数学苦手の中身を少し見てみる

人によって認識というのは大きく違います。
その中でも、多くの人に共通するものも当然ですが多いです。

数字の1から9を認識しているというのは一般的なことですし、九九が言えるというのも多くの人にできることです。

分数の計算ができる、1次方程式が解ける、2次関数の平方完成ができる、等比数列の和の公式が言える、と、
レベルが上がっていくと該当者の割合が減っていきます。

ここまでは簡単、当たり前だけど、これはわからない。
というレベルは、人によって変わってきます。

数学に限らなければ、勉強にも限りません。

算数で言えば、例えば、かけ算のひっ算を行うには、九九を覚えている必要がありますが、この九九が理解できていないと、ひっ算を行うことは難しいです。

九九を「当たり前」としていれば、ひっ算の方法だけをこれから覚えればよいです。

しかし、九九がわかっていなければ、当然九九を先に覚えなければなりません。

また、覚えられていたとしても、思い出すのに時間がかかるようですと、スムーズに進まず、ストレスになります。

そのせいで新しい内容の理解が遅れ、また、つまらないと感じ、算数に苦手意識を持つことになります。

というのは極端ですが、どこでつまづくかは人それぞれであるものの、大体こんなプロセスでついていけなくなるのではないでしょうか。

しかし、あなた自身よりもっと早い段階で算数、数学を苦手とした人々にも共感することはできます。

例えば、今日から、数字の1から9の記号をまるっと変えることにしたらどうでしょう。
1はA、2はB、3はCといった具合に、アルファベットを順に割り振り、明日から使うことになったとしたら。

ワケがわからなくなると思います。

G+E=?といわれたら、

え〜っと…EがA、B、…、Eの5で、…
そうすると、…F、Gで、Gは7だから、
12で、だから、ABです!
といった感じでしょうか。

相当長い期間があればあるいは適応できるかもしれませんが、ストレスがとんでもないことになりそうです。やる気が起きません。

アルファベットに置き換えた九九をこれから覚えろと言われたらイヤです。
中には楽しみを見出せる人もいるかもしれませんが。

それでも、苦手を克服するにはこれに近いことをしなければならない場合もあります。九九だって小学2年生のときに時間をかけてがんばって覚えました。

一方、私たちは数字を当たり前のものとしています。番号を認識したり1ケタの簡単な足し算は苦ではありません。

そう思うと、生まれたときにしてみれば、アルファベットだろうがローマ数字だろうが、最初から覚える難度は同じです。

先ほどのアルファベットに置き換えた場合のことと同じ難度のことを、われわれはできていることになります。

7+5=?といわれて、そんなに時間をかけずに12と答えることができます。

もはやこの辺りのことは暗記していると言えます。G+E=?と聞かれて、すぐにABと答えることは、多くの人に難しいかと思います。

例えばこのように、アルファベットを数字としている文化があるとして、九九にあたるものも、その文化では常識だとします。

そこに行ったとして、D×Hがすぐに答えられないということは、こちらで言うところの、4×8=32、つまり、「しはさんじゅうに」がわからないということになり、簡単なこともわからないんだな、と思われてしまいます。

アルファベット版の九九を常識としている人からすれば、算数が苦手な人と思われてしまいますが、こちらからすれば、わかるわけないじゃん。となってしまいます。

どこまでを「当たり前」としているかは個人差があります。自分にとっての「当たり前」が、ある人にとってはそうでない場合、なんでわからないんだろう?となります。

逆に自分が理解できないものに対しては、必要な「当たり前」が欠けていることになります。

これから、あることを覚えるには、それに必要な「当たり前」を身につけることが大事ということになります。

1つの必須な「当たり前」を人生の中で身につけるタイミングがあったか、なかったか、で、大きく得意不得意が変わります。

例えば、$${\sqrt{12}=2 \sqrt{3}}$$であることは当たり前でしょうか?

・$${\sqrt{ \space }}$$の記号がわからず、何を言っているのかわからない。
・ルートってどうやって計算するんだっけ。思い出せればできる。
・計算方法は当たり前にわかるから計算すればわかる。
・そんなもの当たり前に$${2 \sqrt{3}}$$だよ。

などと、それぞれかと思いますが、この理解度のレベルによって、2次方程式などを解く際のストレスが違います。

7+5=12とすぐに答えられるか、G+Eに時間をかけてABと答えを出すかのような違いが、そこまで極端ではないにしろあります。

言語に近いものがあります。ネイティブとして文字を読むのと、辞書を引いて訳しながら読むことの違いのようなものです。

そうすると言語と同じように、触れていた時間が多い方が良いことになります。

算数数学で言うと、問題を多く解いているかです。簡単な計算問題でも量多く解いているかどうかによって大きな違いになります。

問題数をこなしていないと、理屈だけ説明されても、いろいろ間違えながら修正しつつ時間をかけて解くことはできますが、理屈を理解した上でスラスラ解くには引っかかる原因を減らす必要があります。

数学の苦手を克服するには、どこまでもさかのぼり、必要な「当たり前」を積み重ね直していくこと、問題を多くの量解くことが大事と思われます。

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