生き方をしていた。

あらゆることの判断軸が相手にあり、精神的に完全にぶら下がっている状態だったが、それを悪いこととは思わず、むしろ「そこまで人を愛せる自分は尊い」とすら思っていた。


恋愛が生き方に与えてしまった影響

私はいつも、自分が属する組織の中で恋をしていた。恋愛をすることで、その組織における自分の居場所や、そこで頑張る意義を見出していた。無意識に恋愛感情を芽生えさせ、それを行動の軸にしていたのだ。
この手の恋愛傾向は、心理学では ”恋愛依存症”と呼ばれるのかもしれない。自分の存在価値や人生の方向性を、恋愛によって定義していたのだから。

恋愛依存が生んだ私の行動パターンは散々だった。
恋愛が冷めたり、恋愛を軸に頑張っていた道が途絶えた時、私はその恋愛と共に全てを失った。その結果、転職回数が増え、人間関係も不安定になっていた。

だけど、今振り返ると、あの時の自分は存在価値を見出せず、必死に自分を守ろうとしていたのだと気づく。そんな自分を思うと、黒歴史を心底 恥ずかしく思う一方で、ぎゅっと抱きしめてあげたくなる。

恋愛依存からの脱却

もう本当にいい加減、自分の恋愛傾向を変えなければと思った時、
問題だったのは、誰を相手に選ぶかではない、変わるべきなのは自分自身なのだと、自分を見つめ直す必要性に気づいた。

人によっては、恋愛に人生を振り回されるのをやめるために、「もう二度と恋なんてしない」、と槇原敬之の歌のように決意するのかもしれないけれど、
私は、最愛のパートナーと共に歳を重ねたいという願いを変えなかった。

過去の恋愛を振り返り、自分が本当に求める関係を整理し、譲れないこと、譲れることをリストアップし、自分の人生の軸を明確にする努力をした。

その結果、私が現在の夫と出会った時、これまでとは全く性質の違う感情を抱いている自分に気づいた。

全然ロマンチックな表現が浮かばなかったのでそのまま書くと、
過去の恋愛が「出来上がった豪華な料理を前にしてよだれを垂らす」ような感情だったとしたら、旦那と出会った時は、「良質な素材を目の前にして、これを美味しくも、不味くも、どう料理するかは自分次第」、という冷静な感覚。今思えば、この違いが、恋愛依存を脱却した証拠だったと思う。


恋愛依存から脱却して得たもの

冷静なスタートを切った関係は、悩みが全くなくなるわけではないけれど、恋愛に人生を振り回されることはなくなった。
結婚後も、常に自分自身を中心に据え、相手に判断を依存せずに生活できるようになった。

アメリカ移住後、新たに動物看護師というキャリアに挑戦する中で、夫の存在をモチベーションの支柱にはしていない。私が持つ "動物のために働きたい" という気持ちを、私の支えとしている。

他人の目や、他人との違いが気になる自分。
できること・できないことに囚われている自分。
そういった新たに気づいた自分の弱さや課題に向き合うのは、楽ではないけれど、その分 自分に自信が持てるようになったし、好きになったし、きちんと自分自身の手で人生を切り開いている手応えを感じることができている。


感謝の気持ち

若い頃の恋愛依存時代と比べると、夫に対して情熱的な感情が薄いことに戸惑いを覚えた時期もあった。しかし、それに代わる紛れもない感情として気づいたのが ”感謝”だった。

私は今、常に自分のことを一番大切に考えている。
だから、夫が私を傷つける言動をしたら怒るし、私が家事をするのを面倒臭いと思ったら素直に伝えてしまう。一時、獣医になりたいと考えていた際は、家計に与える影響は分かっているけれど挑戦させて欲しいとお願いした。自分に経済力がないにも関わらずわがまま言い放題だ。それでも私と一緒にいてくれる夫には、心から感謝している。

一方で、夫も自身の課題に向き合っている。完璧主義で不機嫌な時が多い彼に対して、過去の私なら不安や怒りを抱いていたかもしれないが、今では冷静に見守ることができている。

私と旦那。似ているところもあるが、それぞれ、得意なものと不得意なものが違う。調子がいい時と悪い時のタイミングが違う。互いの成長を見守り合い、その過程をシェアしている。それをお互いに自覚し、受け入れることができている今の関係は、私が描いていた理想のパートナー像にかなり近い。

恋愛依存を超え、自分自身を中心に据える人生を歩み始めることで得た充実感。過去の四苦八苦した自分自身を含めて、まるっと感謝したくなるほど、自分を生きている手応えを感じている。


そして恋愛は必要なくなった

今の私には、かつて恋愛相手に求めていたようなトキメキや、心を満たしてもらう感覚が「必要」と感じなくなっている。

いや、正確には、それを他者に求める必要がなくなった。なぜなら、トキメキも充足感も、今では私自身が自分に与えられるものだと気づいたからだ。

自己肯定感が十分に育った今、夫とのパートナーシップを通じて、他者との関係を通じて学ぶべき"成長の機会"を自然に受け取れているように感じる。そこには、愛情を失う不安や、期待したものが与えられないかもしれないという焦りはない。むしろ、どんな出来事も学びとして受け止められる、揺るぎない安心感がある。



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