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見せるためじゃない、40代からの私とダンスの関係

私は今でもダンスをする。旦那がよくチルいBGMをかけるから、広いキッチンで、気づけば体が動いてしまっている。

ダンスといっても、ヒップホップの簡単なステップや、ソウルダンスのボディムーブメントだ。ガツガツした動きではない。音楽にあわせて、自然と足でステップを踏んだり、上半身を動かす。

そうやってダンスをしているとき、耳から入ってくる音楽の音質、雰囲気、リズムなど、自分が感じ取ったものと、自分の筋肉が伸び縮みする感覚がリンクするのが心地いいのだ。

私は音を感じるセンスがある。それを自覚していた。学生時代にはストリートダンスにがっつりハマり、ヒップホップ・ブガル・ソウルダンスを中心に練習を重ねていた。英語ができないのにニューヨークに一人で渡り、2ヶ月間現地で修行したこともある。ソロバトルコンテストに出ていた時期もある。

だけどあるとき、やめてしまった。鏡やビデオの映像で自分が踊る姿を見たとき、自分の手足の短さや、頭の大きさや、Theアジア人ぽい容姿が気に入らないと思ってしまったのだ。

私は優れたダンサーを目で見て知っていて、自分が踊っているとき、自分の頭の中では、自分も彼らと同じように芸術的に表現できているビジョンを作り出している。だけど、実際は、鏡の中で手足の短い人間が、ドラえもんのように(ごめん、ドラえもん)ジタバタ動いていたから、興醒めしてしまった。

でも、今は思う。私にとってのダンスは、人に魅せるためのものではないのだ。マッサージされている様子を人に見せる人はいない。マッサージは完全に自分の癒しのためだけに施されるもので、外から見たときの上手いも下手も、きれいもカッコ悪いもない。ただそれから得られる恩恵を感じきるべきだ。私にとってのダンスもまたしかりだ。

ダンスをやめたとき、こんな体型じゃやっても意味ないと思った。でも、今は違う。自分の体や筋肉に、音楽から得られるエネルギーを流し込んで、一体化させることによって癒してあげるための、とても内的な癒しのプロセスとして、もう一度ダンスを人生に受け入れてあげようと思う。

自分が感じた音楽と、そのまんま一体化できるって至福だ。その幸福感がじんわりと私の魂を癒すのだ。体がないと、音楽にあわせて自分の筋肉を伸び縮みさせる快感も得られない。仕方ないけれど、与えられた今の手足の短い体のままで、外からの見た目を気にせず、これからもダンスを楽しむ。

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