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留学記① 海外に行くということ

日本の冬は気温以上に寒い。そういえば、高校3年間あまりそう思ったことはなかった。


大事なものを得た気がした直後って、なんだかそれが永遠に自分のもとにあるような気になるものだと思う。モノやヒトのような有形物から、キモチやキヅキのような無形物まであてはまる。それを得るために努力をしたと自分で思っていればいるだけ、自分から離れることもないと思ってしまう。英語で、well-deservedってやつなのかもしれない。

それなのに、ふとコロナ禍の冬を越すために日本に帰ってきてみると、その大事なものが何だったか、現地の空気感のようなものごと一瞬にして忘れ去られてしまった。つい一週間前まで、アメリカの田舎で勉強していたことなど夢のようで、それが吉夢だったのか、悪夢だったのかさえ分からない。自分で経験を吸収する努力をしないと、すぐ得たもの全部逃げていってしまいそうな感覚に襲われたので、ちゃんと文字起こしをしようと決めた。だって、そのためのnoteだろう。

自分の判断で留学を決意して、ホームステイみたいな形で半年でも一年でも海外に行ってくる人を私は生涯ずっと尊敬しまくっている。だって、親の仕事で海外に連れていってもらったのと、自分の勇気で新しい経験をしようと決めて、自分の努力で選考を勝ち取って、言葉が通じるかさえ分からない世界に一人で飛び込むのって、天と地ぐらい違う。何かを得ると自分で心に決めて飛行機に乗らないと、絶対にその海外行きで何かを得ることはないと思うのだ。ニュージーランドでのホームステイ生活に飛び込んだ後輩とか、AFSの知り合い複数名とか、ほんと、すげぇなあと思ってみている。

これまで、2~3年おきに日本と海外を行き来してきた私は、それが全て親の仕事の都合だった。連れまわされて嫌だったなんて一言も言うつもりはない。適応力には恵まれていたほうだと思うし、どこも楽しく友達をつくれた。英語も上手くなったし、そのおかげで今の自分の環境が恵まれているのは紛れもない事実なので、いかに高校生に進路アドバイスをするときに後ろめたい気持ちになろうとも、自分の幸運は否定しちゃいけないと思っている。自分としては満たされてない感じもあることは、ほとんどの人、いや、わりと誰にも言えないし、言ったら実際バチがあたると思う。奨学金やら大学やらインターンやらの面接で毎回、「自分は、これまで恵まれていたと思います」という一言を必ず付すようにしているのは、そのためだ。

今回、アメリカの大学に一応自分の意志として正規入学して、コロナの影響で短縮されたたった数か月のセメスターを過ごしてきた。どうも、得たものが多いのと同じぐらい、失ったものも多い。それも、喪失に関しては現在進行形で感じたものではなく、日本に帰ってきて数日間のうちに発生した虚無感で気付かされたものだった。たった数ヶ月、日本ではまだ秋学期も終わっていないはずの時間。それだけなのに、なぜか、この期間日本にいなかっただけで、日本の友達と話が通じなくなった気がする。今まで通り会話はできるし、色々言えば「わかる」なんて言ってもらえるだろう。でも、その根底にある前提のようなもの、その「わかる」って言葉に込められた気持ちが覆されたような気がして、高校3年間でやっと日本の友達と形成した共通感覚みたいなものがどっかいった。正直、鳥肌が立つぐらい怖い。どれだけ海外で得てきても、「それ」を失ったら今の自分の人格が成り立たなくなりそうなので、怖いのだと思う。ほんとに、最近誰とも共通認識を得ていない。以前、高校の担任の先生は推薦状で私の価値観を「異物」と褒めてくれたけれど、異物は異物で辛いのだ。

寂しいのとも違う。インスタには「違和感」と書いた。知っている国のはずだったアメリカも日本も、なにか、違う。自分と親和的でないから違和感だ。どっちの国にも「帰ってきた」はずだったのに、どうも違う場所に着陸してしまったような、知らない場所を日本だとかアメリカだとか言われているような感じ。帰属とかアフィニティとか考えてきたけど、underlying consensusみたいなものが人と形成されていないと人間は独りになる。だから結局、寂しいのかもしれない。

失ったものとか得たものとかブツブツ書いていてもしょうがないので、それが一体なんであるのかしっかり書く作業をこれから自分に課す。失った共通感覚が何者か、わかりさえすればそれを取り戻せるような気もするし、得たものも正体が分からなければ一瞬でどっかいく。来週は今学期の期末テストがあるし、論文も二本仕上げないといけないけれど、正直日本に帰ってきてしまうとやる気が一切なくなった。今の自分にしか書けないものって絶対にあると思うので、ちゃんと、残していけたらいいな、と思っている。


東京の冬は寒いけれど、それはまだ12月でみんな暖房を使い始めずに頑張って耐えているからだと気づく。こないだまでいたアメリカの田舎はもっと外の気温が低かったし、雨も降った。でも、エコのことなんて考えずに室内はガンガン暖房を効かせるから、人生の体感温度が温かい。日本の外は晴れているけれど、帰国後の自宅隔離の身には室内の寒さしか関係ないので、さっむい土地に来たなあという感じしかしない。そうなると、鳥肌の原因がなんなのかよくわからなくなってくるけど、少なくとも、虚無感の温度は氷点下だと思う。

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