やりたいようにやれや…
コーチングで得意な事、苦手な事を書き出していた時のことだ。
まず、筆者は真っ先に思い当たった「コミュニケーション」と書いた。
だが、コミュニケーション一言で終わっていては自己理解も深まらないというもの。更に具体的に言えば、私の苦手なものは…
筆者は少し考えた後、「アサーティブな自己主張」と書いた。
そう、筆者は「アサーティブな自己主張」が本当に、本当に苦手だ。
アサーティブって、あれだ。所謂「You are OK,I'm OK.」というやつだ。
私は幼少期からの癖で、どうにもこの、「I'm OK」というものがヘタクソだ。
ただでさえ相手の要望を汲むのが下手で、受け取った言葉は全て額面通りに受け取ってしまう上に、これまでの人生経験から発生した「相手の気分を害しやすいふるまいをしがち」という自認が自我を出す上でのボトルネックになってしまうのだろうか。その悪癖により、私は時折双方にとってのベストな選択を取り逃してしまうことがある。
今日も今日とて、それで失敗した。
筆者の住まいにはコピー機なんて気の利いたものはない。そんなまあまあの大きさの家電を置くスペースもない。そもそも自宅でそう頻繁に印刷物を作成する習慣もない。ではなおのこと近所のコンビニで事足りるではないか。
この日、筆者は趣味として嗜んでいる楽器の楽譜を縮小コピーすべくコンビニに赴いていた。
A4をB5に縮小コピー。イントロからエンディングまで一回り小さくなって出てきた楽譜たちの耳を揃え、私は帰路に着こうとした。
コピー機が耳慣れない効果音を奏でるまでは。
「コピー用紙が切れました。店員を呼んでください。」
警告文を読む。そのくらいならお安い御用だ。
私は無人のレジでベルを鳴らし、店員さんを待つ。
「いらっしゃいませ」
「あの、B5のコピー用紙が切れてしまったみたいです。」
「コピー用紙ですか。少々お待ちください。」
そういって店員さんは用紙を取るべく、バックヤードへ戻ってゆく。
…え、今「待ってて」って言った…?
筆者、用事は済んでるからとっとと帰りたいのだが…
無論、理屈では分かっている。
状況を鑑みるに、店員さんは私がコピー中に紙を切らしたから呼びに来たと思っているのだ。だからこの「待ってて」はどう考えても100%のホスピタリティである。
では、私がこのまま何も言わず帰ってしまったら?
店員さんは「自分が手間取ったせいで怒って帰ってしまったのでは」と考えるのではないだろうか(そして折悪く機器のトラブルが起こったようで、本当に結構手間取っていた)。筆者の接客バイト時代の鬱々とした自責の念がフラッシュバックしそうになる。もしこの店員さんが私のように色々と考えすぎる性格であったならば、今日寝る前にこのことを「忘れがたい失敗談」として思い返すのではないだろうか。
途中、そっと帰ろうかなと思ったが、申し訳なさそうに店員さんがこちらに歩み寄ってきて「申し訳ありません。もう少々お待ちください。」というものだからいよいよ帰りづらくなってしまった。
無論、理屈では分かっている。
私はそのまま帰って良かったし、店員さんは私が怒って帰ったかもしれないからと言ってそのことを気に病む必要はない。尤も、店員さんが気に病むたちなのかどうかすら、結局のところ分からなかった。ではすぐにでも帰れば良かろう。だがその時の私は何故か「帰りてえな」という気持ちに相反するように強く、強く「まだ帰ってはいけない」という思い込みを持っていたのだ。これが世にいう「認知的不協和」か。…いや、なんか違う気がする。私が言い出したことなので、事の顛末は見届けなければいけないかなとも思ったし…本当に?なら見ているだけで困っている店員さんを助けようとしなかったのは何故だ?…待て、何を一利用客の分際で勝手に店舗のコピー機の責任を背負った気になっている?傲慢な…いや、それも違う。もう何も分からない。私はどうして「あ、今年のおせちじゃん。もうそんな季節か、早いもんだな。どれどれ、ラインナップは…」といった風を装って大して興味もない冊子をめくり、時間をいたずらに潰してなどいたのだ。筆者のような単細胞生物を拘束するのに縄や脅しなど必要ない。ただ一言「そこで待っていろ」と言えばいいのだ。
ようやく補充が完了したらしく、心なしか安心した表情の店員さんに「お待たせしました」と声を掛けられる。
だが、私に印刷するべき紙など、とうに残されていない。
私はボタンを無意味にポチポチと押し、最後に用紙の忘れ物がないか今一度確認してその場を後にした。隣でATMを使用していたお兄さんが怪訝な顔をしていた。彼には分かるまい。絶対に分かるまい。
…だって筆者本人にすら、この時の自分の行動原理がさっぱり理解できないのだ!
夜の帳が下りた町を、すっかり冷えたコピー用紙を抱えて歩く。
気付けば9月も半ばだ。日が短くなった。さっきまでまだ東の空に僅かばかり青空を残していたのに。秋の日はつるべ落としとは先人たちもよく言ったものだ。
げに、日照時間もコピー用紙の残り枚数も、ままならぬものよ。人生は…
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