亡き祖母について
*以下のテキストは東京芸術劇場で行われた Asian Performing Arts Camp, In-Tokyo Sharing Session のために書かれたものです。
亡き祖母について
2023.10.7
今年の3月に会った時は大好きなレストランに行って、親子丼か何かを一緒に食べて、いつもの武勇伝を聞かせてくれた。親代わりに兄弟の面倒を見ていた戦時中のこと、級長だった学生時代のこと、卒業してエリート銀行員になったこと、裁縫学校で師範にならないかと言われたこと、おじいちゃんが脱サラしてすぐ倒産して、でも自分がその分働いたこと、所長からこっそりボーナスをもらったこと、息子と娘を大学に入れたこと、貯金まで作ってマンションを買ったこと、早口に、とても力強く話してくれた。人生フルバージョンで聞けたのは初めてかもしれないなと考えつつ、相槌はどんどんテキトーになって、それもいつものように気づかずお構いなしに話し続けている。顔はつやつやしていて、目は真っ直ぐに大きく見開いて、たくさんの時間が乱反射した。
9月が終わるころ、祖母が入院している病院から、もうそれほどながくはないので会える時にあってくれとの連絡があり、僕はその週末に東京に戻る予定だったので、その日に家族でお見舞いに行くことになった。京都から新幹線で新横浜に降り、新しくなってからは知らなかった相鉄で向かうと、こぢんまりとした駅があり、そこから数分のところにこぢんまりとした病院があり、その2階にその人がいた。「面会は1日2人までなんですが…、今日だけ特別ですよ」と看護師さんが言った。奥からおじさん(祖母の息子)が出てきて、偶然その日その時間、家族が集まっていた。でもルールで1人ずつしか会えなかったのだが、それで僕の番になって、祖母の病床に向かう。カーテンの布に手をかけ、横にスライドする。少しずつ布団が見える。
いた
全てが異なっていた、その存在、削ぎ落とされた、樹皮の肌、熱く、乾いていて、うす茶色の大きなシミがベージュの毛の中にある、しかしそれは薄く柔らかく、まとわった、薄緑色の布の中に、細い枝を垂らし、羽織のあいだから、グレイのケーブルがループしながら、四角いマシンに接続され、透明のチューブの、中を人工的な緑色の、液体が滞っている、喉はごぽごぽと音を立てて、痰と呼吸がせめぎ合う、ただ言葉もなく、
その触覚がずっと残っている
目は真っ直ぐに大きく見開いて、こちらを見据えていた、しろくにごり、よどみながら、周囲もろとも、吸い込むようにして、全ての時間を、今に吸い込むようにして、無垢に、にぶく確実に、つらぬく。
その日の深夜、眠っている母の携帯が異様に鳴った。祖母の病院の名が書かれていた。
父が車を飛ばした。
部屋が移されており、向かう、「処置室」と書かれた部屋の、引き戸を横にスライドする、少しずつ布団が見える。
それはもう動かなくなっていた
さっきよりも暖かくない
乾き切った口元にはまだマスクがされていて
“ジリキデノコキュウトシンパクヲオコナエナクナッテオリ”
まだ暖かい
黒曜石のような目が薄く見えて
上滑りする
“エーゲンザイジューガツフツカゴゼンニジゴリンジューデス”
まだそこにいる
何かを感じている
遠く薄れゆく
何十年もの間一生懸命働いてきた、乗り越えてきたあらゆること、全ての人生
モノになっていく
白い腕、ガウンに包まれて、白いかけ布、ベッドのフレーム、つるりとした床、カーテン、蛍光灯、さまざまな装置、なりつづくアラート、を鼓膜へと伝える空気、を吸うマスク越しの口、から続く内臓、筋肉、赤い腕
全てが茶番
全てが等価に
家族は呼び出され、まだ暖かい「死んだ」祖母の肉体を処置室に残して、待合室に移る。知らない医師がおり、死亡証明書と生命保険についての同意書について、これみよがしに悲しげに、懇切丁寧に説明をする。死亡証明書の原本は役所に提出したあと手元に残らないのでコピーをとっておき、保険会社に提出する診断書はそれぞれにフォーマットが異なるので、確認次第病院に本人が出向いてください。それらの発行には手数料が必要です。ガスや水道料金などの解約手続きはお早めに行なってください。病院にはご遺体を冷やす設備がないので今すぐ葬儀業者に連絡し、引き取る手筈を伝えてください。その際、お母さまのお名前と業者名を守衛のものに名乗ってもらうよう伝えてください。
全てが上滑りする。
祖母の肉体は、看護師が死化粧を施し、すぐに現れた異様に肩幅の広い葬儀屋のバンで、さっさと運ばれた。「死んだ」瞬間、まるで最初から決まっていたかのように全ての機能がそのバグを自動的に修復してしまうように、滞りなく処理が行われ、祖母は「正常に死んだ」。
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