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違うことの素晴らしさ(3年前に書いたやつ)

ゲームからスパイディ🕷️に興味を持った息子に、私の大好きな作品を知って欲しくて、数日かけてアヴェンジャーズIWとEGを観たのだが、こちらが期待した程の感想はなかった。
確かに最終決戦の盛り上がりや目まぐるしいアクションには興奮していたが、それだけだ。
しかし、思えばそれが普通だろう。

この両作品はこれまでのMCU作品の集大成であり、一つの完結編である。
故に、全ての作品をチェックし彼らの闘いを見届けてきた者だけが、IWとEGの長大なシナリオと壮大な結末を真に理解し、楽しめるとさえ言える。
それ等を蔑ろにして、「自分と同じ感動を」というのは、単なる親のエゴだろう。

トニーの最期。
駆け寄るローディ、ペッパー、ピーター。その会話。
トニーの遺していた映像。
3000回愛してる。
娘ちゃんとハッピーによる、チーズバーガーのやり取り。
どうしても自分の家族と重ね合わせ、涙が止まらない。
RDJの演技に、今は亡き啓治さんの声に、胸が震える。

でも、この感動は自分だけのものだ。
私が亡き父に抱く想いや、家族への愛情、アイアンマンを始めてみた時に感じたワクワク、憧れ、その他沢山の喜怒哀楽…
それらが土壌にあってこそ、はじめて発露したものだ。
だから、決して誰もが味わえるものじゃないし、ましてや誰かに強要するものなんかじゃない。
誰かが名作と喝采する作品は、必ず別の誰かにとっての駄作となりうる。
それが多様性だ。

息子には、息子だけの夢中になるものが今もあるだろうし、きっとこれからも沢山できるはずだ。
それを認め、尊重してやらねばならない。
私にとって大事なものと、
彼にとって大事なものは違うのだから。
違うということは、
とても素敵なことなのだから。

当たり前だけれど、忘れそうなこと。
でも、忘れちゃいけないこと。
しっかりと刻んでおこうと思う。

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