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他人と違っててもいいじゃん

テレビを処分した

2021年2月~6月カナダ・バンクーバーで語学留学をしたことで
テレビのない生活の豊かさを知った。
昨今の日本のテレビ、特にコロナ以降、ワイドショーには辟易としていて私にとって大きなストレスとなっていた。でも、NHKスペシャルは見たいしな~、テレビがないと世間に疎くなるかも。。。なんて踏ん切りがつかなかったけれど、2021年6月帰国後テレビを処分して一年たった今、それらは何ら問題なく、逆にストレスのない豊かな時間が手に入った。

テレビを処分して得たもの

  1. 珈琲&読書 with 音楽   

  2. ヨガ&メディテーション

  3. 料理

  4. 良質の睡眠

  5. ぼーっとする時間

大学教員の時、テレビを持たずYoutubeで動画を楽しむ学生たちを不思議な気持ちで見ていたが、彼らの方がよっぽど懸命だったと知った。Netflix, amazon prime video, Disneychannel により、海外情報を得ることや文化に触れながら英語の勉強もできる。

読書量も圧倒的に増えた。スポンサーの意向が番組制作自体に色濃く反映されそれはニュースにまで及ぶ。そんな情報操作に影響される自分になりたくない。なにより、専門家でもないコメンテーターと言う若手芸人の話をなぜ私が傾聴しなければならないのか、そして彼らは自分の発言に責任を全くとる必要がないという、率直なところ市井の井戸端会議を公共の電波を使って否応なしに送り付けられる理不尽さに苛立っていた。
「でもね、それを喜んでみる視聴者がいるからいつまでもワイドショーがあるのよ」と言われ、それなら私はテレビを撤去しよう!と決めた。

いや~本当に、もっと早く撤去していればよかったとつくづく思う。

日本の政治に対しても、社会に対しても、私たちは何らかの意思表示をしなければならないって思う。いつまでも「仕方ない」と我慢して追従してきた結果が現代の日本のあり様だ。若い人たちが今の日本に嫌気がさすのは当然だと思う。そんな日本を作ってしまったのは、私も含めた今の大人たち。

特にコロナ禍で、自分で検証しようともせずテレビから流れてくる情報を鵜吞みにして大上段に構えて他者を批判する愚者の言動には嫌悪感しか生まれなかった。教育の貧困が今の社会を作ったのだろうか。経済的困窮がこういう社会を作ったのだろうか。
団塊の世代の後に生まれた私たち世代は三無主義の人々と呼ばれたが、無力感と無気力に苛まれる前に、行動で自分なりのNoを表明していこうと思う。

ならぬものはならぬのです。

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