パーソナルスペースの境界をこれほどビリビリと感じることがあるだろうか【Uber Existence】
店員さんのものすごい視線が印象的だった前回に続いて、まだまだスカイツリーのふもとでウバイグは続く。
喫煙所にいた酔っ払いに話しかける
ご友人とお別れしたあとは、周辺をブラブラと散歩していた。すると、喫煙所の横で、たむろする酔っ払った学生が目に入った。ユーザーさんは、「せっかくだから、もっと知らない人に話しかけてみたい」と言い、「いったんそこに座って」と指示を出した。「そこ」というのは、学生たちがたむろしている喫煙所横のスペースの斜向かいにあるベンチのことだ。きっとユーザーさんは、近くに座って様子を伺いつつ、話しかける機会を伺おうということだと思う。しかし、「そこ」というのは、あまりにも近い。座った瞬間にも彼らと話が始まってしまうくらいには近い位置なのだ。ユーザーさんは「あ〜、これ何から話しかけようかなあ」などと悠長なことを言っている。全然その距離感が伝わっていない。だが、私の全身にはビリビリと彼らとのパーソナルスペースが触れ合う電流が流れていて、彼らに今すぐにでも話しかけなければ、少しもそこにいることができないという感覚を直に感じていたのだ。
結局私は、もうその状況に耐えられず、指示を無視してその場を離れてしまった…。とんだ任務不履行である…。
…
一旦、作戦を立て直し、体勢を整えて再び挑戦することになった。ユーザーさんには、「彼らがもう見えてきたあたりですぐに話しかけるくらいの距離感覚で」と伝えた。話題は、すぐ隣の個室の喫煙所が閉まっていたので、他に喫煙所がどこにあるか聞くことになった(現に私は少し吸いたかったのでありがたかった)。
そして、いよいよ話しかける。近づくと同時にユーザーさんが、「喫煙所ってどこにありますかね〜」と話しかけ、最初の問題はクリアした!男性2人と女性1人で会話していたが、手前にいた男性が驚くほど自然に話してくれ、かなり親身に対応してくれた。
「ではでは〜」等と言って一通りの会話が終わった。その後何も指示がない。ユーザーさんも緊張が解けたようで「いやあ〜むずい」とか言っている。が、しかしその場を離れる指示がないので、その場に留まらざるをえない。現場は非常に気まずい雰囲気になって、その3人は不思議そうに(「なんで行かないの?」)という視線をこちらに向けている。辛い。この間、3秒くらい。だが、本当にずっと長い時間その場で固まっていたような気がした。
生体認証とパスワード
戦争を終え、またしばらく歩くと、スカイツリーがいい感じに見える橋に差し掛かった。スカイツリーをバックに写真を撮ってもらいたいということになった。頼めそうな青年たちがいたのだが、少し取り込み中だったので、しばらく待つことになった。ユーザーさんからスマートフォンを送ってもらっていたため、彼のスマホで動画をみて過ごすことにした。開くと、当たり前だが指紋認証ができない。したがって、ユーザーさんが言うパスコードをそのまま打って解錠した。パスコードを教えてもらって打つと言うよりは、本当に「代わりに打っている」感覚だった。情報が右から左に流れていく感じで、記憶には残らない。そして、Youtubeでオードリーの漫才を開いて見ていた。
なんだか、この一連の体験がすごく不思議だった。また、彼が見たい動画を彼のスマホで彼がみるだけなのに、透明な私が全てを傍受してしまっているようなそんな気分だ。(ちなみにパスコードは送る前にダミーのものに変えてあったそうだ)
記念撮影
青年たちがフリーになったところで、いよいよ撮ってもらうことに。先ほどの失敗もあったので、今回はスムーズに話しかけることができた。今回のお兄さんは、喫煙所の男性にもまして、さらに自然かつ親身に対応してくれた。「撮ったんですけどどうですかね〜」とか「どのくらいの角度がいいですか?」とか「フラッシュたいた方が良さそうっすね〜」とか、とにかく親身なのだ。こちらの風貌には微塵も違和感を感じていないようで面白かった。
※ポーズはユーザーさん指示
最後は夜の川で熱唱
夜の川で「サンタルチア」をドイツ語で熱唱する。(誰も見てなくてよかった…)
ついに終了
今回の体感時間は本当に長かった。気づけば大体4時間くらいやっていた。翌日は全身が筋肉痛である(歩いてただけなのにね)。
反省点としては、今回は初めてのユーザーさんと言うことでかなりぎこちない操作ではあったが、それでも無になって、ちゃんと操作されるべきだったなと思う。初回ユーザーさんなりのぎこちなさがそのまま現地に現れるようになるというのが、正解なのだと思う。それにしてもパーソナルスペースのビリビリした感覚を消すほどに自我を無くしていけるまでにはまだまだ鍛錬が必要だ。
あとは、パスコードのくだり。これは、まさにこの社会が体と意志が一致していることが前提になっていることを示していた事例だと思う。これから、人間の身体がこんなふうに分離してくことがたくさん起こって行くだろうし、その技術はもう実現しているわけだから、この社会もこのままではいられないのではないだろうか。体と意志が一致してない存在にも優しい世の中になってくれることを切に願う。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
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