「40歳」について考える


もう今年も終わるけれど、

そして、ともすれば忘れてしまいそうになるけれど、そういえば、今年で40歳になったのだ。


ぶっちゃけ、まだ実感などない。

そんなもの、あるはずもない。


だって考えてみて欲しい。

40歳だよ?フォーティーだよ?

20歳の、そのまた倍だよ?

別に若者ぶってるわけではなくて、未だに生まれて40年経ったという実感がわかないのだ。


精神的に成長したわけでもない。

特別に何かをなしたわけでもない。


40歳と言えば、もう誰が何と言おうと立派な大人。

はっきり言えば、おっさん。中年の仲間入りである。


親父は46歳で病没したが、あとたった6年で追いつくことになる。

たった、あと6年で。


やっぱり信じられない。

だって精神的にはクソガキなのである。

漫画やアニメやゲームでキャッキャして、

高級食材は口に合わずカレーや丼物ばかり食べて、

酒も飲めず、タバコもせず、博打もせず、

奥さんに片付けや掃除で怒られ、

そんな奥さんにゴロゴロと甘え、

そんなムーブしかしてないのだ。


大人っぽいことなんて何一つしてない。

働いてるだけだ。


かろうじて職場では大人の皮をかぶっただけの、

家に帰ったら完全に四人目の子供である。


大人の定義も、条件も知らず、

過程をすっ飛ばしていつの間にか辿り着いたのが、今いる場所のような気がしてならない。


…勿論、何もなかったわけじゃない。


二十歳までの思春期はさておき、そこからの二十年も沢山いろんなことがあった。

出会いも、別れも、結婚も、死別も、あった。

人生最高と思える瞬間も、

二度と繰り返したくない絶望も、あった。

奇跡としか思えない瞬間も、

九死に一生を得たことも、あった。

沢山の思い出を噛み締めて、踏みしめて、今ここにいるんだと思うと、それなりに感慨深い気持ちにもなる。


よく這い上がったと、

よく諦めなかったと、

自分を褒めてもいいのかなという気持ちも、多少はある。


艱難辛苦はあったにせよ、今こう思えているのは、今が幸せだからなんだろう。

そして幸せと思えているのは、間違いなく家族のおかげ。

だから、生活の中心である家族のことを第一に。

今までも。これからも。


…あれ、なんだろう。

なんかちょっとだけ40才っぽくなってるなぁ。

変なの笑


あれか、自分の好きなことしてる時だけ、自分の信頼できる人の前でだけ、クソガキになるのか。

…それって、割といい塩梅のムーブやん。

むしろずっとそんな感じでいたいわ。


50になっても60になっても、「くっそーおもしれーな」とかいいながらゲームしてたいし、「冨樫神✨」って言いながら漫画読んでいたい。

子供だけじゃなく、孫ともマリカーやスマブラしたい。「じーちゃんはスーファミからやってんねんで〜」って入れ歯で笑いながら、1位でゴールしてガッツポーズして、腰痛くなって婆さんに「馬鹿ねぇ」って笑われたい。

そんな風に生きられるなら、長生きも悪くないとさえ思える。


あと何年生きられるのかわからないけれど、

きっと夜勤でボロボロのこの身体は、

それほど長くはないのだろうけど、

そんな風に生きられるなら、

きっと幸せだろう。

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