ありもしないことが怖い
1日のスケジュールをジグソーパズルみたいになんとか正しい位置に置こうと画策し続けている。でも、ピースが多すぎるせいでなかなかうまくいかない。多忙である。
本当にピースが多いというより、私の不安が作り出したピースが多すぎるというのが正しい。常に焦燥感がある。ありもしない影に怯えている。多分それは、自分自身が作り出した影である。
猛烈な視野狭窄を自覚しながら、狭い視界からなかなか出ることができない。世界のほんの一部を眺めては、泣いたり騒いだりしている。ほんの一部でも、今の私にとっては全てである。
昨夜、眠る前にタイムラインを眺めていたら、相互フォローの方の訃報が流れてきた。私はほぼインターネットの外には出ないので、Twitterで10年以上の付き合いがあっても顔や声は知らないことが多いのだが、その人に関しては直接お会いしたことがあった。
明るい人で、その人がいるとなんとなくその場が華やいだ。そして、クイズが強かった。一度しかご一緒できなかったが、得意ジャンルが芸術や日本史、という印象があり、どちらも好きな私は勝手に親近感を覚えていた。
クイズを趣味にしている人は、増えたといえどそう多くない。特にわざわざ金を払ってまで早押しボタンを押したがる人は、クイズが趣味の人の中でもおそらくほんの一部だ。実力が似ているプレイヤーがお互いに都心近郊に住んでいると、クイズの場では何度も顔を合わせることになる。今年の春にお会いした時は彼女のほうが私よりも圧倒的に強かったので、また顔を合わせる時には良い勝負が出来ると良いなと勝手に思っていた。
でも、亡くなってしまったのだなあ。友達どころか知り合いとも呼べないような淡い関係だったけれど、クイズが強いという一点で私の中には彼女の印象が残っている。一度だけご一緒したとき、楽しかったです。それだけが確かで、他の感情はないのだけれど、やっぱり少し寂しいです。