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とある大学職員の伝承者~上~

お待たせいたしました。
最初のインタビュー投稿となります。

第一弾は、私達が通っている大学で職員をされている鎌田真さんの記事です。

私たちの大学には、被爆伝承者として貴重な経験を語り継ぐ職員の方がいます。私達は、その職員である鎌田さんにインタビューを行い、戦争の悲惨さや平和の大切さについて私達自身が考えていることも踏まえながら、対話を通して話を伺いました。この記事では、そのインタビューの内容を通じて、伝承者の方が何を考えているのか、皆様にお届けできればと思います。

私達の記事では、伝承者の方々の話を、上・中・下の3本に分けて投稿していきます。
今回は一回目のインタビューの「上」です。



僕たちが鎌田さんと初めて関わりを持たせていただいたのが、大学で1年前に行われた「『はだしのゲン』から『平和』を考える」の企画展だったかと思います。改めて、この企画の経緯についてお聞きしてもいいですか。


そうですね。皆さんと関わりを持ち始めてもう1年が経ちますね。

私は当初、伝承者として広島原爆資料館で講話するので手いっぱいでした。

だけど、伝承活動を続けていくうちに自分の身近なところで、「核兵器の廃絶」「被爆者の方の思い」っていうのを伝えていくことをしたい・もっと身近な人のところで「平和」について考える機会を作りたいと思ったんです。少し自分の中に「心の余裕」というものができたのかもしれませんね。

どうして「はだしのゲン」を選ばれたのですか?


私が初めて「ゲン」を読んだのが小学校1の時で、その時の衝撃が大きかったです。そこから原爆に対して強く関心というかもっと何か知りたいという気持ちになりました。そのきっかけがまさに、「ゲン」だったんです。

皆さんにその平和について考えてほしいという思いがあったので、企画しました。「漫画の連載が始まって50周年」ということ、「広島の学習教材から削除されたこと」等で、世間からも注目を集めてるっていうたまたま機会がちょうど重なった。

また、その時のウクライナとロシアやほかの国の紛争の状況を考えると私たちが平和について何ができるのか?ということにも考える機会になりました。

ありがとうございます。自分も実際に図書館の展示と映画を見たのですが、なかなか見る機会がなくインパクトもかなり大きかった記憶があります。

先ほど、「心の余裕」について言及がありましたが、伝承活動を始めた当初に大変だったことはありましたか?

周りの研修生の熱量に圧倒されたということがありますね。
研修に参加している人と話していると自分の知っていることがものすごく一部なんだと感じて。「広島の生まれでない自分」が語る言葉が「本当に伝わるのか?」と少し気遅れや葛藤を感じましたね。


自分も生まれが群馬なので鎌田さんと同じ気持ちになることはあります。


最初のころは、自分が「広島生まれ」「身内に被爆者がいる」という訳ではないので「言葉の重さ」というのが伝わるのか?と不安はありましたね。

ただ今思うのは、逆に私みたいな立場で活動する人の方が、多いじゃないですか。でも、そういう人が伝承活動をすることに私は意味があると思っています。


実際に広島と沖縄出身の二人は、どう思う?


自分自身、広島出身で、原爆の事実、被爆された方の存在という情報については平和教育を受けて知ってはいるが、深く詳細には説明できないという思いもありますね。もちろん、被爆された方のお話を聞く機会も何度もあったので、思いに触れる場面もありましたが、「言葉の重さ」という話を聞くと、広島市で育ったからと言って軽々に語れるものではないと思います。


知らないことなのに話さないでほしいと思う現地の人もいましたね。ただ、今はそういうことを言える状況でないんだと思います。直接体験者は年齢的に減少傾向にいます。その中で、伝える人は誰であろうと、そこにちゃんと自分が伝えるんだっていう気持ちがあるかが大事だと思います。直接体験者の方とそれ以外の方が話すことに重さの違いは多少あるかもしれないけど、だからといって体験してない自分が話していいのかという葛藤を感じる必要はないと思うんです。自分が伝えたい、伝承者になりたい気持ちを持ってる人が伝えるっていうことに対して、自分自身とても意義があると思います。


そうだね。実は のぼりんが言ってくれたように 「体験していない人が伝えること」に対して否定的な意見っていうのもやっぱりあると思うよ。

だって、体験してないんだから「悲惨」ということを「悲惨」とは言い表すことのできない経験というのを被爆者の方々は、されているんだと思う。「本当の痛み」っていうのをやっぱり経験しないと、本当の意味では難しいのだと思う。

ただね、そういうこと言ってられない状況になっているよね

私達が「伝える」目的っていうのは、『「被爆の実相」をただ伝えるのではなくってその先の平和を守るため・築くためや核兵器・戦争というものがなんでダメなのか?』 

ってことを経験した人たちの言葉から考えることにあると思う。 

今後、いなくなってしまう被爆者の言葉や思いを私達が「伝えて残していく」っていうのはすごく重要なことだと考えています。

ありがとうございます。大学での職員としての仕事と伝承者としての活動を両立で大変なことは何ですか?

仕事を休む調整とかも考えると両立は大変ですね。特に伝承研修を受ける時って仕事を休まないといけないし、僕自身も休みを取れるように事前に仕事の調整してたけど、どうしても業務が忙しいところだと研修を休まざるを得なく、研修に参加できないことも何度もありましたね。

他の伝承者の方も仕事と両立しながら伝承活動されているんですか?

そうですね。リタイアされてから、仕事と両立しながらの人はもちろん、大学生や高校生でも伝承者になろうとしてる方もいます。 皆共通してるのは「思い」が強いです。「伝承者になろう」っていう思いがあるからこそ、両立してできるのかな。

伝承者になって、自分で調べる範囲のことでしか出てこなかった知識を研修を通して学べるのはすごく貴重な機会ですね。その研修を受ける中で「伝承したい思い」と「正しく知りたい学びたいという思い」この二つの思いがあったから伝承者を目指せたのだと思うしやりがいも感じられましたね。

伝承活動を通してご自身で感じた身の回りの変化は感じたことはありましたか?

伝承するっていうことが一つ大きな自分の「軸」にはなっているね。今までの生活は自分のやりたいことをやってきた。スポーツの社会人団体に所属したりキャンプなどをやったりしたね。

でも、それとは別のところでの自分なりの「責任感」と「思い」を持って取り組めるのが、この伝承活動何だと思う。それを果たしていくっていう役目が伝承者にはあって、そういう責任がありながらでも、関わるっていうことにやりがいを私は、感じています。この活動は、自分の人生をかけて一生関わっていきたいなって思っています!

表現的には変かもしれないけど、「もう1人の鎌田さん」っていうのが生まれた感じなんですかね?

「新しい自分」ってよりかは、「新しい道」っていうのを見つけたに近いかもしれない。それによっていろんな人と繋がりができたし、自分の関わる人たちっていうのも広がって、またそこでいろんなことを学ばしてもらっているね。

第一弾の上、いかがでしたでしょうか。
当時を経験していない人が伝えるということに対する葛藤がある中で伝える。葛藤はあるけれど、それと同時に直接体験者の言葉から私たちが考えることがとても大切だと、この上のインタビューを通じて強く実感しました。

第一弾・上はここまでとなります。
次回の中では、鎌田さんが実際伝承された「証言者」のことや、鎌田さんが「伝承者になろうと思った理由」などについてお聞きしていきます。

次回の投稿もお楽しみに!!!

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