メンヘラの定義

生きとし生けるメンヘラと呼ばれる全ての方へ

「メンヘラ」と呼ばれることに、満足していますか?納得できないことはありませんか?メンヘラであることによって自分で自分を責めてしまったりしていませんか?

わたしは、自分がメンヘラと呼ばれることに対して全く納得ができない。

落研という組織には、「激ヤバい」メンヘラが一定数存在した。名前しか知らないようなひとたちではあったが、聞く噂話の彼ら彼女らは、リストカットを繰り返し、意味深な空リプを続け、人の恋人を奪いたがり、アルバイトを当日欠席し、少し注意をすると逆上し、自分で自分の機嫌をとれず、性行為によって寂しさを埋めようとするばかりなのである。
だいたい自覚がない場合が多く、わたしの友人たちは彼ら彼女らの行動に辟易していた。

わたしもその話を聞きながら、ドン引いた。
同時に、わたしは人から「メンヘラ」と称されることはあるが、は?一緒にしないでほしいが!!!!!というかそれぞれ特徴の違う不安定な人間をまとめて「メンヘラ」と称するお前が気にくわんお前の言語能力のなさによって「メンヘラ」の定義付けが出来ると思うな!!!!この低能が!!!!!とブチ切れてしまった。
しかし、わたしにもドのつくメンヘラの時期があった。だからこそ、その時期のわたしと今のわたしが同一だと見なすことはしたくない。

加えて、わたしは人のことを滅多にメンヘラだと思わない。メンがヘラっちゃう理由は人それぞれで、その人のせいではないからだ。少なくともわたしの友人たちは理由なくヘラってはいないし、自分自身でなんとか自制しようとしている。尊敬できるひとたちだ。
簡単に「メンヘラ」という言葉で彼ら彼女らのことをくくりたくない。

わたしは夜夜中起きているであろう友人を召喚し、LINE通話にて「メンヘラの定義付けをしよう!」と提案した。彼女はほとんどのことに対して「いいよー」と言うので、さっそく「メンヘラの定義付け」が始まった。

以下の画像は偉大なるインターネットの海から拾ってきたものである。

引用元https://fortune.line.me/charmmy/article/1144

わたしは自分のことを「ヤンデレ」と自称することが多かった。なぜかというと相手に対しての愛情が病的であると自覚があるからである。極論を言うと、恋人のことが大好きなので、彼が飢え死にしようものなら火の中に飛び込んでわたしのことを食べてほしいと考えるし、浮気しようものなら渋谷のスクランブル交差点のど真ん中で滅多刺しにしたい。愛が高まると血肉を噛み砕いてやりたい!と思う。しないけど。

わたしの特技は「度が過ぎたやきもち」だが、恋人だけでなく、心を許した友人に対してもそれは発揮される。
・友人が、その子の誕生日にわたし以外の友人たちとディズニーランドに行っており、三日間泣きじゃくって暴れた。
・わたしの落研時代の名前は「ほ八」だが、突然「わたし以外に“ほ八”が現れたらどうしよう」という不安にかられ、「わたし以外ほやって呼ばないで!!!!!!」と力の限り落研の同期を抱きしめた。
・恋人から、恋人が友人たちと身体を密着させて寝ている写真(全員男)が送られて来て、頭がおかしくなるほど嫉妬し恋人のLINEをブロックした。
・友人のことが好きすぎて、友人にセクハラをした男たちの住所を密かに集めようとしている。SNSはほぼ網羅したと思う。
・わたしの見えないところの生活に妬いてしまうため、ネットストーカー気質があり、友人の彼氏のSNS(情報がほとんどなかった)を見つけ出したり、恋人のSNS周りの監視体制を強めたりしていたのだが、友人からはガチ説教され、めったに怒らない恋人から注意を受けたので、もうこれはしてない。ごめんなさい。反省してます。

以上からヤンデレに寄せて考えてみる。
①自分と相手だけの世界→△
②特定の相手のみ→○
③愛する相手への思いが高じて→◎
④愛する相手との世界を壊そうとするものを攻撃→◎
となり、①以外はわたしの性質にぴったりと当てはまってくる。なぜ①が△かというと、わたしの世界はちゃんと開けているからだ。
わたしのやきもちが爆発してしまい、クソクソ情緒不安定だったとき「あなた以外なにも要らない!」とJPOPの歌詞のような言葉をぶつけたとき、「そんなことはないじゃん」と恋人や友人が言い続けてくれたおかげで、わたしはそんな狭い世界で生きていないなあ、と自覚したからである。
視野が狭くなることはあるが、自覚があるから自制をし、ひとりで解決できるようになってきた。そのため、わたしは広い世界で、大事な「たったひとり」の数人を愛している。

一方でメンヘラに寄せて自己分析を続ける。
①自分と自分を見てくれる人の世界→×
②恋人、または誰でも良い不特定多数→×
③自分に対する相手の愛情が足りないと感じて→△
④人の関心を引くために自分を攻撃→×
①~④で当てはまるのは③のみである。
まず①、上記の通り世界は狭くない。
②恋人、または特定の友人たちに対しての執着が強い。電話で友人に話したのは、「彼氏とうまくいかなくなったとき、次のひとを考えて行動しない。彼だけに愛してほしくて悩んでいるのだから、他の人に埋められてもなにも意味がない」と答えたが、これは自分の中で真理である。メンヘラは常に囲いがいるイメージで、実際囲いがいる姫(男女関係なく)を見てきた。恋人に代わる恋人がいるのだ。ゲーッ!何でよ!
③これは微妙。わたしのこと好きじゃないな!って思ったら全てを抹消したくなる。愛情不足を解消してくれないまま関係を続けられる相手との交際は人生の無駄遣いだ。わたしのために人生めちゃくちゃになってくれる人じゃないと付き合いたくない。なので、攻撃はせず別れる、縁を切る、どんな形であっても終わらせる、などが正解かと思う。
④嫌だ!絶対に自分のこと傷つけたくない!!こんなにかわいいのに!!!!!!

この表に限らず、わたしの白魚のような腕を傷つけることは自分でも許されないためリストカットはするはずもなく、空リプは身内のみのアカウントで行いまた主語を明確とし、自分の恋人以外眼中になく、体調不良以外の当日欠席はなく、少し注意をするときちんと反省をし(自分が悪くないときは理論で殴りかかるが)、自分で自分の機嫌がとれないときは「いまわたしは自分で自分の機嫌をとることができません」と自己申告をし、セックスで寂しさが埋まってたまるかと本気で思う。脳ミソと下半身は別物だ。

メンヘラが自己肯定感の低いかまってちゃんをさす言葉であるならば、わたしは圧倒的にヤンデレだろうと思う。カッターは似合わない。弱すぎる。出刃包丁かチェーンソーが似合うのがわたしである。もしくはトンカチ。自分を傷つける道具を持とうと思うはずがない。
相手をぐちゃぐちゃに仕留めるものがほしい。
恋人と喧嘩のようなものをしたとき、眠る彼の隣でギャーギャー泣いたかと思えばずっと寝顔を覗きこんでいたことがある。彼は本当に殺されると思い、家の中の刃物を隠さなければと思ったらしい。あのときは「わたしのことが好きじゃないお前は偽物だ」と思って首を絞めてやろうかと思った。顔を覗きこんでいる間はひどく冷静だった。わたしと付き合える人間すごいと思う。まあそういうこともあるね。

定義付けは朝になるまで盛り上がった。
そのうちにひとつの仮説が浮かび上がった。それは、メンヘラには「先天的」「後天的」の二者があるのではないか、というものだ。

例えば、わたしの情緒不安定をメンヘラと呼ぶならば、それはどこから来るのかというと、生まれながらのホルモン異常、または自律神経が安定しないことによる精神不安である。それに加えて、家庭と中学高校時代の人間関係の不和による後天的な環境に問題があることが考えられる。そのために人格がぐちゃぐちゃになったことはあったが、もともと小さいときから自己肯定感だけはひどく高く、途中クソ人間たちに人権を否定された結果バグり、ドのつくメンヘラになってしまった。
それが大学3年生くらいのときで、わたしはダイエットをした。ダイエットをしたことで自分の外見に自信が戻り、わたしの自己肯定感はまた絶好調になった。(巻ちゃん!!!!!!!!)
以来先天的なそれだけが残り、それを理解してくれる人に恵まれた結果かきむしるような抑鬱も安定してきた。そのため、今のわたしは「ずっとちょっと体調が悪く、体調に情緒を左右される人」となる。

電話相手の彼女は自分のことを「メンヘラ」と称するが、彼女と友人をはじめて4年余り、わたしは一度も彼女のことをメンヘラだと思ったことがない。いうなれば、「ずっとちょっと体調が悪く、体調に情緒を左右される人」なのだ。彼女も生まれながらにして自律神経の調子が良くなく、天気などに左右されながら跳ね返すように生きるかっこいい友達である。
ただの、「ちょっとずっと体調が悪い人」だ。
彼女の不調を揶揄するような言葉は使いたくない。

「ちょっとずっと体調が悪い人」の語感がなんとなくよくて、彼女と何度か繰り返して言った。
そう考えると、「ずっとちょっと体調が悪い人(先天的メンヘラ)」と「環境によってメンヘラになってしまった人(後天的メンヘラ)」の違いが具体化してきた。わたしの狭い世界の知り合いは全員このどちらかに分けることが出来る。

振り分けが難しく、厄介なメンヘラはこのどちらにも属さない。彼ら彼女らは自分が一番かわいそうでいたい場合が多いように思う。こちらが心配をし続けても、彼ら彼女らは覚えていない。自分がよければそれで良い精神の人間をメンヘラと呼んでいいのだろうか?「人格破綻者」だろう。そんなものは。一緒にしたらメンヘラに失礼。

先天的メンヘラも、後天的メンヘラも、責められるべきではないと思う。彼らの失ってしまった自己肯定感は必ず彼らのせいで失ったのではない。どうか、友人として付き合い、彼らの素晴らしさをわたしが褒め称えたい。微力かもしれないが、そばにいて、わたしの愛情を受け取ってほしい。
ただ、行動で他人をビビらせてはいけない。
LINEが返ってこなくてメッセージを連投したり、切った手首を見せびらかすのは相手がびっくりするので控えよう。待ち伏せしたり家に押し掛けたりするのは怖がられるからやめよう。わたしもじっと寝顔を覗きこむのはやめます。偽物って思ったりしません。もうしません。病んでしまうくらい好きだけど、言葉によって消化させることがわたしにはできます。
相手に対して思いやりを忘れないこと、人間関係の基本の基本ッショ!(巻ちゃん!!!!!!!!)

言葉によって人を区切るのは、すごく乱暴で、わたしは好きになれません。とくにマイナスな表現のものに対して。
「お前メンヘラじゃん!」と簡単に言う人のことをひどく軽蔑します。お前の言語能力の無さによって、自分のメンタル不調と闘っている人のことを馬鹿にするな!人類みなメンヘラの気はある。その中でも色んな方向性と不安定があって、自覚のあるひとはすごい!と思う。

わたしも、こんな愛が重くて感情的で、恋人にも友達にもたくさん迷惑をかけているけれど、環境がガラッと変わって恵まれてしまったから、恩返しのためにも自分のことを考えて、人が困らない程度の愛を持って、思いあっていきたい。わたしの愛が重いのは、人によっては重くないらしい。「重いと思ったことないよ」の一言で、どれだけ心が軽くなったか、わからないと思うけど、それでも救われたし、自制を持とうという意識の芽生えのきっかけになったのだ。

どうか、メンヘラという枠に当てはめられて苦しんでいるひとが、自分なりの定義を考えて楽になれますように。
メンヘラと揶揄する馬鹿が、内省し勉強し、足りる頭になりますように。

不安定だから日々はたのしい!ね!ホヤ太郎?
🐹<ヘケッ

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