NPOなヒト インタビュー:社会の中で幸せにいきていけるよう『孤立しない自立』を支える ~NPO法人スマイルリング
NPO法人スマイルリング
児童養護施設や少年院を出た若者たちが抱える『生きづらさ』に寄り添いたい人たちが結集し『輪(リング)』となった自立サポート団体です。
☆毎月第3木曜日19時〜20時「スマイルリングの日」としてオンライン座談会を開催し様々な方とつながり続けている。
今回は、堀田さん(千葉)、野々村さん(帯広)、北海道NPOサポートセンター(札幌)の3か所をオンラインで繋いでの取材(2024.4.15)となりました。堀田さんはNPO法人スマイルリングの理事長で、野々村さんは理事です。自立支援の一環として合同会社スマイルリングがあります。社員の皆さんと千葉でアスファルト塗装のお仕事をされ4月25日には帯広に戻る予定です。野々村さんは子どもたちの受入れや相談や生活支援の多忙な中です。お二人とも合間を縫って取材に答えてくださいました。
【一回出会ったら、一生の付き合い】
-----スマイルリングさんの活動について教えてください。
帯広市幕別や釧路にて活動をしています。シェアハウスでの生活や仕事探しを助けています。その一環として合同会社スマイルリングがあります。また、ボクシングセッション、講話、講演会、ミナイカシ畑、月一回オンライン座談会などもしています。児童養護施設や少年院を出た若者が困り事を抱え全国から、私たちの元に相談や助けを求めてきますから、施設に訪問し知ってもらうことの大切さを感じています。そして、コロナ禍や最近は物価高と生活が苦しいので18才になる前に施設から出た方や、悪い大人に騙されたり、発達障害や知的障害を持っていたりと全国から様々と北海道までやってきます。
ボクシングセッションと講話は、坂本さんの活動(SRSスカイハイリングス)について一緒に児童養護施設に訪問したことが活動の始まりです。子どもたちと繋がることや、夢を持つ事の大切さを伝えることでした。しかし「夢なんてもてない」と言われて、ずっとその言葉がひっかかり、子どもたちに必要な事は何か?を考えるきっかけに。失敗しても頼れる人がいないのではチャレンジできない事に気づき『いつでも帰ってこれる場所』で『温かい場所や温かいごはん、迎えてくれる大人』が必要だと思い、そうなりたいと自身も活動を始めました。そうして、一回出会ったら一生の付き合いと子どもたちと接するようになりました。
【戦っても強く優しくて明るいふたりの男との出会いからスマイルリングへ】
-----スマイルリングが生まれた経緯を教えてください。
堀田-
坂本博之さんと川﨑タツキさんの二人の元ボクサーに出会い、生き直すことや自分を変えるため、このふたりに出会ったのだと思っています。
このふたりには人が集まるんです。虫もイカも明るい所に集まるでしょ。(笑)
強い男で優しくて明るくて笑顔に人が集まってくるんです。スマイルリングのスマイルは笑顔に人が集まることから名付けました。
少年院や刑務所を出た僕は、ふたりを見て自分を強く見せなくていい、イキがらなくていいと気づきました。それから、坂本さんが活動されているボクシングセッションについて歩くようになり、夢を持つ事の大切さを伝えました。その活動を通して「生きづらさに寄り添いたい」と僕の価値観に変化もありました。
坂本さんは「想いは言葉だけでなく行動で表現できる」と言うので、実際に子どもたちのパンチを受けると、思いを込めて打ってきました。悔しいとか嬉しいとか、涙を浮かべたり、小さい子は笑ったりと。セッションの最後に話を聞くとスッキリした!と教えてくれます。
そんな中、「夢なんて持てない」と言った子どもの言葉を受け止め考えたときスマイルリングの活動に繋がりました。
スマイルリングとしては養護施設に訪問することから始めました。そのうち自身の経験から個人的に少年院に訪問していたので、ふと「児童養護施設を知っているか?」と尋ねると半分以上の手が上がりました。だったら区別しないで両方訪問しようと当時の活動仲間に伝えると定款では養護施設の訪問のみでしたから反対もありましたが、どちらにも訪問できるようになりました。
【ミナイカシ畑】
-----コロナ禍での活動はどのようにされていましたか?
堀田-訪問の時にはボクシングセッションや講話をして、何かあった時にスマイルリングを思い出して欲しいので、印象に残ることをしようと考えました。子どもたちに喜んでもらおうと花火師さんを呼んで花火の打ち上げをしたこともありましたが、コロナ禍では一番大切にしていた「つながること」が出来なくなりました。後々に相談のしやすいように在園中につながっておく必要がありますが、訪問できない時期が続き在園児の入れ替えなどで、つながれず本当に残念でした。
そこで外で密にならない活動は何かと考えて、畑事業を始めることにしました。
畑作業は外で密にはならないので人が集まりました。農作業しながら話もできました。外国の方、大学生、親子、少年院の子、児童養護施設の子、学校の先生、オーガニックが好きなお母さんが子どもや旦那さんを連れてきたりで、畑で作るランチだけを食べに来る青年もいました。とにかく、みんなで食べたり話したりと集まれて、いいコミュニティになっていると思います。
【過去を価値に。青年たちが社会で見守り・つながり・支えていく存在へ】
-----社会にメッセージを伝える大切さを教えてください。
野々村-堀田が孤軍奮闘しているのを知って仲間になりました。社会的養護の青年達のアフターフォローは大切だと思いましたし、堀田の人生経験は子どもだけでは無く社会に対するメッセージになると思いましたから。SNSの発信や膝詰めの座談会などで社会にメッセージを伝え続けています。『まずは知ること』は大切な事だと感じます。子供や青年は社会のみんなで応援したいのです。その為、連携先をどんどん増やすことを大切にしています。発達障害などの特性を持つ子も多いため、医療や福祉、行政、、、ありとあらゆる、様々な繋がりが必要だと思います。北海道NPOサポートセンター様には、経理業務のサポートなどで本当に助けて頂いており、本当に心強いです。
【自立とは何かを問う】
-----取材を終えての感想
スマイルリングさんを初めて知ったのは2020年11月21日(土)札幌ちえりあホールにて女子少年院ドキュメンタリー映画『記憶』がきっかけで、理事長の堀田さんが実行委員をされていて、Facebookで活動を知りました。ぜひ、皆さんにも見て欲しい映画で、実話のメッセージは迫力があります。堀田さんの様に乗り越えてきた人や真摯に支える野々村さんには特有の優しさがあり笑顔が素敵です。きっとその明るさに子どもたちも集まるのだと思います。
ミナイカシ畑の名前の由来を聞きそびれましたので、畑に出かけて農作業しながら聴いてみたいと思います。「ランチ食べるだけも大丈夫ですよ」と野々村さん。堀田さんの話しは面白いです。そのように温かい言葉や態度でその子がやる気になるまで見守り続けています。初め畑作業に一切興味を示さずにいた若者は、いつのまにか畑のマスコットになり一緒に作業して、赤ちゃんを連れて来たお母さんは平気で入れ墨が入っている若者に我が子を抱っこさせてくれた事も教えてくれました。とても大切なエピソードだと思います。命を抱っこすることが出来た若者の気持ちを知りたいと思いました。最後になりますが、「自立とは何だろうと思うんです。」と言った堀田さんが印象的でした。取材に協力頂きましたスマイルリングさん!有り難うございます。
(編集ボランティア城島)