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紡ぐこと、織りなすこと (2024年3月②)

東京メトロ日比谷線の六本木駅で降りて地上に出る。首都高の高架下道路と三本の道路が交わる交差点は、実際に訪れたことがない者でも、「よく見る」東京の風景かもしれない。今は、年に1回も訪れるかわからないこの場所だが、実は僕にとって、20年ほど前は毎日のように足を運んでいた懐かしい場所だ。

20代後半で最初に興した会社のオフィスは六本木だった。見栄だけで借りた猫の額ほどの雑居ビルの一室。灰皿の置いてある非常階段に出ると、ビルとビルの隙間から完成したばかりの六本木ヒルズが微かに視界に入る。イマニミテイロ、と吸い殻をもみ消してまた部屋に戻り、パソコンのキーボードを叩く。今となっては僕の一つの「歴史」だ。

日向坂46にとって初の展覧会「WE R!」が六本木ミュージアムで開催中であり、3月はじめの金曜に足を運んだ。去年(2023年)から日向坂46を追いはじめた、オタク2年生の僕にとっては、まさに日向坂46の「歴史」を学ぶ展示だ。メンバー等身大のパネルにドキドキしながら、年表を追ってフロアを進む。卒業メンバーの名前が目に付く。今なお「生きる」者たちの過去を「歴史」たらしめるのは、「今はいない」者たちの存在だ。そうでなければ、短すぎる。目と頭はぐるぐる回るが、一連のフロアを通り抜けたのは、メンバーのアクロバティックなポージングが鮮やかな入口の看板を写真に収めてから、わずか1時間余りしか経たない頃だった。

マーちゃん、俺達もう終わっちゃったのかなぁ?」
「バカヤロー、まだ始まっちゃいねぇよ」

映画『キッズ・リターン』

けやき坂46一期生、当時、他と比べて秀でてはいない文脈で語られることの多かったメンバーたち。そんな「ひとかたまりの繊維」から、一人ひとり引っ張り出され、お互いを絡ませながら撚りをかけられて紡がれてきた糸。やがて、2期生、3期生と継ぎ足し、重なり合いながら日向坂46という糸は伸びていくが、一方向だけに進んでいくだけでは「歴史」の厚みは育たない。「分かれ道に出会って違う道に歩いていく」存在が、その厚み、幅となる。
日向坂46以降の卒業生、渡邉美穂、宮田愛萌、影山優佳は既に各分野での活躍で存在感を見せているし、2023年末に卒業したばかりの潮紗理菜もその唯一無二の魅力が再び世に知られることが待ち遠しい。さらに今年、卒業を発表した齊藤京子、そして高本彩花。日向坂46のオリジンである「イッキサン」の相次ぐ卒業は本当に寂しい。しかし、道を分かれた仲間たちがそうして様々に活躍をしていくその中で、12人で集まった4期生と新たに混じり合い高め合いながら、さらに歴史の糸を紡いでいくことこそが、グループを強くするのかもしれない。

始まったばかりの日向坂46の「歴史」を感じながらミュージアムを後にし、再び鳥居坂を歩く。僕にとって、変わっていく彼女たちを見ていくことが、ただ、大事なんだろうなと考えていた。

最後に、おすすめのグルメの話をしておこう。

せっかく六本木に来たのだからと、星条旗通りまで足を伸ばした。六本木の大通りと並ぶ形で、少し北側を通る裏通りだ。その通りに面した建物の1階に『鮨 波残』はある。港区の男と女がびっしり肩を寄せるカウンターで、1席だけ空けられた大将の前の席に腰掛ける。今日はワンオペなんです、と苦笑いを浮かべて、同じビル内の系列店からの注文もさばきながら、目の前の賑やかなカウンターに対しても港区らしい客あしらいを見せる大将。その中にあって、一息つくように、一人客の僕に目配せをくれながら愛想よく料理を出してくれた。

僕好みの旨味のある酸味が立ちながらもすっきりした赤酢のシャリに、ハーブや柚子も使いながら、香りが特徴的な仕事のされたにぎりが美味い。少し時間ができたタイミングで、赤酢のこだわりや魚の火入れのポイントなどを話して教えてくれた。金目鯛の吸い物やのどぐろの焼きに対する、レアに近い絶妙な火入れは初めて体感する美味さだった。

美味い鮨と酒で気分よく大通りに戻る。六本木での歴史の旅はここまでにしよう。今日は金曜日。家に帰ってラジオも聴かないと。

これからも日向坂46を推すしかない。


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