夜中

古文の世界には、「夜」を表す言葉がいくつか存在する。
夜、宵、夜中。明け方の光を指す言葉には、暁、曙、しののめ。
国語の講師をしていると、多く言葉の説明をする。

日本語は変態達が作り上げたものだと思う。言葉の分類が細かすぎるから、研究するのも説明するのも一苦労だ。
日本語や文学の研究などはフラミンゴの形とおんなじで、片足でふらふらと立っているようだ。
それでもやめられない。わたしは今も言葉を追って生きている。

最近、死にたくてたまらない。
わたしは母以外の家族と仲が良くない。母が亡くなって半年が過ぎて、孤独感が強まり、自己嫌悪と母の死への後悔から眠れない夜が続いた。
暗いところでずっと泣き続けていた。明るい場所に出れば、冷静になってしまうと思った。母のことを忘れてのうのうと生きていけるように思えた。だから明るい場所で泣きたくなかった。
何も考えられなくなって、風呂場のドアストッパーに引っ越し用の紐をくくりつけて、首をかけようとした。
死ねなかった。
わたしは母以上に苦しんで死ぬ必要があるからだ。
もっと苦しまなくてはならない。わたしはわたしのことを許してはいけない。でも生きていてもならない。どうしたらいいかわからない。
誰かに許されたいと思っているのか。わからない。わたしは生きていていいのだろうか。
笑っていて、ふとわたしは笑っていていいのかと思う。楽しい時間を過ごした後には、家に帰るのが怖くなる。
育った家は他人のものになった。

迷惑をかけてしまうから、自室以外での生活が出来ない。今暮らしている家は、わたしの部屋の他に3部屋あるけど、立ち入るのが怖い。わたしは上手に生活ができない。
ひどく苦しい。息がつまる。
眠れるようになりたい。

夜が明けそうだ。夜が嫌いだ。
死にたくなる。毎日苦しいから助けてというのも憚る。人が隣にいると安心して眠れる。他はほとんど怖くて眠れない。
はやく死にたい。お母さんごめんなさい。

空が白んできた。

そこにいない人に、自分の見たもの、感覚や感情を伝えたいから、言葉は発達したのだと思う。
よく晴れた日には、マンションのベランダから八ヶ岳と富士山が見える。山は緑。梅雨明けのねばりけのあるような濃い青空と、ふたつの山が重なって美しいのだ。
古文の単語には「にほふ」というものがある。
意味は「美しく照りはえる」。
桐原の古文単語帳を愛用しすぎて、空で意味を言えるようになってしまった。

あまりに美しいものを見たときに、人はにおいまで感じたのだろうか。にほふ、はどうして匂うなのだろうか。
しかしたしかに山々と青空の組み合わせを見ると、原色に近い自然の匂いは強烈で、視覚だけでなく嗅覚にも訴えてくる。にほふ、は最上級の美しさを表すが、そういえば光源氏の息子たちも体臭で己の美しさを表していた。香りからおしゃれをするのは今も昔も同じだ。
人間と自然を一体として見るやまとことばの現れかもしれない。

母が死ぬ間際、わたしはずっと手を握っていた。
言葉など出てこなかった。
母はわたしの顔立ちをよく褒めた。よく見せようと顔を見せようと、したが、母の目の焦点は合っていなかったし、口は開きっぱなしで、わたしが見てきた母の姿では、もうなかった。
手は離さなかった。声は聞こえているというから必死になって話しかけたけど、やっぱり言葉は出てこなかった。
絞り出すようにたくさん話をした。つらかった。
母が母の形でなくなっていくことが怖かった。それでも手を握っていた。母を愛している。

火葬の後、母の身体がこの世からなくなってしまったことが、どうしようもなく絶望だった。
母が病におかされていると分かってから母が死ぬまでの2ヶ月間が、毎晩頭の中で繰り返されわたしを少しずつ殺していく。どうしたらいいのだろうか。

かきくらす。悲しみが心を暗くする。わたしはあくがり続けている。言葉が浮かばない。
ツイッターをやめた。情報量が多くて発狂しそうになる。落語をするのをやめた。わたしが落語をしていたせいで、家に帰らなかったから母を苦労させたのだと思うから。

わたしが死んだら、姉は二回目の喪主をやるのだろう。ごめんね。わたしが死んだらあの人は泣いてくれるかな。わたしが死んだら誰かわたしの写真を見返してくれるかな。わたしが死んだら彼は新しく恋人を作るのだろうか。それは嫌だな。わたしが死んだら、いつも慰めてくれるあの人はわたしと同じように苦しんでしまうかな。わたしが死んだら困る人がいるかな。死にたいと言ってごめんね。

生きていける勇気が欲しい。自分を許せるようになりたい。こんなに言葉があるのに、わたしは母に言葉をかけられなかった。赤信号を待っている間、飛び出すことばかり考える。人が煙草を吸っていると、吸殻を飲み込んだら死ねるかもしれないと考える。わたしは苦しまなきゃいけない。母よりも苦しんで死ななければならない。

言葉を生業としているのに、わたしは何も言えなかった。
今日も身体が重い。
わたしは今日も生きなきゃいけない。

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