
頑張らない勇気:「心配する」っていう呪い
一週間後、転職先での初日を迎える。緊張しているかと聞かれたら、正確には「緊張しなければならない時期だから、そわそわするべきかな」と考えている、というのが今の心境だ。
動物看護師の仕事を離れて7ヶ月。忘れてしまった知識を取り戻し、有資格者としての期待に応えたい。そして何より、自分自身が良い仕事をしたい。以前の私なら、そんな思いを巡らせ、テキストを読み返し、配属される眼科の薬についても事前に調べていたかもしれない。
だけど、今回はあえて何もしないでおこう。
頑張らずに、気合を入れずに、期待に応えようとしすぎずに、そのまま当日を迎えてみる。
「そんなやる気のない動物看護師に自分のペットを預けたくない」「曖昧な知識のまま平気で職場に来る動物看護師とは仕事をしたくない」——そんな飼い主目線や獣医目線の声が頭をよぎる。でも、今回はそれに囚われるのをやめよう。
少しの意識の違いで、私は簡単にかつての自分に戻ってしまう。そうして自分を追い込み、バーンアウトするような環境を自ら作り出してしまうのだから。
とにかく「頑張る」ことで生き延びてきた。それは「良い動物看護師になりたい」という前向きな気持ちからではなく、「生き延びるためにそうしなければならない」という切迫した思いから生まれたものだった。
心配。不安。恐れ。それらは私の定番のマインドセットで、もはや呪いのようなものだ。しっかり向き合い、手放したつもりでも、気を抜くとまた戻ってくる。悪霊退散!
そして、今、本当にやりたいことに夢中になってみる。私が今、夢中になっているのはドッグシッティングだ。他州に出かける友人の犬を預かり、私の愛犬と一緒に過ごさせている。年齢も性別も性格も違う犬たちを見るのは新鮮だし、犬同士の関係性が変化する様子が面白い。一緒に歩くことで散歩のリズムが変わったり、新しい犬が加わると態度が一変したりする。そんな姿を見て、「私みたいだな」と思ったりもする。
やるべきことをあえてやらず、今、楽しいことをやる。それは勇気のいることだけど、生き方を変えるためには必要なことだ。
そんな時間を過ごすうちに、「犬のデイケア施設をやりたい」という思いが湧いてきた。私が理想とするのは、犬のための最高に居心地の良いリトリート施設だ。広々とした芝生のドッグランでは、フェンスに囲まれた安全な環境の中で犬たちが自由に交流し、疲れたら大きな家のような空間でリラックスできる。飼い主が希望すれば、一緒に過ごすこともできる。施設にはマッサージを取り入れ、香りや空間作りにもこだわりたい。宿泊の場合は、監視カメラで飼い主がリアルタイムに愛犬の様子を見られるようにし、トイレの様子、食欲、服薬状況、仲良くなった友達などをまとめたレポートも送る。
今、友人の犬を預かる経験も、動物看護師として働く経験も、すべてこの夢の実現につながる学びなのかもしれない。
そうなると、動物看護師としての自分の役割も明確になってきた。手術助手や麻酔、歯科クリーニングといった王道の分野ではなく、飼い主とのコミュニケーション、動物の行動学、デイケアで起こりうる事故や怪我への対応、持病のある子のケアなど。病院でマッサージを学びたいと伝えてみてもいいかもしれない。総合病院なのだから、将来的に東洋医学や代替医療を取り入れる可能性もある。私がその一端を担えるかもしれない。
ああ、楽しくなってきた。そうだ、勤務初日はこうでなくちゃ。
忘れてしまった知識や期待されるスキルに怯えて出社するのは、もうやめる。それは呪いだ。その呪いを、初日だけでなく、私の人生そのものから手放そう。