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第一部:人生のタイミングは全て完璧ー負の感情という原動力と、🇺🇸移住のきっかけ

この記事の導入編はこちらです:


アメリカ移住のきっかけ

アメリカに移住した経緯が、もっと自立的で、計画的で、啓発的だったら格好いいのにと思う。でも、残念ながらそうじゃない。

この記事で私が語りたいのは、私がどうその道を切り拓いたかという、手段や方法論ではない。異国で生活する夢を現実に寄せた、私自身の内面の変化についてだ。それは、辛くて、振り返りたくもない経験だけが与える、爆発的な負の感情、生の思いや情熱を体感したからこその変化だった。

アメリカ移住の直接的なきっかけとなったのは、タイで会計士として働いていた3年間と、そこで現在の夫と出会ったことだ。だから少し話が遡るが、そもそもなぜタイで働くことになったのかを説明しようと思う。

人生の転機を迎えた時期

7年の結婚生活を経て元夫と離婚した後、私は3年間ほど最悪な恋愛に悩まされていた。その時期、メンタルクリニックに足を運ぶほど追い詰められ、心身ともに疲弊していた。当時の私は、昼は料理教室やイラストの仕事を掛け持ちし、夜は深夜1時まで、恋人のカフェバーで調理を手伝うという超多忙な日々を送っていた。365日働いて何とか人並みに収入を維持していたが、私自身の心は常に、深い不安や孤独、悲しみに支配されていた。

その関係がどれほど最悪だったかを一言で説明するのは難しい。ただ言えるのは、私にとって彼との関係は未来を期待できるものではなかったということだ。そして何よりも、自分の中に渦巻く怒りや悲しみといったドス黒い感情に疲れ切っていた。

その時、メンタルクリニックの医師に言われた一言が今でも忘れられない。
「あなたはうつ病ではありません。ただ、人生の悩みを抱えているだけです。そこから抜け出すには、今の環境を変えるしかない。」

私はその言葉に拍子抜けすると同時に、深く心を動かされた。絶対に抜け出せないと思っていた現実から、「このまま沈んでたまるか、這い上がってやる」と、思い直すことができた。そして、恋人に対して抱き続けた憎悪と共に、離婚を選んだ自責の気持ちともお別れすることに決めた。もう十分、黒い気持ちは感じきったでしょう、と。そして新たに人生をやり直すことを決意した。

10年越しの夢への挑戦

そうして奮起した私は、当時の自分の心に再び火を灯すように、10年前に諦めた夢へ挑戦する決意をした。それは、憧れていた監査法人で働くこと。そして、その先にはアメリカで働くという夢があった。

10年前、私は米国公認会計士の資格を取得したものの、リーマンショックの影響で会計士としての転職に失敗し、事業会社で経理として働くことになった。英語のスキルを活かしながら地道にキャリアを積み重ねたが、当時から心のどこかで「いつかアメリカで働きたい」という思いを持ち続けていた。

だからこそ、今回の転職では迷いがなかった。「アメリカで働けること」を絶対条件に、監査法人を中心に転職活動を進めた。結果、3社から内定を得たが、私はタイのプロジェクトチームに入ることを条件に提示してきた監査法人を選んだ。その理由は、10年越しの憧れだった監査法人で働けることと、海外で仕事をするという夢を一歩叶えられると感じたからだ。

タイでの仕事と出会い

タイでの生活は、ホテル住まいで多忙な日々が続くものだった。朝8時半から夜10時までクライアント先で仕事をし、土日は勉強に充てるという日々。Netflixを観ることが唯一の楽しみだった。しかし、タイの同僚たちとの交流や信頼関係は、私にとって大きな救いだった。英語が第一言語でない彼女たちと絆を深める中で、「ここが私の居場所だ」と感じることもあった。

そんな生活の中で、心の奥底に眠っていた「アメリカで暮らしたい」という夢が再び目を覚ました。そのきっかけは、正確さや緻密さが問われるストレスフルな業務内容に対して心身の限界を感じ始めていたこと、そして上司がこぼした「タイで仕事ばっかりしていないで、出会いも求めたら?」という言葉など。憧れの監査法人で3年仕事をして慣れてきたからこそ、一旦立ち止まり、今後どうやって自分の人生を進めていきたいかを真剣に考えるようになった。

さらにそのタイミングで、双子の妹の結婚が決まり、私は自分も「もう一度家族を作りたい」と思うようになった。

新しい関係と新しい未来

タイで働きながら、私は出会いの場を求めて新しい一歩を踏み出した。これまで、同じ日本人同士でもうまくいかなかったんだから、人種の違いを気にするのはやめよう!と思っていた。アメリカで生活したいという思いをズルズル引きずるくらいなら、日本人やタイ人ではなく、タイで仕事をしているアメリカ人でいい人を見つけよう!とも思った。

出会いを求め始めてたったの4ヶ月。現在の夫と出会った。彼もまた、自分の人生を模索している途中だった。私は、監査法人へ転職した時と同じくらいの迷いのなさで、「結婚する気がある人としか付き合わない」と出会って早々、口にしていた。

自分のこだわりや、相手に求める条件を開示し、生活スタイルなどの相性を見極めた私たちは、交際わずか3ヶ月で婚約した。今思うと、何を買う時も相当分析して一流品を買おうとする旦那が、私との結婚は勢いで決めたのが不思議だ。でも一度買ったものは、絶対に捨てない、物持ちがいいのも旦那の特徴だ。私はラッキーかもしれない。

私が「タイで一生仕事をしていくつもりはない」、ということを伝えたのをきっかけに、15年以上アジアで働き続けていた彼が、ニューヨークの仕事を見つけた。彼がアメリカに引っ越した翌年の2020年、私はコロナ禍まっただ中に、彼を追って移住したのだ。

人生のタイミングは全て完璧

「人生のタイミングは全て完璧」という言葉を聞いたことがあるだろうか。この言葉を私なりに解釈すると、それは転職や結婚といった重要な決断の瞬間だけに適用されるものではない。むしろ、その決断を引き起こした感情や心の状態にも目を向けるべきだと思う

私がアメリカ生活という現実を引き寄せた一番の要因は、「このまま沈んでたまるか」「這い上がってやる」という強い負の思いだった。また、「アメリカで生活したい」という願望を抱え続けるのはもう嫌だ、という爆発的な感情もあった。それらは、限界まで無視し続けた結果、膨れ上がった感情だった。

こんな力強い感情は、幸せで満たされた生活の中では決して生まれなかっただろう。もし元夫とのささやかな生活に満足できる性格だったなら、この思考も生まれず、現実を変えることもなかったはずだ。怒り、悲しみ、孤独に直面し、どん底まで落ちたからこそ、忘れていた夢を思い出し、それを叶えようとする強い感情が湧き上がった。

そのような感情に至らせた一見「負」の出来事さえ、私にとって必要な経験だったのだと思う。それは 私らしく生き始めるために、まずは「私らしく生きたい」という思いを引き出すための重要なステップだった。近道やスムーズな道のりでは得られなかった強い感情の状態。それは私の家庭環境や、幼少期に形成された思考グセさえも含めて、すべてが必要だったように思える。そして、これらに気づいた今後の人生は「人生のやり直し」ではなく、「人生の本番」なのだと感じる。

もし私が何も悩むことのない模範的な思考で、完璧な人生を進んでいたら、すでに大リーグで活躍したり、OSを開発して成功していたかもしれない。でも、それは私の人生ではない。嘆いても仕方がないのだ。

これからは、負の感情や爆発的な思いを起爆剤にするのではなく、軽やかでワクワクする気持ちで夢を実現していきたい「夢は叶う」と確信を持って信じる強い思いで、自分の人生を築いていきたい。

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次回の第二部では、アメリカ移住後に動物看護師としての勉強を始めたこと、エクスターンシップやフルタイム採用の経験などについて語る予定だ。なお、三部作の予定がすでに崩れてしまったことはご容赦いただきたい。

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