辺境のひとびと
2023年、仕事が忙しすぎる!
どうもこんばんは、木曜日のnote更新です。
質問に答えるぞ。
ふむ…付き合う前〜付き合ってから数ヶ月って男女問わず、一番交際相手に対するカッコつけが激しい時期じゃないかなと思います。大好きな相手に対して1mmでも自分をよく見せようと必死な時期だった気がする。
交際相手さんにとっては、”普通に仕事をしていること”がカッコつける上ですごく重要なことだったんでしょうね。質問をくださった方が書いていらっしゃる通り、普通ってなんだよって話ではありますが。
昼間の公園でスーツを着たままボケ〜ッとしている交際相手を偶然発見して問い詰めた結果、嘘が暴かれたわけじゃないんですよね。交際相手が自ら不利な事実を打ち明けて謝ってくれたわけで、これはなかなかできることじゃないと思う。上でも書いたけれど、交際数ヶ月の時期ってまだまだカッコつけ全盛期です。そういう時期に、幻滅され得る事実を自分から打ち明けて謝れるのはかなりの美点ではないかなあ。
ただ、嘘をつかれていたことは事実ですよね。交際相手からの嘘って、その嘘自体もショックだけれど、今後長く付き合っていく中でまた大事なところで嘘をつかれるかもしれないと不安になるのが最大の欠点だと思う。今回あなたはこの点において、交際相手にかなり大きな貸しを作った形になります。
人間関係で貸し借りなんて言葉を出すのはさもしい感性だって?いいんですよ、恋愛でだけはそれが許されます(※個人の意見です)。愛の名の下に闘争するのが恋愛なので…(※諸説あります)。
貸しを作った以上は、交際相手にはあなたの信頼を勝ち得るべく努力してもらいましょう。あなたの信頼が戻ってくるまでどれくらいの月日が必要かは分かりません。半年?1年?もしかしたら一生許せないかも。でも、許せるかどうかが重要なのではなく、相手が信頼を勝ち得るべく奮闘してくれているのを、じっと待てるかどうかが一番重要です。待つ価値はありそうですか?今は許せなくても、待てそうなら付き合い続けるのもありだと思います。
今日の回答は以上!
恋愛に関する相談を他にも貰ってるんだけれど(ありがとう)、書いては消し書いては消しを繰り返して今日は書けない!と店じまいをした。すみません。
最近読んだ本の話をしよう。春日武彦の本を何冊か読んでいる。
春日武彦の本は数年前に『鬱屈精神科医、占いにすがる』を読んだのが最初である。タイトルが良いよね、キャッチーで…。今回の『自虐傾向と破滅願望 不幸になりたがる人たち』は信頼できる読み手が勧めていたので購入した。
作者は精神科医を生業としており、いわゆる変わった人に強い関心を持って新聞記事などをスクラップして集めている。作者本人もおそらく変人である。宗教にハマった挙句、極端な喜捨の精神に取り憑かれて動物園の熊の檻に飛び込んで食べられてしまったおばさんなど、”不幸になりたがる人たち”がこの本にはたくさん出てくる。
最近どこかの学者さんが、高齢化社会に対する解決策は高齢者の集団自決しかないというようなことを言っていたらしい。特に目新しい内容でもない。社会の役にに立たなくなった人間を殺す。それは非倫理的ではあるけれど、誰の頭にも思い浮かぶような安直な意見だと思う。それを口にしないのは、自分が役に立たない側になったらどうしようという不安が普通は少なからずあるからだ。
学者さんは頭がいいんだから、そういう想像力がないはずもない。あたかも不安や恐れがないように見せかけることで、不安を抱える普通の人間の支持を集めようという、そういう戦略なんだろうなと思っている。
彼は永遠に生きるつもりなんだろうか。永遠に生きるつもり、というのは極端な言い方だが、衰えや欠損が自分の身に生じた時、どんなふうに取り繕うつもりなんだろうと思う。そして、社会の役に立たない人を切り捨てる姿勢が、私とどこまでも相性が悪いなと感じる。私も春日武彦と同じく、社会の辺境にいるような人たちに強い興味を持っているからだ。
いわゆる社会の中央、社会の役に立てるような場所から離れてしまった人たちについて春日武彦はこう書く。彼の専門が精神科であるから、精神の領域の話になる。
これは精神の不調について書いたものだが、肉体についても私は同じだと思っている。社会的に明らかに欠損や衰弱を抱えている人たちというのは、いわゆる正常な人たちから遠く離れた存在ではない。誰の中にもある脆さが偶然露呈しただけなのだと私は捉えている。
私が今日の帰り道で脚をトラックに轢かれていたら、勤めている職場がパワハラ体質だったら、この人だと思って結婚した夫がDV野郎だったら、今の私はいない。今の私は偶然、いっぱしの社会人のような顔をして仕事をしているが、その仮面は脆い。小学生の頃、クラスのみんなが当たり前にできることがなぜか私だけできなかったから、いまだにその時の意識が抜けないのかもしれない。私の意識はいまだに辺境に近いところにいる。
同じく精神科医の中井久夫先生が言っていた。医者は自分の専門としている病気に不思議と罹患するものだと。私が辺境にいる人々に強い興味を持つのは、自分がかつてそこにいたし、いまだに意識はそこにいるからだと思う。とはいえ、現在の私は特に障害も感じることなく社会で平気な顔をして働いているわけで、私の辺境に対する興味は悪趣味な窃視症であるという誹りを免れないだろう。例の学者と私、どちらが最悪なのか分からないな。
引き続き質問を募集しています。回答不要の独り言もオーケー、いつもあなたのお便りをお待ちしております。
Big Love…