窓ぎわの紺ちゃん
『窓ぎわのトットちゃん』が話題になっている。
公式サイトを見たら、トップに”君のこと、忘れないよ”と書いてあったが、これは読み手としての私の気持ちでもある。
ここから先は原作の話を延々しているが、映画とも内容は被っていると思われるので、ネタバレを気にする人は読まないようにしてください。
・物語の冒頭、落ち着きのなさを理由にいわゆる普通の小学校を退学させられてしまったトットちゃんが、トモエ学園(この作品の主な舞台である、非常に自由な校風が特徴の小学校)の校長先生に4時間も話を聞いてもらうシーンがある。
・5歳の子どもと暮らしているけれども、子どもの話ってヤマもオチもなくて、長い時間耳を傾けるのは本当に大変である。大人は大人の話し方ってもんを心得ているから、”相手を退屈させないようにしよう”とか、”オチのない話はしないようにしよう”とか、ある程度方針を立ててから話し始める。
・でも、子どもは違う。子どもは”喋りたいから、喋る!”という生き物で、聞いている側の気持ちを想像したりはしない。正直5分も話していると、”で???”と10回くらい口を挟みたくなってしまう(教育上良くないので、いつも我慢している)。
・それを、初対面のトモエ学園の校長先生である小林先生は、トットちゃんの話を4時間も聞いていたそうだ。普通の小学校で疎まれ、浮いていたトットちゃん、どんなに嬉しかっただろうと思う。
・小林先生が繰り返しトットちゃんに言う言葉がある。"君は、本当は、いい子なんだよ"と。
・これは幼少期の私にとって、お守りのような言葉だった。嘘をついてしまったり、ずるいことをしてしまったりした時、子どもは大抵、本当はそれが悪いことだと分かっている。大人にこっぴどく叱られるのは仕方がないのだけれど、自分の意に反して悪いことをしてしまったような、そんな気持ちが幼少期の私の中にはあった。そんなことを言えばもっと叱られることは分かっていたので、口に出すことはなかったけれど。
・良い子でいられたはずなのに、嫉妬や劣等感に駆られて、若しくは一時の欲望を満たすために悪いことをしてしまって叱られる時、私はいつもなかなかごめんなさいが言えなかった。やっとなんとか謝って許してもらえた時、いつも小林先生の言葉が思い出された。
・”君は、本当は、いい子なんだよ!”。そうだ、私は本当はいい子なのだ。そう思えたから、なるべくいい子であろうと努力することができた。
・小林先生は、私が生まれる20年以上前に亡くなっている。時を超えて、私のことを教育してくださった小林先生。子どもをまるごと受け止めて、長所を伸ばしていくのは大変な作業だ。その為には根気と愛がいる。
・自分の小学校生活を思い返した時、3年生の時に受け持ってくださったY先生が私にとっての小林先生だったなと思う。2年生まで受け持ってくださったN先生とはどうも相性が良くなくて、私はしょっちゅう叱られていた。N先生の意図するところを汲み取れず、クラスでただ一人私だけが常にズレていたので、N先生は相当苦労されただろうと思う。
・3年生になったときも私は同じようにクラスでただ一人ズレていたのだが、Y先生はどうも私のズレっぷりが好きだったようで、”紺ちゃんは、いいねえ!”といつも無条件に私に優しかった。周囲と馴染めず本をたくさん読んでいたことや、ズレていても平然としていたことは1・2年生の頃と全く変わっていなかったのだが、Y先生が”いいね”と繰り返し言ってくれたことで、”そうか、私って結構いい奴なのかもしれない”と思うようになった。
・Y先生と私は年齢が30以上離れていたけれど、相性が良かった。私が図書館で選んで読む本を彼女は”趣味がいい”と誉めてくれた。たくさんの猫と暮らしていて、結婚は生涯しないと決めているY先生のことが、私も好きだった。
・年齢がどんなに離れていても、相性というものはある。この人とは波長が合うな、と気づき合った時、人と人はお互いに良い影響を与え合うことができる。トットちゃんと小林先生の間に起きた奇跡のもっと小規模バージョンが、私とY先生の間にも確かに起きていた。
・親がすべきことは、子どもに多くの選択肢を与えることなんだと思う。トットちゃんの親御さんが”普通の小学校を退学になるなんて、アンタは本当にダメな子”とトットちゃんを叱りつけたり、”普通の小学校に、通い続けなさい!退学なんて恥ずかしい”と嘆いたりしていたら、トットちゃんは黒柳徹子として活躍することはなかったのかもしれない。
・子どものとりとめのない話を4時間黙って聞いてやる余裕はなくても、退学に怒らず、子どもの適性を見抜いてトモエ学園に連れて行ったトットちゃんの親御さんは偉大だった。トモエ学園に連れて行ってもらえたから、トットちゃんは小林先生に出会うことができた。私も親として、子どもに同じようにしてやりたいと思う。