絶交しよう

 そもそも、君とは一度、訣別したはずだった。あの朝、僕は自分の直感を信じておけば良かった。あの日はとても晴れていて、嫌な予感がしていた。

 前日の夕方、君から連絡が入っていた。季節限定バーガーを買ったから「一緒に食べる?」、そういう連絡だった。
 断りの返事を送った直後、君が「今、家?」と電話口で訊いたから「家」と答えた。家でイェーイ、と言おうとしたとき、君からの質問が返ってきた。
「1人?」
「いや、違うけど」
「あ、カコちゃんか! 邪魔した?」
「まぁ……でも、もう帰るかって話してたとこだよ」
 僕の返事を聞いた君は、絞り出すように「あ〜」と唸ってから「いやあのさ、これ2人分しかなくて……そのまま持って行ったら嫌がるかな〜?」と苦笑いの声で言う。

 カコちゃんは、以前から僕が君と会うことを嫌がっていた。
 君がカコちゃんと初めて会ったとき、君は「嫌いです」と言われていた。理由は僕と仲が良すぎるからとのことだったが、酔い潰れていた君はそのことを全く記憶しなかったらしい。後日、僕から「嫌いなんだって」と教えても、「それはお前の嘘だから」と真面に聞いてもらえなかった。
 事実、君からの着信に出た僕の腕は、しばらくの間、カコちゃんの指先につねられていた。

 君はその夕方、否が応でも僕と季節限定バーガーを食べるつもりだったようで、「じゃあ僕がそっちに行くよ」と返事をした。
 カコちゃんが「行くんだ」と鋭い目で、通話を切った僕を睨んだ。


 僕は君の家に着いた後、差し出された2つのうちの1つを選んで、そのハンバーガーを食べた。君が最近の睡眠について「バグってきた」と話しているのを聞きながら、セットのフライドポテトも食べていた。食べていた物はどちらもおいしかったが、聞いていた話は胃に悪そうな内容だった。

 話をしていると、もう夜中になっていた。慣れたように「泊まっていきな」と君が言う。「もう暗いし、危ないから」などと飲み会帰りの女子にやるみたいに、心配したような顔をする。それは毎回、なぜか毎回、必ず言われる。だから毎回、僕はすっとぼけた返事をする。
「いくら僕が可愛くても、夜道歩けないほどではないだろ」
「何言ってんの? 発情した猫とか出るよ」
 君の眼差しは真剣だったが、僕には笑えた。
「猫かよ。危険性ゼロじゃん」
「いや暗かったら怖いだろ。足元見づらいし」
「まあ、急に飛び出してきそうな感じは怖いけど……」
 君が僕を家に上げてくれるときは、成り行きで僕を泊めてくれることが多い。それを薄々勘づいた状態で、僕は君の家へ遊びに行く。勿論、この日もそうだった。会おうという誘いが君からのときは特に、君が1人でいるのを避けたがっているときだ。

 ただ、僕はその夜も眠れなかった。最近の入眠時間が遅いだの昼過ぎまで寝てしまうだのと話していた君のほうが早くに寝て、ぐっすりだった。
 憐れにもハンバーガーに釣られた僕は、おそらく、睡眠バグを起こしている君が入眠するまでの要員として呼ばれたのだろう。君が僕へ連絡をした理由が少し分かって安心した。だから、僕は朝が来たら帰ろうと思った。
 外が少し明るくなり、踏切の音が聞こえてきた。僕は君宛てに書き置きを残した。まだ暗い部屋の中、手に取ったボールペンが赤色のインクで、ぼんやりと書いた字が弱々しく、まるでダイイングメッセージのような付箋メモになっていた。大きめの飴玉4つ(君と会ってすぐ渡すつもりだった)も添えて、机の上へ置く。目覚めた君がこの書き置きの異様さに笑ってくれればいい、などと考えた。
 僕の帰る支度が整っても、君は目覚める様子がなかった。それで、いざ君の家を出ようとしたのだが、その後の事を考えて足が止まった。僕がこの家を出たとして、その後、ここの鍵は開きっぱなしになるのだろう……そう考えて、僕は出ていけなくなった。
 以前にも、その朝と同じく早朝に帰ろうと考えたことがあり、そのときは帰った。君は眠っていて(というか僕が眠れずで)、帰る直前に君の頭をひと擽りだけして何も言わずに帰った。確か、そのときは鍵のことについて特段、注意は受けなかった(あるいは、何か言われたのを僕は忘れている)。だが、自分が目覚めたときに家の鍵が開いていたら、気味が悪いだろう。繊細な君なら尚更。
 以前よりも頭の回っていた僕は、装着したショルダーバッグを装備から外し、まだ帰らないことにした。君に気づかれる前にと、ダイイングメッセージのようなブツをショルダーバッグの中へ突っ込んだ。
 その2〜3時間後に、君は目を覚ましたようだった。他人の寝息をBGMにスマートフォンのパズルゲームで遊んでいた僕は、寝覚めたらしい君から「電気つけて」と促された。朝の挨拶より先に「目悪くなるよ」と言われてしまい、僕は部屋の灯りを点けながら「おはよう」と返事をした。君はいつもそうだ、僕が朝の光に頼って読書をするのもゲームをするのも許してくれない。
 そして、君は当然のように「朝ごはん食べていきなね」と言った。夜通しスマートフォンを自由にいじれなかった不眠の僕は、毎回その返事に惑う。その朝は「要らない」とも「自分ちで食べるよ」とも言えなかった。机の上の飴玉たちを見つけた君が笑顔を見せている。

 昼までは映画を観て過ごした。何本か観ていて集中が切れていたのか、内容に興味がなかったのか好ましくなかったのか、主役俳優の顔を見た君が「この人かっこいい?」と訊いてきた。僕が頷けば、君は自分の予想が当たっていることに喜ぶ。そう分かっていたから僕は「かっこいいよ」と答えた。この現代、カメラを向けられるような役者なら当然のように美貌だろうよ……そういう気持ちで答えた。
 そういう返答をするから、君の中の僕は本来ある僕とずれた思想の持ち主と化している。例えば、何を飲むか訊かれて「水」と答え続けてきた僕は、君の中でコーヒーを嫌っていたのだが、実際の僕はコーヒーも無理なく飲める人間である。
 この『コーヒー嫌いだもんな事件』は、その朝に起きた出来事だった。君と再び会うようになってから少なくとも2年は過ぎていたが、その朝まで、君の中の僕はコーヒーを嫌って飲まない人間だったらしい。これまでにも、つい数ヶ月前にも、一緒に喫茶店へ出かけて同じ店のコーヒーを飲んでいたが、君の記憶には残っていなかったようだ。君がホットで僕がアイスを、君がラテで僕がブラックを、そういう選び方をするからかもしれない。ホットコーヒーのカップのほうがそれらしい見た目をしているとも思う。ガラスカップに入ったアイスコーヒーは一見、氷入りのコーラにも見えかねない。コーヒーもコーラも同じ「コー」が付いているわけだし、君は僕がコーヒーを飲めることを知らないのも頷ける……なんてな。
 実のところ、君は僕の選ぶ物に興味がないのだろう。僕の発する言葉へも同様に。


 前日の君が眠りから覚めた時刻を過ぎる頃、君と僕とで言い合いになっていた。話の発端は分からない。だが、君曰く、口論になるのは僕のせいらしい。君が思うならそうなのだろう。人間分析が好きな君へ、僕が僕の自己分析を発表しようとしたところまでは覚えている。
 君が僕の考えに違和感を持つ時、それは大抵、僕の中ではどうでもいいことだったり結果が出ていることだったりする。しかし、またしても僕のネガティヴ・ロンリネス・捻くれハートが君のポジティヴ・ラブリネス・自尊ハートを引っ掻いてしまったようだった。僕は慣れているつもりでいる……君を傷付け、君に傷付けられてきた捻くれハートだ。一方で、君は慣れていないというか根気強いというか……僕の思想を認めず去なすのが君の自尊ハートだ。第三者でなく僕によって僕自身の話をしていても、僕の中にあるひとつの傾向に対して、君はそうなることが多い。

 僕は君との会話に疲れていたから、数年前まで会わないようにしていた。何が切っかけだったのだろう、僕の自律神経に乱れがあったのか、君と再び、よく会うようになった。僕が君へ他人行儀に振る舞えば、気楽に話せると分かったからだったのかもしれない。君とは知り合っていれど親しくない間柄なのだと思い込めば、幾分か話しやすく思えていた。
 それから今年に入って、君はまた人と諍いを起こして、人と離れた。そして暇になった君が、話のできるようになった僕を暇潰しに使っていたのだろう。僕も君と話せるようになって少しは嬉しかったはずだ、会わないでいたときよりは心を開いていたのだろう。僕は君の言い分を聞いていた、ずっと。君も僕の考えを聞かされていたはずだ、ずっと。
 だが、僕は元より、君と会うのをやめたほどに君との会話を嫌っていた。つまり、自分の話などするものではなかったのだろう。それなのに自分の内面を君に説くだなんて、自分から嫌な口論を持ちかけたようなものだ。何が自己分析だ……。あの日の天気の良さが、僕を調子に乗せたに違いない。
 君は、君自身と世間一般や僕を見比べて「これが普通だ」「お前はおかしい」「そんなのはあり得ない」と捲し立て、僕を何度も否定してきた。僕はそのことを忘れていたようだ。君の正義はいつも君の中にしかなくて、僕の正義は許されないし認められない。排他的な君の中で、許されなかった僕は存在していなかったことになる。君と対立したとき、悪者役を当てがわれるのはいつも僕のほうだった。
 それが僕にとってどれだけ虚しいか、と説明していたときには既に、認めない君と認めてもらいたい僕で口論になっていた。その前に会ったときも同じような内容で口論をしていたから、「君に僕を否定する気はないと思うけど、僕は君の前で存在してないみたいに思えるだけだよ」と話の決着をつけようとした。昔話だから、今は君へ何も思っていないから、とも言ってみた。だが、それはなかなか伝わらない。何回でも新鮮に虚しくなる。

 君は感情に訴えて話す人だから、僕も今回は感情表現の言葉を多用してみたのだが、僕の説明も感覚も訴えも事実も本心も過去も、ひとつも認めてもらえなかった。
 理屈くさい表現を嫌う君だから、僕の思う理由を敢えて明確にせず、悲しいだの苦しいだのと喩えて話してみたのに、それでも伝えたい部分が全く伝わらなかった。挙げ句、「前よりは長く黙って聞いてやってんのに」と言われた。

 僕の話は途中だったが、君が溜め込んでいた諸々の連絡を返してくると言い、口論は何度目かの中断に入った。君が連絡をし終えた後、動画サイトを見始めたのが分かった。
 君の必殺技とも言えよう、聞き逃げである。僕だけではない、君は他人の感情と向き合う気がない。この場合は、君が僕を言い負かした気にならないと終われない。これまでもそうだった。口論を再開しようとすれば、話の尾を引いた僕の負け、君はそう言いたがる。
 もう何を言ってもどう説明しても、君の前では意味を成さない。僕は帰ろうとした。だが、そこで君は「泊まっていきなよ」と僕へ告げる。もはや、僕は君を解せなかった。

 話し始めてから8時間ほどが過ぎていた。よく話せていたと思う、それでも伝えたいことが伝わらなかったのが屈辱的に思えた。
 そうして、目尻がつねられたみたいに痛くなって、涙が出た。久しぶりに君の前で、そうなった。寧ろ、君のおかげで僕はこれまで感情を失くせていたのに、その日の僕は君の理解を求めてしまい、僕を認めない君が故に、涙が出たのだろう。
 泣く理由を訊かれたから「話を聞いてもらえた嬉し泣きだよ」と皮肉を言ってみたが、君の前で取り繕うようなことを続けてきた僕だからか、君にはその言葉を鵜呑みにされた。意地汚い皮肉ですら、君のポジティヴ・ラブリネス・自尊ハートの前では純粋な感謝となる。
 しかしながら事実、このとき感謝すべきは僕であったわけで、「嬉しいから泣いてるし、僕が嘘泣きできるほど器用じゃないことはキョウちゃんも知ってるだろ」と付け加えた。君の前にいる僕は君の思う僕にしかならない……それは口論の中でも何度か説明してみたが、その繰り返しは君への耳障りでしかなかったようだった。
 君は、僕が君の言った通りにならないと怒る。10年ほど前から変わらない、君の昔からの性格だ。僕は君のお人形でいることに疲れたから、君と訣別したつもりでいたはずなのに、それを失念していた。君へ他人行儀な振る舞いをし始めた時点で、思い出すべきだった。否、再び君と会うようになった僕への罰だったのかもしれない。君のお人形に成りきれなかった僕は、君と関わらないほうが良かったのだろう。

 僕の中のある思想について、君は「もっと明るく考えたら?」と言う。
 十二分に自覚しているつもりだが、僕の考え方は暗い。これが君の中では禁忌と同等に扱われるらしく、前向きに考えれば僕の悪い思考はなくせる、というような助言を君からされ続けてきた。僕はその度に、そこにある僕の感情を破り捨てられているような気分になって、励まされているという状況は理解できるが、どうにも僕自身が否定されているとしか思えなくなった。だから君とは数年前まで会わないようにしていた。その期間中、何も知らない君は度々、僕へ遊びの誘いを寄越してくれていたが。
 それ以降、君とまた頻繁に会うようになって、僕が君の言い分を聞くとき、僕は君の考えを否定しないように気をつけてきた。君を励ますことだってある。僕の全部が全部、ネガティヴ・ロンリネス・捻くれハートなわけではない。君にとって卑屈に見えてもそれが僕の謙虚さだとか、君にとって耳を塞ぎたくなる話でもそれが僕の実体験だったとか、そういうところがいつも伝わらない。僕は僕で自分を認めていたいのに、君の前では認めてもらえない。

 もはや、虚しさだけがそこにあった。目と鼻から出る水でティッシュを10枚ほどひたひたにしたところで、君が「なんでそんなに悲しい考え方してんの?」と嘆いた。だから「僕は今、悲しそうな顔か」と君へ訊いた。それで「悲しそうに決まってるよ、泣いてるし」と返事があったから、どうして長話を聞かせた側の僕が悲しがる必要があるのか、僕が君の前で嬉しいと言えば君の目には僕が嬉しそうに見えるものだろう、君の前で僕はずっとそうしてきたし、君も君の中の僕もそうあるのだから、と思った。
 思いながら、君へ「それは、この泣き顔に君が同情しようとしてるだけだよ。僕はほんとに嬉しくて泣いたんだ」と何度も繰り返して伝えた。すると「本当に?」と返されて、「僕が嘘ついてるように思う?」と言うと、「いや、信じるよ」などとすんなり聞き入れてもらえて、なんというか、もう本当に馬鹿馬鹿しかった。


 眠る準備を整えられ、やはり僕は自分の家に帰してもらえなかった。なぜこの状況なのに「帰れ」と君がならないのか、と思った。僕は君へ、君の共感できないだろう話を捲し立てていたのに、君は君でそれをひとつも漏らさず「やめなよ」と言ったのに、まだここへ僕を縛る理由が解らない。涙が止まらない。止まったと思っても、1人の時間をもらえないのが苦しくて落ち着かなくて、また涙が出た。酷いことは言われていない。過去にあった僕の感情が無いものとされてしまったことと、その時々の僕にも感情はあるという説明を上手く伝えられないことがつらかった。それだけだ。それだけで涙が出ている意味も、分からなかった。
 部屋の隅で隠れてぼろぼろと顔面を濡らしていたところ、消灯の寸前で君に見つかってしまい、また話が始まった。僕はもう終わらせたし、切り上げられてしまった話なのに、また掘り返され、蒸し返された。気持ちの整理をつけていたのに、当たり障りのない「分かったから」という君なりの謝り方すら嫌で、まだまだ涙も弁舌も止まらなかった。人間、こんなにも立て板に水になるのかよ、と思った。いろんな意味で。

 しばらくして、僕の話に飽きたのか、僕がまた話し過ぎたのか、君は「そんなに責めたいなら黙って聞いててやるから全部言えよ」の姿勢をとった。その姿勢は君の合図のようなもので、君に自覚はないようだが、僕を受け入れようとしないときの君の癖だった。僕へ向かって「一生そう思ってろ、本当はそうじゃないけどな」という態度だ。
 その姿勢になった君は僕の話を聞く気が全くない。何を言っても、僕の感情は蔑ろにされる。それも嫌で、久しぶりに僕は君へ強い言葉を投げつけた。「そうやって僕の話は聞き流して、ずっと黙って相手に喋らせてあげてる自分を穏やかで優しくて冷静で謙虚で誠実な奴だって思い込んどけ。いつまでも他人をお前の中で見下すための材料に使えよ。誰に対してもいつまでも偉ぶっとけカス、怖気づいて他人と向き合うことすら碌にできん奴がよ」というようなことを言った。無論、その発言が君の気を害したらしい。君が風呂に行ってしまった。

 そうして聞き逃げされた1時間後、消灯しなかった部屋の中で好きな曲のミュージックビデオを見漁る君へ、「言い過ぎた、ごめん」と僕は言った。君は横目に「いいよ、気にしてないから」と気まずそうな笑みと共に返答をくださったが、君の中で僕の言葉はどう足掻いても無かったことにされるのだと改めて分かって、僕は君との絶交を決意した。気にしろよ、お前に宛てた暴言だぞ、などという僕の感情は傲慢なのだろう。僕が最後に言ったのは暴言だったから、それを君が無かったことにするのは当然とも思える。
 僕が謝ったことに安心したのか、その言葉すら聞きたくなかったのか、君はイヤホンで両耳を塞いだ。僕は借りた毛布を頭の先まで被り、まだ熱い目尻を気にしながら、いつの間にか寝入った。


 その夜、君に泊めてもらえた僕としては珍しく、眠れた。君の部屋で眠ったのはいつぶりだろう、と体を起こす。寝る前より床が冷たく感じた、それまで自分が寝転んでいたはずなのに。
 ベッドの上の君は、まだ眠っていた。僕は顔を洗ってすぐ帰ろうとしたが、前日の早朝に踏みとどまったのを思い出して、顔を洗うまでにとどめた。

 眠る前の君も、また目を覚ました君も、僕へ朝食を食べて帰るよう勧めた。おまけに床で寝たことを怒られた。
 そこまでくると、もうただ単に君からの温情や慈悲が憎くて仕方がなかった。君の布団に入れてもらったとき、君の足側に枕を置いて寝かされ、睡眠中に脇腹を強く蹴られて目覚める不快感を、君は知らない。僕の習慣は眠る寸前までスマートフォンをいじることなのに、君が僕の眼球を気にかけて本気で止めに来るから、やらないでいる。
 君の家に泊まる僕は毎度、異様な緊張状態に陥っていて、君の横では眠れない。いつも君より僕が後に眠って、先に起きている(ふりをしている)。僕はいつも眠れていない、どうせ君はそれを知らない。
 僕が君の家で眠れたその朝は、寧ろ、褒められても良かったはずだった。
 その日の僕は、君の作る朝食を断った。

 帰る直前、君は両方の手のひらを表へ向けて「はい」と僕へ差し出した。玄関先で手を握ろうとするのは君の癖だ、僕の気も構わず君は昨晩に泣いた僕のために何か激励の一言を言うに違いなかった。僕はそれを無視して出ようとしたが、両手で『お手』をしないと君の気は済まなかったようで、僕は君の両手を握らされた。君の中の僕は、いつまでもお人形のままだ。
 君が「一緒に頑張ろう、頑張りすぎなくていいから」などと宣う。僕は「ばいばい」と返事をした。もう会う気はない、君がくれた激励で更に決意が固まった。僕を鼓舞してやろうとするその表情がわざとらしくて、うざったい。目を合わせるのさえ気色悪かった。
 寝起きの君に「絶交だ」と言っても、どうせしょぼくれた表情を見せつけられて終わる。今日を忘れる君は、おそらく次回も懲りずに会おうとしてくれるだろう。だが、僕は短くとも今年度いっぱいは君とは会わないと誓った。
 そうして君の家の玄関を出た。家主がその鍵を閉める音がした。


 僕は帰ってすぐ、気持ちの整頓をした。やっと帰れた……。自分1人になれなかった昨晩を思い出して、息が詰まりそうになった。水を飲んで、その後すぐに寝た。
 数時間後に起きても、まだ眠かったのか、目が疲れていたのか、スマートフォンを見ようとしても目を閉じてしまった。窓の外の明るさを脳が受け付けないような感覚だった。カーテンを閉め直してから、その日のほとんどは眠って過ごした。
 確か、昼過ぎに君からの着信があった。着信画面は見ていなかったが、発信者が君なのは分かった。きっと君は眠りから覚めた頃なのだろう。また君の気紛れに釣られるのも、その後で虚しくなるのも御免だと思い、着信には応えなかった。

 直後、僕はまた眠り、目覚めたのは夕方だった。スマートフォンを見てみると、着信記録と何通かの文面が届いていた。文面の内容は「これまで分かってあげられなくてごめん」「これからはもっと分かってあげたいから、もっとお前の事を教えて」というものだった。何が悲しいのか寂しいのか、泣き顔の絵文字が文末にいくつか繋がっていた。その下に「ごめんね」のスタンプが2種、押されていた。
 君の罪悪感を知らされたところで、僕に君を許す気は湧かないし、昨晩の出来事と僕の決意は消化されない。しかし、その返事をしなければ君がこの家へ押しかけて来るだろうと思った。君の家を出た朝にも予想したが、やはり今すぐに絶交とはいかないようだ。僕は粗い文面で君へ返信をした。
 間もなく、君が僕の薄っぺらな文面へ返事をくれた。内容は「これからそっちに行く、軽めのごはん買うけど何が食べたい?」と届いていた。謝られたいわけではない。たった一言の謝罪で過去から現在に至る君のありがたくない金言を受け入れられたなら、僕はその昨晩、涙を流さなかっただろう。会いたいわけがない。僕は「今日は遠慮するね」と返信した。

 これは余談だが、そのとき、君からは精神科に罹るよう勧められた。それを読んだときは、さすがに笑った。
 あの日、僕が理解を求めた相手は君だった。たとえ医者に自分の話を聞いてもらえたとしても、柔らかな相槌と同情や共感と、僕の考え方を変えるよう助言を受けることになるのだろう。医者に話したからといって、それまで僕を認めてこなかった君に、今更、僕を理解してもらえる確証などない。
 君の考え方は僕に変えられない。そのことは、この身を持って体感してきた。君は僕が言いなりにならないと、僕を許さない。腹を括った僕が君へ暴言を吐いたにも関わらず、それすら君は相手にしなかった。僕は君の相手に成り得ない。君から他人への寄り添いはあれど、僕への尊重などは皆無。君は君の善意や正義に準えて他人を裁く。だから僕も、それを君宛てに暴言という形で真似ただけに過ぎない。
 それに、この思考が病んでいることなど、君に忠告されるより6年以上は前から自覚している。あいにく君には気づかれていなかったようだが、僕は僕自身を俯瞰する自己を先生として生きるようになっている。また、君を自分の合わせ鏡のように見ていて、同時に君のカウンセラーのような動きもしてきた。君の自尊心を傷つけないように、君の気が病まないように、そうしてきた。
 この絶交は、僕がその役割から降りるという決意表明だ。転じて、君と話すこと自体が面倒に思えたという僕の結果であり、君とは分かり合えないという今までの僕への成果だ。

 精神科には行きたくなったときに行くと返事をしたついでに、「君のことは好きだし、僕は悲しくも怒ってもないから安心していてね。分かろうとしてもらえて嬉しい、ありがとう」と全部嘘の送信をした。君からのラブリネスな返信がなかなか止まず、煩わしかったから、「映画観てくる。寒いから風邪引かないように過ごしてね」と切り上げた。君からの返信が来ていたようだったが、もう見たくなかった。


 年末と呼ばれる時期だから、今年は君と話しすぎたから、君を悲しませることしか言えなくなったから、僕の感情は無いから、君と会うことに慣れてしまったから、この捻くれた性格を認めてもらえそうにないから、君に理解されようとしてしまったから、君の前では本心を晒せなくなったから、それまで以前の関係に戻ろう。
 いつか君が僕を受け入れてくれたときは、「そんな考え方をするなんて君らしくないよ」などと助言してあげよう。君が僕を嫌えば、それが僕の過去への報いになるだろう。
 僕は、君と絶交する。