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内側と外側がある

今月入ってから既に2回風邪ひいてる。どうかしてるぜ…。

外来で幼い子を抱えたお母さんに”子どもが生まれてからしょっちゅう風邪をひくんです、免疫がおかしいんじゃないかと心配で…”みたいなことを言われるたびに”いや〜、子どもが生まれたら皆さんそんなもんですよ”と答えてきたが、自分自身が2週間で2回風邪をひくと不安になってくる。なるほど、みんなこんな気持ちだったのか…。

急に寒くなったせいもあるかもしれない。最近連日湯船に浸かるようになった。寝室には加湿器を導入した。すっかり冬ですね。

加湿器、かっこいい形のを選んでみたり空気清浄機を兼ねているものを使ったりと紆余曲折を経て、結局一番シンプルな象印のものに落ち着いた。要するに、給湯のできない湯沸かしポットである。これがないと喉が乾燥してすぐに痛くなる。全てのホテルにこれを置いてほしい。

相変わらず目まぐるしく忙しいのだけれど、おかげで一つ一つの小さな悩みをじっと見つめずに済んでいる。悩みがないわけではなく、次々に新しい悩みや不安が泡のように浮かんでは消えていくので、それぞれをためつすがめつする余裕がない。

他人と関わるたびに、”自分は本当にコミュニケーションが下手くそだなあ”と思う。凹む段階はとうに過ぎて、ただしみじみと”下手くそであることだなあ”と思うだけである。

たまに勇気を出して人の輪の中に入った後も、”あの時もっと愛想良くすればよかったなあ”と一人反省したりする。でも、人の輪の中に入らなければ何も起きないままで、失敗のない人生というのはそれはそれで寂しいということも知っている。だから、失敗するのを承知で勇気を出す。

SNSのせいなのか分からないが、失敗が可視化されやすい世の中である。不用意な発言は炎上する。誰もが正義という名の棍棒を手に持って、それを自由に振るえるようになった。正しさ、クリーンさが求められ、うまく立ち振る舞える人が善とされている。

それ自体、悪いことだとは思わない。ただ、正しくクリーンに見える人物にも、必ずうまく立ち振る舞えないシーンがあることは忘れちゃダメだよな、と思う。優しいあの人にも意地悪な気持ちはある。器用に見えるあの人は、コーヒーをこぼして服にシミを作っているかもしれない。綺麗な写真の外側はゴミだらけかもしれない。誰にでも外に見せられる部分と、内に秘めておきたい部分がある。

理想化されたコミュニケーションや生活の在り方が、まるで現実にそのまま存在するかのように誤解されがちな世の中だなと思う。だから、自分のやぶれかぶれのコミュニケーションや忙しく目まぐるしい生活も、そこまで悪くないはずだと信じている。画面の中にあるものは都合よく切り取られているだけで、本当は存在しない。幻影を追い求めるくらいなら、現実で勇気を出して恥をかくほうがよっぽど充実した人生を過ごせるはずだ。

最後におすすめののど飴を貼って今日の更新を終わります。

コンビニでも買えるのに、喉の痛みにマジで効きます。

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紺
Big Love…