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感動と脳のメカニズム

直感と判断力を磨くためには『感動』というものが重要な役割を果たしています。

『感動することをやめた人は生きていないのと同じことである』
これは20世紀最大の天才科学者と言われているアインシュタインが残した言葉です。
人は生きていく中で、多くのものに出会っています。たくさんの人たちに出会い、初めての街や風景に出会い、味わったことのない美味しさに出会い、そのひとつひとつに感動を覚えることで、人生はキラキラと輝いてきます。
もしも、目の前にある新しい出会いに気づかなかったら、せっかくの新しい発見に感動することがなかったら、私たち人間はたちまち輝きを失ってしまいます。

人生の中でいろんな物事に目を向けて、新しい見方を得ていくそれこそが感動であると、脳科学者の茂木健一郎さんは話しています。

人は創造性を持つことで感動という、人間にしか味わえない体験を手に入れます。
そして、創造性とはいかなる民族も、年齢や性別に関係なく、すべての人間に備わっているものであり、すべての生命が等しく持っている性質です。

それでは創造性の源になるものは何なのか。

それは、意欲だといいます。意欲さえ持っていれば創造力はどんどんとついてくる、そして意欲を持って日々の暮らしを送ることが最も大切なことである。

意欲のないところに創造性は芽生えず、そして創造性のないところに感動と言うものはやってこない。茂木さんはこのように言っています。

先ほど人間にはもともと創造性があり、また人は体験から学ぶことが大切だというお話しをしました。この2つを脳科学の視点から見てみると、実は創造性と言うのは「学びの1種」であるといえます。

もともと創造性と言うものはゼロから生まれることはありません。どのような新しいものを生み出す時でも、必ずもとになる体験や知識と言うものがあります。ベースとなるものがなければ、そこからは何も生まれないということなのです。

生命との共通と繋がり
生き物というのは連続して受け継がれていく。何もないところから生まれることはなく、必ず前に何かが存在している。実は創造性というのもこれと全く同じであると考えられています。

ヘブの法則
ヘブの法則をみると、蓄積された体験をいかに有効活用していけるかが大切だと分かります。

 (ヘブの法則を具体的にいえば、神経細胞をつなぐシナプスと呼ばれる構造が、その両側で神経細胞が同時に活動することで強化されていく。そういうメカニズムを通して、脳は学び続けている)
 我々は何となく、脳が休んでいる時間があると思い込んでいる。しかし実際には、脳を完全に休ませることなどできない。例えば、眠っている時でさえも、脳細胞は常に活動を続けている。
 このように脳は、一生を通して自ら体験したことを次々と蓄積していくのである。)

蓄積された体験は、徐々に様々な意味や価値に変換されていき、脳は体験したものを整理したりそれを変化させて意味を付け加えたりと言う作業をします。

その際、何を基準にして情報を整理、活用していいくか、その基本となるものが意欲や価値観といったものなのです。何かを成し遂げたいと言う意欲があれば、そのために何をすれば良いかという方法を考える。そこでその目的に合う情報を取り出し、また自分が価値あると判断したものについては一生懸命に過去の体験からヒントを引き出そうとします。
つまり、どのような価値観を持つか、どのような力を持つか、あるいはどのような地点を目指していくのかによってわたし達の体験の整理のされ方が違ってきます。

例えば2人の人間が同時に同じ体験をしたとしても、それが有益な体験であるかあるいはたいして役に立たない体験になるかは2人の生き方や目指す方向によって変わってくるということです。言うなれば体験や知識を創造性に結びつけられるか否かはその人の生き方と考え方次第と言うことになるでしょう。

新しいものを生み出す想像力と言うのは、体験×意欲です。

ここで1つ問題が生まれます。
いくら自然の中に子ども達を連れ出し、新しい体験をさせたとしても、子ども自身が興味を持たないければ何も始まらず、またそのことについて学びたいと言う意欲を持たない子どもを連れて行ったとしても、単に子どもは疲れるだけ。つまりは意欲を持たせること、興味を抱かせることが最も難しく、重要であり、必要なことなのです。

ターゲットの考え方ヒント
いくら多くの体験や知識を得たとしても、意欲がなければすぐに限界が見えてしまい、ここで自分で自分の可能性を潰してしまうこととなります。

可能性を広げようとする意欲が、さらに体験や知識を増やしていくことにもなります。
子ども達の可能性は本来計り知れないほど大きいものです。
いかに意欲を持たせるかが重要となってきます。

人間は高い欲求を持つことで、考える力が養われ、向上していきます。

子ども達に教えるべきことが2つあります。
1つは基礎的な知識や体験。そしてもう1つは欲望と価値の持ち方です。この両輪があって初めて創造性が生まれます。これは脳における創造性のメカニズムに照らし合わせても、非常に重要なことです。

人間の脳は、たった1つの体験から多くのことを学びそれが唯一の体験だとすればその影響はとても大きなものとなります。そしてその体験は本物の体験であることが大切となってきます。

本物に触れ、実感として感じ取ることができる。その体験を持って創造力の源となる意欲を育む。

創造力が湧いてくるものではありません。実物の圧倒されるような体験によって脳が触発されるわけです。

今はインターネット時代でほとんどのものがスマホの画面で見ることができますし、わざわざ足を運ばなくても短時間で多くのものを目にすることができます。しかしそれはあくまでも画像であり、記憶の一端としては残るかもしれませんが、脳に刻まれるような体験としては残りません。この差を理解していくことが重要です。

実は我々の感情の中には、非常に優れた性質が備わっています。それは、何が起こるか分からないと言う状況の中でも、引っ込み思案になることなく、積極的に立ち向かっていくという性質です。この性質があるからこそ、わたしたちは次々と新たな体験を脳の中に蓄積していくことができます。先が見えていない、何が起こるかわからない、どうなるかが決まっていないからこそ生きる意欲と言うものは湧いてくるものです。不確実性へのチャレンジこそが、高い意欲を持たせる重要な要素になります。

不確実性-
例えば一度ジェットコースターに乗って、大して楽しくなかったという経験をした人はもう乗らなくなるでしょう。もっと楽しいジェットコースターがあったとしても、どうせ大した事はないだろうと決めつけてしまう。乗ってもみないうちに自分で勝手に結論を出してしまう。そういうものが身の回りに増えていくと、何に対しても興味を忘れてしまう。新しいことにチャレンジをしようとする意欲がなくなっていくわけです。

自分の中で勝手に常識の枠を作りすぎてチャレンジすることをやめてしまったら、創造力はどんどんなくなっていくでしょう。いくら常識や体験を蓄積しても、それらに囚われてしまっていては、感動を体感することは出来ないといえるでしょう。

未来のことなど、実は何も決まっていません。いくつになっても、世の中には知らないことがたくさんあります。そんな思いで常に新鮮な見方、考え方をする。そこから生きる意欲が湧いてくるのです。未来に向けて不確実性を楽しむことでどんどん脳は活性化され、新しいものとの出会いと体験を生み出すこととなります。

普遍に感動を味わうためには意欲が大切です。
意欲は脳と繋がり、脳は体と繋がっています。
体は置かれた環境と密接な関わりを持ち、環境には文化や歴史、あるいは周囲の人間関係というものが大きく含まれます。

人間は様々な環境に影響を受け、最後にその経験をまとめて整理し、自らの生き方にそれを反映させていきます。

脳=心 
自己評価の高い人ほど、心が前向きである
人生は不確実性の連続です。先のことなど誰にもわからない。どんな出来事に出会うかもわからない。その不確実性に対して、前向きに戦う力が自信になります。事実、自信を持って不確実性に向き合うか、自信もなくビクビクと向き合うか。それによって結果は自ずと変わってくるものです。

大丈夫、根拠なき自信がやるきを生み出す
不確実性が支配する世界で感情が行動を支配する
感情の働きが人間らしい判断を下し体験から得た感動と感情が絡み合い不確実性の中で判断を下せる自分になります。

感動は最も人間らしい心の動きである
感動と言うものは喜怒哀楽の中の1つだけで生まれるものではありません。様々な感情の意図が複雑に絡み合った中から生まれてくる。だからこそ本当に感動を味わったときには、「とても言葉では言い尽くせない」と言うことになるのでしょう。一言では表現できないような複雑な感情。それが感動と言う心の動きなのです。

自分は必ずできるんだというイメージ
そのようなイメージが意欲に繋がり、新たな創造力を生み出していきます。

キラキラした感動を子どもに
心の中が不安だけれど、ちょっとした怖さもあるけれど、それでも子どもにはチャレンジしてみようと言う意欲があります。いくつものはじめてを乗り越えたり、ときには失敗しながらも、子どもの脳というのは育っていくのです。
親の役割は、子どもの初めてを応援してあげることではないでしょうか。もちろん親としては心配する面も多々あります。でも子どもがやりたいと言う意欲を示したときには出来る限りやらせてあげる。危なそうだから、心配だからといって何でも止めてしまえば、意欲を持つことができない大人になってしまいます。

もちろん危険な事はさせてはいけませんが、子どもの意欲に待ったをかけてもいけません。当たり前のことですが、すべてのことに"初めて"があるのです。

誰しも子どもの頃には意欲に溢れていたわけで、意欲と言うのは何も特別なものではありません。ごく当たり前に人間に備わっているもの。なのにどうして大人になると、意欲を忘れてしまうのでしょうか。それはおそらく新しいものなど何もないと脳が勝手に思い込んでいるからです。

戦後の日本人は、意欲のレベルが低くなってきたと言われます。「 日本人は生きていないように見える」といった外国人もいます。どうしてそうなってしまったのか。戦後日本の人は生活を安定させるために必死に頑張ってきました。生きる意欲を持たなければ、生活することができなかった。そして今、豊かな生活を手に入れることができた。つまりある程度の目標が達成されたことで満足してしまったのではないでしょうか。

確かに現代は、強烈な意欲を持たなくても、それなりに暮らしていけるでしょうし、何もしんどい思いをしてまで新しいことにチャレンジしたくないと考える人もいるでしょう。小学生や中学生の子どもでさえ、意欲の少ない子が増えています。これはとても不幸なことだと思います。せっかくの人生、たくさんの感動を味わいたいものです。いろんなものを創造したいものです。そのためにも大人は今一度、子供の頃のあのキラキラとした🤩初めてを思い出して欲しい、そしてその感動を子どもたちにも伝えてほしいのです。

意欲は美しい環境から生まれる
意欲と言うものは突然に湧き上がってくるものではありません。まずはそれが出てくる下地を作ってあげなくてはならない。もちろん目標を見つけたり、欲望を持つと言うことも力につながりますが、実際に『身を置く環境』もまた意欲と密接に関わっています。
少し話は変わりますが、アメリカで「ブロークン・ウィンドウズ理論」と言うものを見出した人がいます。ブロークン・ウィンドウズとはすなわち、割れたままになった窓と言う意味です。犯罪の多発地域に行くと、必ずそのまちはあちこちの窓が割れたままで放置されている。アパートの入り口の窓も、商店の窓も、家に止められている車の窓も割れている。そういう環境が新たな犯罪を引き起こす。明らかにその環境は、人間のプラスの意欲を妨げていると考えられます。
そこで犯罪が多発するまちをまず外観から美しく変えました。割れた窓ガラスはきれいに修理し、まち中にあった落書きを消しました。そうすると、まちに住む人間は変わらないのに、犯罪が激減したと言うのです。人間は環境に大きく左右される。そういったことが証明されたという例です。
例えば日常生活の中で見てみると、今から美味しい料理を作ろうとして材料を買い揃え、いざキッチンに立つするとそこには汚れたフライパンや鍋が散乱し、シンクの中には洗ってない皿が山積みになっている。これでは美味しい料理を作ろうと言う意欲がなくなってしまうでしょう。
仕事場も同じです。いざこれから大切な仕事をしようとするときに、デスクの上が不要なもので埋まっていたら、途端にやるきが失せてしまいます。仕方なく片付けている間にせっかくのやるきがどんどん失われていく。
そういう意味からすればやはり美しく整った環境って言うものが、人間の意欲を引き出すと言えるでしょう。

意欲を引き出し、ビジョンを持たせるような環境が必要
次々と新たな目標を持てるような仕組みを作ることで意欲的に何かに取り組む姿勢が作られます。

本物に触れる体験
インターネットでは得られない、本物の感触や匂い、関わる人とのコミュニケーションを通じて新たな出会いや体験を生む。
その出会いや体験が自発的な意欲を生み出します。

実際に外に出て、足を運び何かを感じ取ることで得た感動が大人になってもずっと残っていく

本物に触れた体験が少ない子は、どうしても感動が薄い大人になってしまいます。感動が薄いという事は、それだけ人生に損をしているといえます。同じものを見ても、同じ体験をしても、楽しめる人間とつまらなそうにする人間がいる。どちらがいいかは、やはり楽しめる人間が良いでしょう。楽しそうにしている人の周りには、みんなが集まってくる。たくさんの人が周りに集まれば、人生もまたどんどん豊かになっていくものです。

知識の使い方
知識を吸収したならそれを早く使ってみて自分の目で確かめてみたい。そういう意欲が感動を生んでいきます。
この複雑な世の中、先が見えない人生の中、わたし達は常に選択をしていかなければなりません。自分が選んだ道が全て正解だと思えば良いのですが、現実にはそんなことなどありえず、失敗したなど悔やんだり、また元の道に引き返したり、人生はその繰り返しです。
しかしどうなるにせよ、わたし達は意思決定をしていかなくてはなりません。良いか悪いかの結果の分からない中でも、どちらかに決めなくてはならないのです。

判断の出来る子
他人に決めてもらうのではなく、自分で考えて判断を下すと言う訓練の日々の積み重ねこそが意思決定には必要です。
いつも人に頼って自分で決めてこなかった子どもは、大人になっても自分で選ぶ力が付きません。

いつも判断を他人任せにすることは、自分の人生ではなく他人の人生と同じようなものです。
失敗しても選択を誤っても、自分が主体となって意思決定をする。そこに人生の感動があるのではないでしょうか。

感動を伝える
感動を味わったら素直にそれを表現していく
感動は数値で表すことができませんが、例えば同じ位の感動を味わった2人がいたとして、Aさんはその感動を言葉に表し身振り手振りで誰かに伝え、Bさんはその感動を静かに自分の心の中で受け止め1人でそれに浸っている。全く同じ感動を味わったとしても、感情の回路が強化されるのはきっとAさんの方でしょう。こういう生き方を2人が続けたとしたら、Aさんの方が創造的になるのは明らかです。

自分の中の喜怒哀楽を上手にコントロールし、うまく付き合っていくことが大切です。マイナスの感情を少し抑えつつも、プラスの感情を豊かに表現していく。特に感動したことに対しては、素直にそれを表現していく。自分たちに合った感情表現を身に付けていくことが大切です。

感動から得られるもの
大切なのは、人生をいかに積極的に意欲を持って生きるかと言うことです。意欲を持って前向きに生きていけば、自分はダメだと思いこんで生きている人よりも感動的な人生を歩むことができます。常に自分は変われる、あるいは変わりたいと願っている人には感動も起こりやすいのです。

実は感動すると言うことを通して、多くの人が、自分の人生が変わったことを実感しています。

何もしなくても生きていくことはできますが、より多くの感動を味わうことで、人は自分自身や人生を変えることができるのです。

逆に、感動のない世界、感動もない人生と言うのは、自分が変わることができない人生とも言えるでしょう。感動があればあるほど、感動の階段を登れば登るほど、人生を変えることができる、未来を変えることができると言うことになるのです。

感動の意義は大きさでは決まらず、それを感じた人間がその後をどう生きるかと言うことに関わってくるのです。

感動が人生を変え
未来を切り拓く人財へと成長する

感動のメカニズム
人間は、自分の経験していることを感情に照らし合わせます。
そこで今までの自らの体験や、これまで築いてきた価値観と照らし合わせるという作業をします。

そして脳が自分自身を変える大きなきっかけになる情報が来たと察知した時に感動が起こります。

感動のあまり涙を流すと言う現象があります。これは、今体験していることが、脳や人生を変えるきっかけになるものだと脳がサインを送っているようなものです。今自分が出会っている経験が、これから自分が生きる上で大きな意味を持っている。その意味が大きければ大きいほど、感度もまた大きくなります。

感動とは、脳が記憶や感情を活性化させて、今まさに経験していることの意味を逃さずにつかんでおこうとする働きのことなのです。どうにか全力を尽くして、今経験していることを記憶しておこうとしている。生きる指針を痕跡として残そうとしているそのプロセスに感動があるといえます。

どんなことに感動するかは人によって様々ですが、起こる物事の中にたくさんの感動を覚えられる人ほど、脳の感動を司る部分が活発に働いているということ、そしてそういう人ほど人生を変えるヒントを記憶の中にたくさん蓄積することができているということになります。

子どもの頃はみんな何にでも感動するものです。すべての経験が"初めて"なわけですから、心は出来る限りそれを記憶に留めようとし、その際に次々と感動が生み出されます。

自分が経験したことばかりを繰り返してみるのではなく、経験していないことに目をやる。そうすることで感動を見つけることができます。
人生は今の自分が全てでは無いのです。

感動とは未知のものとの出会い、そこから生まれるものであり、それを素直に受け入れることができたときに人は感動を体感します。

未知なるものに出会った時に、出来る限りそれを素直に受け入れて自分のものにする。そのプロセスにこそ感動があります。
感動とは心が自ら変わるきっかけを察知し、それを逃さないように感情や記憶のシステムを活性化すると言うことです。したがって感動しないということは、もう自らの世界観や経験を広げる必要がないと脳が判断していることに相当します。
これでは人生を変えるきっかけをつかむことができませんし、そういうきっかけが前を通り過ぎてチャンスを逃してしまうことになります。

ずっと同じ風景しか目に入らなくなってしまうと一生生活は退屈なものになり、人生が後ろ向きで退屈しのぎになっていく。これはとても楽しい生き方と言えるでしょうか。そうではなく、自ら未来を切り開くことができる人生へと成長をしていきたいものです。

未知のものを受け入れて感動できる人というのは、いつまでたっても若々しくいられます。若さとは変化するということで、決して年齢の問題ではありません。いくつになっても若々しい人、そういう人をよく観察してみるときっと未知のものにいつも興味を持ち、感動することを楽しんでいるはずです。40歳になったからオジサンになるのではありません。40歳になって、もう人生に変化などないと諦めてしまうことでオジサンになっていくのです。

感動と言うのは、神様が私たち人間の脳に与えてくれた、異なる驚くべき学習のメカニズムです。つまりどんな人にも感動する能力があり性格や生い立ちの問題では決してないのです。何か感動するきっかけになるものに出会った時、それを抑えてしまうことさえしなければ誰でも感動することができる。それが脳の自然のメカニズムです。自らが持っている世界観や知識に従って生きようとすると感動を味わうきっかけを失ってしまいます。

実は、会社での評価が高い優秀なビジネスマンほど感動するような出来事に合わないと思っている傾向があります。
どうしてそういう傾向が現れてくるのでしょうか。優秀なビジネスマンは常に仕事に対してその目的を達成するために、できる限り効率的な考え方をしようとします。裏を返せば仕事の目的以外の事は関心を示さずだからこそ目的を達成させ会社からも高い評価を得るようになると言うことです。彼の周りにも感動の種はたくさん落ちています。映画や音楽ももちろんそうですし、移りゆく季節や風景の美しさも充分に感動を生み出すものでしょう。「この頃感動することがないなぁ」と口にするという事はやはり体が感動求めているという証拠です。仕事だけに意識を集中させながらもどこかで体は感動を欲している。それは人間として当たり前だといえます。
日常生活と言うのは、一見すると同じように見えるものです。毎朝同じ電車に乗って会社に出勤する。何年もやっている慣れた仕事をこなして、同じ道を歩いて家に帰る。その繰り返しには感動の種がないようにさえ思います。しかし実際は違います。全く同じ1日など人生にはありません。同じだと感じるのは、自分の意識がそう思い込ませているだけです。無意味な抑圧を解放して小さな感動の種を拾ってみてください。結局はそれが仕事にも良い影響与えることになるのですから。

素晴らしいものに出会った時、未知の体験をした時、人間の脳は感動を覚えます。それは本能的に持っているものであります。しかしそれを強化していくには、社会の価値観や環境といったものが重要になります。
もしも感動することが悪だという考え方の社会が存在したとしたら、おそらく無感動で意欲のない人間が多く現れるでしょう。一方で感動を積極的に促す社会ならば、人々が生き生きとした人生を送ることができるものです。例えば何かに感動した時、周りの人たちがそれは素晴らしいことだと後押ししてくれるか、あるいはそんなものはくだらないと拒否されるか、その反応次第で脳の働きは全く変わってくるということです。人間は社会的動物ですから、やはり周囲に受け入れらたいという欲求があります。いくら自分が感動したとしても、周りの人が理解してくれなかったり、あるいはその感動を否定されたとしたら、どんどんそれは薄れていくでしょう。

そういった意味からしても、共感と言うものがとても大切になってきます。例えば映画を見に行く時でも、1人で行くよりは2人で行った方が良い。
観終わった後に、「あのシーンは感動したね」とか「あの人のセリフに感動したね」と互いに言い合うことで、お互いの感動回路が強化されていく。また同じ映画館にいる何人もの人達が、同じ場面で涙を流したりする。
そんな状況にいるだけで感動は何倍にもなるでしょう。

感動を分け合う
感動を分かち合いたいと願う人がいます。
例えば芸術家は自分の作品で賞を取るとか、高い値段がつくということ以前に、たくさんの人と感動を分かち合いたいという意欲が強かったりします。
わたし達は、どんな小さな感動でも先ずは身近な家族や友達と分かち合う。それだけで家庭の中は明るく、家族も周囲も健康になれるのではないでしょうか。

様々なことに感動すると、脳の神経回路は活性化され、その感動を表現するこで、感動の回路はどんどん強化されていきます。

では感動を表現するというのはどういうことなのか。それは、「的確な言葉」をもって表現することです。

きもちを伝え、互いに分かり合うための言葉。
これは、人間だけが持っているものです。

何かを考えるということも、人間が言葉を持っているからこそ出来ます。

感情や感動はとても複雑なものです。
喜びにも色々な種類や程度がありますし、悲しみにも程度の差は計り知れないほどあります。そのような自分自身の感情をいかに的確に相手に伝えられるかで、人間関係の良し悪しは決定されます。

教養
教養は意欲をかき立てる源にもなります。
例えば昔の偉人伝や歴史の本を読む、それは何も知識を集積させるためだけではなく、その人はどういう思いで生きてきたのか、どうして世間はその人物を評価したのか、そしてその時に歴史はどう動いたのか。それを自分なりに考え尽くすことで、自分がやることや目標が見えてくる。そして「よし自分もやってみよう」という意欲につながるのです。
創造性を高めるためにも言葉と教養は欠かせません。心の中に素晴らしいイメージが湧いたとしても、それを言葉で表現することができなければ周りの人間の理解は得られませんし、理解が得られなければ物事は進まないというものです。

優しさ
優しさは、人が生きていく上で大切なものです。
もし、人の心に優しさが無ければ、社会は成り立ちません。互いを思いやり、助け合うからこそわたし達は生きていけるのです。
では、優しさというものは、どのようにして育まれるのでしょうか。
実は優しさは、育まれるものではなく、脳の中に既に組み込まれているものなのです。

すべての人間の中には優しさがある。これが基本です。
誰かに対して優しくしてあげたいと思う。誰かに優しくされたら嬉しいきもちになる。それはごく当たり前のことです。
人間は普通に育ち、普通に成長したならば、優しくなる生き物なのです。
しかし、現実の社会では、優しさのカケラもないような行為が行われています。イジメは学校だけでなく、会社の中でもあるでしょう。
他人に対して優しく出来ないという人も沢山います。優しくしたくても、そのやり方が分からないという人もいます。
なぜそんな風になってしまうのでしょうか。
それは、本来人間の脳の中にある、他人に優しくするという本能を活かし切れてないからなのです。

ではその原因はどこにあるのでしょうか。
ひも解く鍵は、"他人のきもちを分かる"ということのメカニズムを知ることにあります。

優しさとは、人と人との関係の中から生まれるものといえます。一方通行になったり、押し付けになっては何の意味もない。まずは相手のきもちを理解することから始めなければなりません。

では"他人のきもちがわかる"とは一体どんなことなのでしょうか。

人間の脳が情報処理を行う中で、見る、きくなどの感覚に関するものは、案外と共有されにくい性質を持っています。例えば他人が見ているものを、全く同じように見ることはできません。もちろん同じ場所で同じ風景を見ているわけですが、その見え方と言うのは、十人十色ですね。その人にはどういう風に見えているかは、その人の脳になってみないとわからない。同じ音楽を聴いていても、その聞こえ方は全く違ったりする。したがってこのような感覚的なものを全く同じように共有する事は、なかなか難しいと言えるでしょう。

ところが感情と言うものは一瞬の間に伝わる性質を持っています。これは理論的にも実験的にも証明がされています。感覚や考えていることはなかなかダイレクトには伝わりません。しかし感情は脳と言う垣根を越えて瞬時に伝わっていきます。
ではこの"感情が伝わる"ということがすなわち分かり合えるということなのか。同じ感情さえ共有すれば人は互いに優しくなれるのか。もちろんそれもありますが、"他人のきもちを分かる"というのはそれほど単純なものではないようです。
他人の心が分かると言うことが、なぜこれほどに難しいことなのか、感情が瞬時に伝わると言う特性を持ちながらも、なかなか他人の心を理解することができない。実はその理由は、人間しか持っていないある特性が原因となっています。

その特性とは、ポーカーフェイス。つまり心に抱いている感情と、表に出てくる顔の表情に食い違いがあると言うことです。人間は心の動きを表に出さず、隠してしまうことができます。本当は悲しいのに笑顔を作ることができる。ものすごく怒っているのに冷静な表情を作ることができる。あるいは置かれた状況に応じて、その場に合った表情を作ることもできます。
こうしたポーカーフェイスがあるからこそ、互いにきもちを分かり会うことが難しくなり、またわからないことによって誤解が生じたりもするのです。
他人の心というものは、必ずしも見かけとは一致しないということ。そのことをよく理解しておかなくてはいけません。
他人を思いやるきもち、互いに分かり合おうとするきもち。それはまさに、見かけと違う心の状態をいかに推測できるかと言うことになるでしょう。そしてこの推測する力の高い人ほど、人間関係力も高いといえます。
そのような力はどうすれば高めることができるのか。やはりそこには「感動」という存在があります。
これは新しいものや美しいものに触れて感動すると言うだけでなく、人間関係の中での感動を味わうこと。他人と心が通い合うことで、静かな感動を体感することが大切です。
人と人との関係は、初対面の時からわかるものではありません。この時点でポーカーフェイスをされても、それは推測のしようがないです。しかし時間を重ねて関係が深まってくるにつれて互いに心を推測し合えるようになり、この人はいつも楽しそうな表情をしているけれど、実は心の中に痛みを抱えているんだ、そんなふうに相手の心の中が少し見えた時の小さな感動や、強がって見せていた自分の心の弱さを相手がそっと作ってくれたときの嬉しさ、そういう心の交流から生じる感情の積み重ねによって、他人の心をわかる力がついてくると思われます。

容易には分からない相手の内面を推し量る。人間にはそういう能力が備わっています。
この能力は社会生活を営む上で必要不可欠なもの。だからこそこれを高める努力をしなくてはならないのです。

人間が他人のことをどう理解するのか。脳の中でそれをどのように実現しているのか。ミラーニューロンの存在が明らかになったことでその謎に一歩近づきました。つまりは人間は脳の中に鏡を持ち、そこに他人の表情や仕草を映し出す。そしてそこに映し出されたものと自分の体験を照らし合わすと言う作業します。もう少しわかりやすく言うと、例えば相手が悲しそうな顔する。それを見て考える。自分がそのような顔をするときは、どのように感じている時なのか。そうだ、自分が悲しいと感じたときに同じような顔をする。自分が悲しい時の表情と同じ表情しているのだから、きっと相手も悲しいと言う感情を抱いているに違いない。
実際にはそんなに回りくどく考えているわけではなくて、一瞬のうちに相手の表情と自分の過去の体験を比較するわけです。仕草にしても同じです。相手の仕草を見てその気持ちを理解できるのは、自分もまた同じ仕草をしたことがあるからです。逆に言うと、自分が一度も悲しい思いを抱いたことがない、一度も悲しい表情をしたことがないまぁそんな事はありえないでしょうがもしそうだとすると、相手が悲しい顔をしていてもそれが何だかわからないと言うことになります。
より多くの経験を積んだ人ほど他人の気持ちがわかると言われます。自分が悲しい思いを経験したからこそ、相手の悲しみがわかる。自分が苦労したからこそ相手の苦しみも理解できる。そういうことが科学的に証明されています。

ここでもう一つ大切なことが、抽象的、理論的な思考能力が人間には備わっているということです。相手のきもちに共感してさらに相手の微妙な心のニュアンスを理解するために、心という目に見えないものに対して推測をし、考えなければならないのです。これが正しく『言語』ということになります。

相手に優しくする、相手のきもちを思いやることができる。そして人と人とのあいだで感動が生まれるためには、実は広い意味での教養が必要になってきます。
解剖学者の養老孟司さんが「教養とは他人の心がわかることである」と言っています。これは非常に合理的な一言です。

生きていくということは、常に不確実性の中に身を置いているということです。先に何があるか分からない。先がどうなるか予測できない。まさに人生は不安との戦いです。人は誰もが失敗することが怖く、先に進んで失敗するのなら、今のままでもいい。そういうきもちがどこかにあります。

しかしそれではイキイキした人生は歩めません。
子どもの頃を思い出してください。好奇心とチャレンジ精神に満ち溢れていたはずです。
何かにつまずいても、次の日にはケロっと忘れている。しかしそれは本当に忘れたわけではなく、次のさらなるチャレンジをしているために、先日のことなんかきにならなかったのです。
子どもの頃はなぜ不安を乗り越えることができたのか、失敗してもすぐに次のチャレンジに向かうことができたのか。それは、子どもには「安全基地」があるからだと、イギリスの心理学者ジョン・ボルビーが話しています。

「安全基地」とは、逃げ込める場所のことで、失敗しても傷ついたとしても、そこに行けば自分を温かく守ってくれるものがある。多くの子どもにとってそれは父親であり、母親です。
その安心感があってこそ子ども達はいつもポジティブにいることができます。
家庭という場が安全基地になることで、子どもは積極的に世界を広げていくことができます。
この安全基地は、人間が成長する上で重要なものです。

さいごに、感動のヒントを一つお伝えします。
感動を味わった時には、大いに涙を流すことです。面白いと思ったならば、大声で笑うことです。

感動するきもちを抑え込んでいると、やがて本当に感動しなくなってしまいます。


原文
「感動する脳」茂木健一郎 PHP研究所

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