人の優しさを感じるとき
思い立った時にやらないと
過ぎ去ってしまうことってありますよね...!
ということで、とりあえず書き出した美明です。
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みなさんはどんなときに
人の優しさを感じますか?
私が最近感じたのは、写真の豆大福を買ったときに
小銭を落としてしまい、周りにいる方々が
一緒に拾い集めてくださったこと。
お手を汚してしまい申し訳なく思いましたが、
心が温かくなりました。
(おしぼりとか渡せたらよかった...!)
また、だいぶ前のことになりますが高校生の頃。
私が帰宅途中に流れる川を覗きこんでいる姿が
飛び込んで自殺しようとしているように見えたようで
男性の方が急いで走ってきて、控えめな様子で
何か悩んでいることがあるなら話を聞きますよ、
と話しかけてくださったこと。
勘違いさせてしまい申し訳なかったですが、
女子高生で話しかけづらかっただろうけれど
相手のためを思って行動できる方がいるんだと
感動したのをよく覚えています。
...とまぁ、優しさの形は色々あって、
すべてを書くには困ってしまいますね。笑
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優しさとは何かを考えたときに、
私は"本当の意味で相手のためになること"
だと思っています。
たとえばAの道とBの道があって、
Aの道は行く過程は易しく楽だけれど、
ゴールには何もない。
Bの道は険しくて大変だけれど、
ゴールには待っていた景色が広がっている。
それならば、Bの道を勧めてくれること。
一言で言えば目先でなくその先を見据えて
助言してくれることだと思っています。
もっと分かりやすく言うなら、
両親が愛する子供の将来を思って
「勉強しなさい」と言うことですかね...!
当時はよく理解できていなかったですが^^;
※これがもしも、親自身の見栄のためならば
本当の優しさではないと思います。
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もちろん、あまりにも苦しい時に
「この先には綺麗な景色が待ってるから、
急いでこちらに来なさい」と言われたら、
相手のことを考えていない人だ、
この人にはついていけない、
と思ってしまうかもしれません。(表面的に)
ですが、
「あなたのペースで来なさい。
苦しいなら休み、走れないなら歩きなさい。
けれど、引き返してAの道には行くな。
そちらは楽だけれどゴールには何もないから。」
そう言ってもらえるならば、
私はその人の言葉を信じて
きっと感謝することだと思います。
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状況次第では、
「楽な道を行ってもいいよ」と言われることで
一時的に心が救われることはあると思います。
また、道の途中で終わってしまったら
意味がないんじゃない?という考えも
よくわかります。
けれど前提として、行った通りに必ず報われる。
私はそう信じているからこそ、
それでもBの道を行きたいと思うのかもしれません。
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最近心が温まった(動いた)出来事を書こうとしたら、
いつの間にかだいぶ大きなテーマになりました😂
ここまで読んでくださった方、
ありがとうございました^^
今日もあなたにとって
素敵な一日になりますように!