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サーフィンを中心とする生活にしようと思った1番のきっかけ

僕は1年前に宮崎に移住してから、
毎日サーフィンをする生活をしてきました。

もともと東京で会社員をしていたので、会社を辞めたり、
収入が減ったりして、結構大きめの決断、挑戦だったのですが、
今日はどうしてこの挑戦をしたのかのきっかけについて話します。

今の人生がそんなに楽しくないなとか、やりたいことがあるけどできてないなと感じている人は、何かの参考になると思います。

日本で生活していると、生き方のサンプル、数はあまりないです。たくさんの人が同じ生き方をしています。なので、とても窮屈です。

30代で、家族を持って家を買う人もいていいと思うし、
そうじゃない人もいいと思います。人の生き方はそれぞれ自由でいいと思っています。

正解はないので、自分が「善いと思うように」いきていきましょう!

一番最初にサーフィン中心の生活をした経験が、僕のサーフィン移住の最初の出発点でした。

25歳くらいのころ、オーストラリアにサーフィン旅行に行った時に、オンラインでオーストラリアから、少しだけ仕事をして、午前は仕事、
後は自由という生活を1週間くらいした。

その時が楽しすぎて、絶対にこの生き方は死ぬまでに叶えたいと思った。

まあでもそれは、定年してからとか、大きな額の貯金が貯まってからだろうなと考えていた。


移住のきっかけ:
帰国してからも、ずっとサーフィンはしていたが、仕事が忙しかった。

土曜日や日曜日に働くこともあったし、残業も多かった。その分、お給料はもらっていたが、自分のしゅみであるサーフィンは、日曜日にできたらいいなくらいだった。

そんな時に、2020年コロナが来て、4月には緊急事態宣言になった。

仕事は辛かったし、逃げ出したいと思ったことも結構合ったけど、週1回のサーフィンを楽しみに生きて、なんとか頑張れていた。

それで緊急時代になって、人生の楽しみにしていた週1回のサーフィンもできなくなった。僕にとって、国や政府、何らかの権力によって、「家から出られなくなる」ことはすごい衝撃でした。こんなことがあるのか・・と。


その時に、人生ってこのままこうやって終わって行く可能性もあるな

それは絶対に嫌だ と思いました。

それだったら、お金とかなくなるかもしれないけど、自分の1回きりの人生だから、やりたいことをとことんやってやろう!と思って、宮崎移住を決意した。

1回目の緊急事態が、5月に終わり、その9月1日には宮崎に移住していた。

コロナが収束したとしても、また新しいウィルスができたりして、また大好きなサーフィンができなくなると考えると、今やりたいことがあるんだったら、やろう!と思った。

宮崎でも仕事をする必要があったので、オンラインでも英語の仕事ができるように準備し、宮崎の家を探し始めた。

最初は、とにかくサーフィンができたらいいと考えていたので、千葉県でも探した。その中で、自分にぴったりの部屋が日向市にあったので、今そこに住んでいる


最後に:
あらためて、振り返ってみると、宮崎に移住して、少しの仕事と、朝と夕方のサーフィンの生活をしてみて、
3ヶ月後くらいに「人生ってこんなに楽しんんだ!」ってこころから感じたことを今でも覚えている。

言葉にするのは難しいけれど、人生これだ!という感じがあった。

それは今自分がやりたいことがたくさんできているから。

もちろん、都会で仕事をバリバリ頑張って稼ぐ!というのが楽しいと思う人もいるし、田舎でのんびりやって行くのが楽しいと思う人もいるので、それぞれだが、

自分の人生が「楽しい」「これだ」と思うような人が増えたらいいなと思っている。

その上で、特に日本はみんなが同じような生き方や考え方を持ちやすいので、少し違う人生は、否定されやすいと思っている。

なので、これからも僕自身が、人とは少し違った、一般的ではない生き方を発信することで、多くの人の選択肢が増えたらいいなと思う



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