その絵に胸が震えた
『君たちはどう生きるか』を観てきたよ〜。めちゃくちゃネタバレするから嫌な人は読まないでね。
よろしいでしょうか。
事前に入れておいた情報が、
・鳥が出てくる
・開始後1時間くらいは(展開がめちゃくちゃで)不安になる
のみだった。そんなわけで、わくわくより不安要素の方が多い状態で観に行ったのだった。
封切りから数日経っているにも関わらず、まだパンフレットは売り出されていなかった。これについてのコメントは後に譲る。
上映時間が2時間半くらいと結構長いことは事前に把握していたので、極端につまらなかった時のためにデカめのポップコーンを買って入場した。つまらなかったらポリポリ食ってりゃ2時間半はなんとかなるだろ、の精神である。
が、開始5分でもう既に映画の世界にぐんぐん引き込まれていた。前情報の通り、最初の1時間くらいは胸踊る冒険活劇が展開されているわけではない。それでも、画面全体に塗された宮崎駿の意図、意図、意図の洪水で溺れそうになるのだ。
今回の主人公は少年である。序盤で私がまず打ちのめされたのは、少年にとっての世界というものはこんなにも冷たく見えるのかということだった。強く男らしい父親、世話をしてくれる年配の女性たち、美しい継母、疎開先の同年代の子供たち。少年は金持ちの一人息子で、明らかに恵まれている。それでも、少年にとって世界はよそよそしく、世界に拒絶されているように私の目にはうつった。
それとも、子どもにとっての世界というものはああいうものなのかもしれない。私が大人になったから忘れてしまっただけで。
私はジブリ作品では『千と千尋の神隠し』が一番好きである。誇張抜きで50回近く観ていると思う。
あれは千尋という無気力な女の子が自分を発見していく物語だ。自分にはどうせ何もできないし、今後の人生何も面白いことが起きそうにない、そういうしみったれた根性の女の子が、自分の中にある積極性や他人を思いやる心を見つけて成長していく。かなり分かりやすい筋立てで、映画史に残る大ヒットを記録した。
今回の『君たちはどう生きるか』の主人公である少年眞人(誤字だったらすみません、確か本に書かれた名前がこうだったと思う)は、序盤から既に人格が完成している。
初対面の継母を目の前にしてもハキハキ挨拶が出来るし、振る舞いは完全に大人のそれである。同級生に蹴倒された後、自ら頭の側面を石で打ち付けて流血し、父親を学校に怒鳴り込ませるだけの胆力もある(はっきりと描かれてはいないが、あれはそういう意図だと私は解釈した)。
戦争のせいで田舎に疎開してきても、ムカつく鳥をぶっ殺すために大人を買収して弓の作り方を教わったりして、ちっともいじけた様子がない。常に何かと戦っているみたいに口元が引き締まっていて、序盤の時点で"ああ、この子はもうどこにいようと自分のやりたいことを見つけられる子なんだ“と私は思った。なんて強い子なんだろう。
でもそれじゃあ物語にならない。物語は不完全を完全にするものだから。
眞人の成長は比較的序盤に起きる。異世界で出会った頼もしい女性であるキリコが、疎開先のいけ好かん婆さんと同一人物だと気づく瞬間だ。
子どもが大人になる瞬間とは何なのか。それは、"他人にも人生がある"と気づく瞬間だと思う。何かと自分の世話を焼いてくれて、楽しみといえばタバコを吸うことくらいの下世話な婆さんだと思っていたキリコに、眞人の知らない一面があった。凛々しく、頼りになり、自分の知らないことをこの人は知っている。そうか、ただのくだらない婆さんじゃなかったんだと眞人は気づいたはずだ。どんな人間にも背景があり、成し遂げてきたことがある。
このあたりから眞人は表情が豊かになる。生と死、神話や聖書を思わせるメタファーが散りばめられ、今までの宮崎駿作品へのオマージュが感じられる絵も多かった。
ここらへんで老いだの次世代への継承だの生まれて死ぬことだのに関していっちょ賢い感想を書いておきたかったのだが……
全部カラフルインコに持っていかれました。
あのカラフルインコ、すごくなかったですか?
死後の世界とか生まれる前の世界がああなら、私は即あの世界に行きたい。ちょっとコミカルな顔をしたカラフルインコたちが厨房で飯を作ってるシーンがあるんですが、可愛すぎて声が出そうになった。
あと、眞人の父親がインコに襲われて"眞人が……セキセイインコになっちまった…"って言うシーン、映画館で笑い声を堪えるのに苦労した。オウムとインコを間違える人すらいるのに、なんで鳥の種類に関してちょっと詳しいんだよ。"インコになっちまった…"でいいだろ。
話を元に戻します。
最初の方でも書いたけれど、ストーリーの整合性とか明確なオチという観点ではかなり意味不明な映画だと思う。でも、2時間半、私は全くスクリーンから目が離せなかった。私は2時間以上の映画は"長いな…"と思いがちなんだけれど、今回は全くそういうのがなかった。事前に買っておいたポップコーンの嵩を1cmも減らさずに劇場を出ることになった。
多分私は、宮崎駿の画面への意図の込め方が好きなんだと思う。今回の作品だと、黄泉の国(と思われる場所)で夏子や眞人に白い帯のようなものがまとわりつくシーンが印象的だった。夏子の表情は目まぐるしく変わる。急に目の前に現れた生意気な子どもに対する憎悪で鬼のような形相になり、継母であっても親としてこの子を守らねばならないという責任感で一瞬きりりとしたものが過ぎり、幼いものへの愛情で瞳が潤む。
帯は眞人にも夏子にも纏わりつく。ベタついて、剥がそうとすると痛そうな鬱陶しいあの帯は、母性とか、親と子の葛藤とかのメタファーだろうなと個人的には思ったが、そんな陳腐な解釈はどうでもよくて、それを画面上でああいう表現に持っていくのがすごい。こういう凄い絵を観るために私はジブリを観てるんだ、と思った。
パンフレットはいつ発売なんだろう。是非欲しい。劇場から出て、既に鑑賞済みの知人と連絡を取り、"あのかわいいキャラクターのぬいぐるみ、欲しいよね〜“とひとしきり盛り上がったのだが、知人が言っていたのはあの白いふわふわのことで、私が言っていたのはインコのことだった。
そんなアンジャッシュみたいなすれ違いがあるかよ。
感想は以上です。もう一回観に行くか迷うけれど、本当に事前情報をほぼ何も入れずに観に行ったがゆえのワクワク感がかなり大きな加点要素になっている気もする。ジブリくらいの規模と自信がないとこんな手法は取れなかっただろう。もしかすると、こんな経験は二度とできないかもしれない。是非前情報なしで観に行って欲しい。
最後にもう一つだけ。"例え炎に呑まれるとしても、あの世界に戻ってあなたを産むわ あなたはとてもいい子だから"という(うろ覚えの)あの台詞、親を早く亡くした子どもに対する肯定としてこれ以上のものはないだろうなと思って、ちょっと涙が出た。本来アニメ映画って子どものためにあるものだと私は思うから、爺さんになった宮崎駿が映画にああいう台詞を入れたこと、私は賞賛したい。死の匂いがぷんぷんする展開の中、あの台詞だけは生きることへの肯定で燦然と輝いていた。