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歳の味

仕事をしている時、医師の仮面を被って役割を演じているような自覚がある。親でいる時のほうが、生身の自分に近いなと思う。子どもがそばにいると、演じている余裕がないと言うのが正しいのかもしれない。

医師として働いている時にも、何度か仮面が剥がれたことがあった。全て患者さんの死に関わることだからここには詳細を書けないけれど、精神がギリギリのところを彷徨って、深夜の病棟で泣いたことを思い出す。先輩医師に"先生、泣かないでください"と淡々と慰められたのが懐かしい。

医師になりたての頃は"若くても医者は医者だぜ!信用してもらえるように頑張るぜ!"と息巻いていたが、そこそこ歳を重ねてから思うのは、卒業したての25歳くらいの若造に命を預けてくださった患者さんたちは偉大だったということである。25歳くらいの私が臨床的センスに大きく欠けていたとは思わないが、経験も、それによる人間的な深みも、あの頃の私にはまだなかった。

じゃあ、今のお前には深みがあるのかと問われると"あんまないかも"としか言えない。重ねた年齢の分だけ蓄積された肌の張りのなさなどが、医師としての迫力に多少は繋がってくれているとありがたいのですが。

25歳くらいの私に命を預けてくださった患者さんが、退院される時に手紙と手作りのコースターをくださった。そのコースターはいまだに食卓で現役である。私自身は大した進歩もなく歳を重ねている実感があるが、老いの出す味だけでなく、私に向けられた思いの分だけ、深みや味わいが加わっていると信じたい。

Big Love…