見出し画像

そうならなければならないなら=Sayonara

わたしにとってそこは、居ごこちのよい場所である。ひとりですごすにも。誰かとすごすにも。

モーニングをオーダーして待つ時間。
サイフォンで抽出された珈琲の味わい。

珈琲☕︎

心地よい音楽が流れる。
色んなひとの話し声。仕事のこと、家族、友だち、恋人のこと。
ときどき、耳を傾けて『なるほど、、』と思ってみたり。

2月27日の閉店を知った。

その場所が、わたしから無くなってしまう。
思いもよらないこと。だけど、いつかは、と、思っていたことでもある。

いる場所とは、常ではない。いつかは、いる場所ではなくなる。

寒い朝にモーニングをオーダーし、待つ時間に思いにふけったりしている。

ふいに、さよならという言葉が浮かんだ。

[そうならなければならないなら]

「サヨナラ」を文字どおりに訳すと、「そうならなければならないなら」という意味だという。
これまでに耳にした別れの言葉のうちで、このように美しい言葉をわたしは知らない。

AnneMorrowLindbergh(著)、中村妙子(訳)『翼よ、北に』(みすず書房・2002年)引用


接続詞である、さようなら、さよなら、さらば、
接続詞が別れの言葉の日本語。

日本語は、不思議な言語である。わたしたちが、あたり前に話したり、聞いたり、書いたりしている言葉は、奥深くて美しいと知る。

脈々と続く歴史の流れの中にわたしがいる。あなたもいる。言葉もいる。そして、変化している。変化していく。変わらずに継がれていくものもある。

今、話している、書いている、わたしの言葉を、過去の時代のひとは、どのくらいわかるのか。
未来のひとは、どのくらいわかるのか。

などと思いにふけっていたら、きました。モーニング。定番🍽️

モーニング🍽️


おいしい。

さようならそしてありがとうございます。
そしてという接続詞でつなげる。

続いていくなぁ。

ご注文は。


最後まで読んでいただきありがとうございます💐
Thanks for reading my article.✨

いいなと思ったら応援しよう!