氷解

先日、子供の発表会に出席して、号泣してしまった。

以下が、その歌詞(色んなバージョンがあるみたいなので、もしかしたら違うかもしれません)。

ねぇ 覚えてる? ぼくが生まれた日のこと
小さなグーの手の中に 幸せ握ってやってきたんだよ
そのうち笑うようになり みんなを笑顔にして
一日 一日を 一緒に歩いてきたね
読んでくれた絵本 歌ってくれた子守唄
大好きなその声に包まれて ぼくは眠りました
ありがとう

ねぇ 覚えてる? 保育園に初めて行った日
何もわからなかったぼくが 夢中で飛び込んだ新世界
最初は泣いてばかりで 風邪もよくひいたよね
一日 一日を 重ねて強くなったよね
助けてくれた友だち 支えてくれた先生たち
大好きな人たちに囲まれて ぼくは育ちました
ありがとう

もう6才になったよ 心配いらないよ 大丈夫
ランドセル背負って 前を向いて進むよ

ありがとう友だち ありがとう 家族のみんな
大好きな保育園とお別れ 少し寂しいけど がんばるよ

この歌詞が、もう泣く。
人目をはばからず、撮影しながら号泣してしまった。

そう、私は感動して泣けたのだ。
“泣けるような人間に、なったのだ。”

そのことについて、少し話そうと思う。


特別不幸な生い立ちだったわけでも、

特別不幸な幼少期だったわけでもない。


父親が早世したことを除けば、むしろ幸せな家庭の類だろう。


それでも、ずっと自分のことを冷たい人間なんじゃないかという懸念があった。

人の不幸を分かち合えない。

人の死も悲しめない。

無味乾燥な人間なんだと。

それは、父の死に一人だけ泣けなかったことが発端なのだけれど、大人になって社会人になっても、その懸念は拭えなかった。

それどころか、目まぐるしい仕事の中で、順調に廃れていった。
きっと自分は仕事にしか生きがいを見出だせない人間なんじゃないかと、子供も老人も好きになれず、自分も誰からも好かれず、一人で生きて一人で死んでいくのだと、そう決まっているのだと、思い込んでいた。

そうして、ますます疑念は膨らんでいった。


それでも、ひょんなことから妻に出会い、家族を授かり、今がある。

そうして、文字通り全てが、変わった。


だから、これだけは言える。

自分のことを少しでもマシな人間だと思ってくれる人がいるのなら、それは家族のおかげだ。

自分のことを少しでも優しい人間だと思ってくれる人がいるのなら、それは妻であり、子供達のおかげだ。

彼らが私を、普通の人間にしてくれた。
人前で泣ける、まともな人間にしてくれた。

もう、それだけで一生分の幸せをもらったようなものだ。
少しずつ、返していけたらいいなと思う。


誕生日に妻へあげたお花。
順調に育ってます🍀

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