お母さん、あのね
今年秋、母が亡くなった。
すい臓がんだと分かってから1ヶ月後、母は息を引き取った。速すぎて、心も身体もついていけなかった。わたしの感覚と感情全部を置き去りにして、母は遠くへ行ってしまった。
生まれたときから父とは一緒に暮らした覚えがなく、7年間顔を合わせていなかった。ずっと、母と、姉と、三人ぼっちで暮らしてきた。
お母さんが大好きだった。母は病気だと分かってからも、わたしたちのことしか心配しなかった。母の過保護すぎる過保護に反発することもあったが、それでも、関係なく、母のことが大好きだった。わたしが大学に通うこと、勉強すること、友達と遊ぶこと、好きな人が出来ること、好きな人から愛されていること、バイトを頑張ること、就職が決まったこと、全部、全部、喜んでくれた。母がわたしを生かしてくれた。
中学生のとき、いじめが原因で、死んでしまおうと思ったことがあった。そのときのことは、あんまり覚えていないけれど、ドコモショップに行っていたはずの母が「何か嫌な予感がした」といって急に帰ってきたことがあった。母に生かされている、と思った。
高校でも、いじめの記憶で苦しくなって、友人関係がめちゃくちゃな時期があった。勉強も手につかなくて、鬱が続いた。母は全身でわたしと向き合ってくれた。分かり合えない部分もあったけれど、母がわたしを諦めていたら、わたしは今、こんなに頑張れていない。
大学に入って、落研に入ったことを、すごくすごく喜んでくれた。わたしの高座の写真を持ち歩いて、色んな人に見せていたことを、恥ずかしくも嬉しかった。卒業公演の高座を、母に見せたかった。
気を抜くと、母の死に際が頭に浮かんでしまう。痛みを必死に堪えて、わたしの名前を呼んでいた。わたしは何も出来なかった。いっぱいいっぱいで、何も出来なかった。お母さんごめんなさい
毎日、お母さんに会いたい、と思う。どうにか感情を押し殺して、色んな人に支えてもらって、なんとか今、立っている。でも、今日、12月31日のこの夜の日に、母が毎年作ってくれていた、祖母の地元の料理を、自分でいちから作ることになって、涙が止まらなくなった。お母さんみたいに、美味しく作れる気がしない。レシピもちゃんとわからない。お母さんが教えてくれなくちゃわかんないよ。釜山の料理で、大根と、昆布と、お豆腐と、牛肉を、お醤油で味付けしただけのもの。病院に持っていくからね、お母さん食べてねって言ったのに。お母さんどこいっちゃったの。
ついこの間までは、全部夢で嘘だと思っていた。思おうとしていた。でも、時間はどんどん過ぎていくし、わたしの日常はなんにも変わらないのに、お母さんだけが、いない。嘘みたい。
お母さんの大好きな和牛がね、敗者復活で勝ったけどね、優勝は出来なかったよ。お母さん、二回和牛見たかったね。単独ライブも連れて行ってあげたかった。お母さんのこと、世界で一番笑顔にしたかったな。
後悔とか、自責の念で、苦しくなって、息ができなくなることもあるけど、お母さんのためにも、わたしはなるべく笑っていようと思う。お母さんが亡くなる瞬間も、泣いてぐちゃぐちゃだったけど、わたし、笑顔を見せようって思ってたから、見えたかな。見えてたらいいな。わたし、まだまだ、感情ばっかり大きくて、抑えのきかない子供だけどがんばるから。
お母さんにどこにも行かないでほしかった。寂しいし、悲しいよ。ずっと目の前が真っ暗みたいで、苦しいけど、お姉ちゃんとふたり、みんなに支えてもらいながらだけど、がんばるからね。お母さん、見ててね。愛してるよ。お母さんが大事で、だいすきだよ。