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軋む歯車になりなさい

子どもがご機嫌でいると、大人は安心する
いつでもニコニコしてくれていたら、いい子だなとほっとする。

そうなんだけど、子どもが泣くのは悪いこと? 

ニコニコご機嫌でいてくれる方が良いけれど
泣いたり喚いたりするのは悪いことではない
そう思うとイヤイヤ期の子育てがちょっとマシに。
小さな赤ちゃんの泣き声も生きる力に聞こえてくるかも。

子どもが泣く意味〜伝える手段として〜

子どもも大人みたいな涙を流すこともあるけど、基本的に子どもの”泣く”は言葉の代わりだと思う。4〜5歳以降、悔しかったり悲しかったりして涙を流すことも増えてはくるけれど大抵のお子さんは、自我を表現するために、「これいや!」「今不快!」を伝えるために全力で泣く。

本当に大変なのは自我を爆発させて泣いている時。
(身に覚えがありますよね、うん)

生まれてすぐ人間は泣くんだよなぁ。

生まれた時は大きな声で泣くことを喜ばれるの
自分も産声に感動した覚えがあります。

生まれてすぐ泣くって動物だったら結構危ない行為で、泣けば強者に見つかり即座に食べられてしまうんだろう。あんな弱くて100%養育者がいなければ命を落とす状態なのに生まれ落ちてすぐに大きな声で泣くのは人が一人では生きていけないからではないでしょうか。

そして、産声に感動するのも大人たちがこの命を守る準備ができているからではないのかな。

人は一人で生きて行かないから生まれてすぐ泣くんじゃないのかな。

泣いて喜ばれるのは生まれた時だけか貴重だな。

ハートの部分で何かが違うって伝えてる

火がついたようになく赤ちゃんを抱いて途方に暮れた経験、子育てした人なら一回二回はあるんじゃないのかな。

”火がついたように泣いた時は何をしてもダメなんだよね”っていう先人のお言葉を胸に、ああ今は何してもダメんだな〜ってぼんやり考えられるように

次の世代に”赤ちゃんて火がついたように泣くことがあるんだよね”って伝えていきたい。”そういう時、何をしてもダメなんだよね”って。そっと声をかけてあげたい。

泣いてる本人も泣いている明確な理由なんてわからないし、そもそも知りたくもない。

そんな泣き方をする子は赤ちゃん時から割と泣く。
そしてそこそこ大きくなってもワーンと泣く。

世間はそれを”癇癪”とか”パニック”と呼ぶ。

癇癪やパニックはうるさいけれど、本当に悪いことなのかな。
全く何もなく、全てを心に秘めたまま大人になって苦しむくらいなら出しちゃえばいいんだよ。

ハートが何か違うって言ってんだ。むず痒いんだ!
そんな泣き方をできるのは子どもの特権かも。

子どもの泣き声が響いてしまう

自分の心に子どもの泣き声が響いてしまって、かわいそうで聴いていられないって大人が増えている気がします(体感です。個人の感想です。)

どうしてなのかなぁ。

子どもが減ったから真の子どもの姿を見慣れなくなったのか
きっと昔から子どもはよく泣く生き物でたくさん泣いて来たんだと思っている(のは私だけでしょうか)


大人の涙と子どもの涙は別物

小さい時からやたら泣く子がいる。

(うちの上の子ですよ・・・)

あの子はひとつひとつの泣きに応えてもらうために泣いています。

英語のことわざに軋む歯車は油さしてもらえる。みたいなことわざがある。

The squeaky one gets the oil.

ギャーギャーうるさく言えば、手をかけてもらえるから
手をかけてもらうためにギャーギャーうるさいとしか思えない。
手をかけてもらうこと、親の加護のもとに存在すれば安泰と思っている。
(ようにしか思えない)

小さいうちは養育者に応えてもらうことで解決できることの方が多くそれが解決されれば静かに寝ていたり、静かに遊んでいる赤ちゃんもいる。

でも、潜む不快をどこからか見つけて来てやたら泣く子がいます。
(うちの上の子です)

自分でご機嫌を取れるタイプのお子さんしか見たことがない大人には全く理解ができないでしょう。何せやたら泣きます。そして、泣き声がめっちゃ大きくてこの世の終わりのように泣くんですね。

これを虐待と誤認識されたりすると、育ててる人は辛いです。

でも、安心してください。
この世の終わり泣きをしていても、大切なことを守ってあげると
自制(セルフコントロール)できるようになります。

(長い道のりですけどね)

泣き喚きを繰り返す中で自分の心を見つめること

こんな小さい子どもにできるわけない
何にもわかってないって
何も分かんないで泣いてんだってそう思ったとしても
ちょっとだけ、そっか、気持ち整理してんだねって捉えること

今、ハートの中がぐちゃぐちゃになっていて、このグチャグチャがどうしたら落ち着いた波のない凪に戻せるかもわからなくて、パニック。

もう無理!って思ってるんだから、そこはぎゃーってなって仕方がないのだけれど

その気持ちに折り合いをつけてもらうためには、やはり自分でするしかない。
心は親であっても他人は入り込めはしない自分のものだから。

自分のコントロールをするのは自分しかいないものね。

誰の人生なのか、誰が舵取りをするのか
小2くらいからはそんな練習をしている。

もう泣かないよ。なんて言ったことはない。
軋む歯車になりなさい。

泣きたいだけ泣いて自分のココロの落とし所を見つけて欲しい。

存分に軋んで油をさしてもらって、よく動く歯車になりなさい。

朝の日差しは森の隅々まで届く
いつもは暗い森の中も、日の出から数分の間はじっくりと光が差す。
この瞬間を待ちわびていたように生き生きする下草。

この下草も森を支える大事な役目をしているんだって
たくさんの人が喜ぶような目立つ花を咲かせる人生じゃなくてもいい。

朝の数分の日差しを待ちわびて、大切に受けた光で光合成を
そして森の保水力に一役かっているそんな人生でも十分に素晴らしい。



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ハル@母で妻
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