「想いを深める」と「意識を高める」は対極の包含に向かう
ジョアン・ハリファックス博士の「セルフ・スチュワードシップ」のセミナーで両極の包含を決意した翌日の9月17日(日)-18日(月祝)、同じく博士が登壇される第6回GRACE研究会に参加しました。
※前日に参加したセミナーでの気づきはこちら。
第6回GRACE研究会のテーマは『意図を思い起こす~GRACEでコンパッションの源へ~』とのこと。
二日間を通して印象的だったのは、動機と意図(目的)と価値についての対談で話された時の言葉です。
こうした状態は、いつの間にか本人も気づかないうちに陥っているということも多いかと思います。
どうしたって物事は自分の想いだけでは進まないもので、家族のこと、所属組織やコミュニティのメリットなども考えていると、自分自身の軸と常に一致しているということは難しいのではないでしょうか。
その後に投げかけられた、もしそんな整合性を失った状態に陥り自分が疲弊していることに気づいたらどうしたらいいのかという質問に、ハリファックス博士はこう答えました。
これはモチベーションやインテンションの善し悪しとか、そこが一貫していないとダメとかいう話ではないと思います。
自分が奥底に持つ願いと今の状況を明確に認識することができれば、何も変えなくても現状の苦しみから抜け出すことができるかもしれないし、何かを変えようとしなくても自ずと変化しているということが起きることでしょう。
とても腑に落ち、心に残ったお話でした。
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もうひとつ、この対談の前にご登壇されていた辻信一氏のお話の中で「間(In between)」という言葉がありました。
過程を端折って結論だけ書きますと、『様々なものがこの「間」から生じるのではないか』というお話でした。
ここでいう「間」は、誰かや何かとの関係の間を指しているようでしたが、時間や空間のみを意味するわけではなく、プロセスワークなら「エッセンス」、仏教なら「空」など、何か認識できるものとなる前の「源」として表されるものに近いのではないかと感じました。そこから生じたものは、似ているものから全く異なるもの、そして対極のように見えるものまで、あらゆる形をとるものだと思います。
そう捉えると、様々な事象は見る深さによってその関係が変わるものになるのではないでしょうか。
文章で説明するとなかなか難しいので、ざっくり図にしてみると次のようなイメージです。
ハリファックス博士のおっしゃった「深く目を向けること」というのは、今見えている違いに影響を受けるのではなく、より本質的な部分を明確に見るようにせよということだと感じました。
この「深める」方向に意識を向けるとはどういうことかを考えた時、ふと、それは「高める」ことと対なのではないかという考えが浮かびました。
精神発達について学ぶと発達する時の鍵がいくつかでてきますが、中でも二元的なものの統合や、対立的なものの弁証法的解決などは発達段階の変化に大きく関わっていると言われています。
そしてその統合や弁証法的解決に向かうには、どれだけ多くの視点を得ることができるかも重要なポイントとのことです。
この前日のセミナーで「対極的なものを包含する」という意図が現れましたが、それは異なる視点に触れることでもあり、この日のセミナーを通すことで「深める」ことと「高める」こととも関わってくるのだと気づきました。
こうして図にすると、二元的に見える極が一体となる源と統合の点も対極として離れて見えますが、これが実は同じところなのだと感じます。
三次元までしか図に表せないと、この表現が限界ですね。
この30年近く、自分が体験的に感じたことと社会の中で生きることのずれをどう捉え、どんな行動を選び取るのか迷い続けていた部分がありましたが、ようやく感覚と理屈の折り合いをつけて言葉にできるようになってきたように思います。
2023年も残すところあと2か月。
来年からの活動にも向けて、伝える準備を進めていきます。
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