天敵彼女 (65)
「みなさんお世話になりました(高音)」
気が付けば、早坂は車に乗り、俺達に手を振っていた。
父さんも、縁さんも感極まった表情で手を振り返している。またすぐに学校で会える俺ですら、何だかジーンとしてしまいそうだった。
それは、奏も同じようで、手を振りながら俺に身体を寄せてきた。
結局、どうして今回のプチ家出事件が起こったのか分からずじまいだった。
多分、早坂パパの娘愛が重過ぎて、早坂が我慢の限界を迎えたんだとは思うが、本当の所は良く分からない。
今日、佐伯に聞いてみたが、あいつも良く分からないと言っていた。
恐らく、奏は分かっているんだとは思うが、俺はわざわざ聞く気にはなれなかった。
「都陽、帰っちゃったね」
車が見えなくなってから奏が呟いた。
俺は、念の為に周囲を警戒しながら言った。
「まぁ、初めからいつまでもうちにいてもらう訳にはいかないんだけど、しばらく寂しくなるね」
「そうだね。あの子、同級生なんだけど、妹キャラっていうか、私妹欲しかったんだよね」
「ああ、そう言えば昔そんな事言ってたね」
そんな話をしながら、俺達は家に向かって歩き出した。
父さんと縁さんはもう中に入ったようだった。
俺は、ホームセキュリティーをセットすると、リビングに向かった。
「峻、奏ちゃんも、こっちに来なさい」
リビングドアを開けると、父さんが俺達を呼んだ。縁さんは、台所にいるようだ。
父さんは、ソファに座り、何やら書類のような物を四か所に置いていた。
俺は、父さんに訊ねた。
「どうしたの?」
父さんは、何故かドヤ顔だった。
「明日からの計画だよ」
俺は、まだ何のことだか、良く分からないままだったが、適当に話を合わせる事にした。
この感じの父さんは、喋りたくて仕方がないモードになっているので、放っておいても自分から説明してくれるだろう。
とりあえず、俺は話を合わせる事にした。
「明日から何かするんだよね?」
「ああ、この前話しただろう?」
「えっ? ああ、そうだね。どこ行くんだっけ?」
「本家だ。あそこなら村に知らない人が入ってくればすぐ分かるだろう?」
俺は、本格的に訳が分からなくなりそうだった。
本家に行くのはいいが、学校はどうするんだろう?
まさか、元実習生関係でまずい兆候があって、しばらく身を隠すという事なんだろうか?
とにかく、何をするのかだけでも確かめないと……俺は、様子見をやめた。
「本家に行くのはいいけど、学校はどうするの?」
俺がそう言った瞬間、父さんが何か残念なものを見るような目で俺を見た。
いつの間にか、テーブルの上の資料を読み始めていた奏も、何と言っていいのか分からないような顔をしている。
や・ら・か・し・た?……俺は、父さんの言葉を待った。
「どうして学校を休む必要があるんだ? 明日から、ゴールデンウィークじゃないか?」
ポカーンとする俺に、奏がスマホ画面を見せてくれた。
確かに、カレンダーに休日の赤が多い。この繫がり方は、間違いなく例のアレだ。
去年までの俺は、新学期が始まってからずっとアレを待ち望んでいた。
なのに、今年は父さん に指摘されるまで気付かなかった。
俺は、一体どうしてしまったんだろう?
何が俺をここまで呆けさせたのだろうか?
恐らく、今日の学校は、ゴールデンウィークの話で持ちきりだっただろう。
早坂や佐伯も、その手の話題を口にしていたはずだ。もしかしたら、奏も俺にゴー何とかの話をしたかもしれない。
多分、しただろう。いや、したに違いない。
でも、俺は何も覚えていない。一切合切聞き逃してしまっている。どうやら、俺のスルースキルは、変態レベルに達してしまったようだ。
頭を抱える俺の肩に、誰かがそっと手を置いた。
「峻君、もしかして奏と都陽ちゃんに挟まれて、両手に花状態で舞い上がってたりした?」
台所から戻って来た縁さんが意地悪に微笑んだ。コーヒーの香りと、甘い匂いがした。
「奏、気を付けた方が良いかもしれないわね。意外に、峻君の好みは都陽ちゃんみたいな子かもしれないわ」
ど、ど、ど、どうしてそんな事になるんだ?
ちょっと涙目になりかけた俺を、奏が無理矢理フォローしてくれた。
「何言ってるの? お母さん……そ、それだけ峻が一生懸命だったって事だよ。周りが見えなくなる程頑張らせたなんて……峻、何か負担かけてごめんね」
「いや、俺の方こそごめん……」
そう絞り出すのが精一杯だった。
奏の優しさが胸に刺さり、俺は引きつった笑み(のようなもの)を浮かべる事しかできなかった。
さっきまでの楽しげな雰囲気は、もうどこにもない。俺の至らなさが、折角の楽しい話し合いの場を白けさせてしまったようだ。
奏はそれでも何とかしようとしてくれたが、しばらくすると早坂のご両親が持って来てくれたお菓子の話題に逃げ始めた。
縁さんは、努めて明るく受け答えをし、場を繋いでくれたが、俺のメンタルが回復するには余りに時間が足りなかった。
気が付けば、部屋の中を気まずい沈黙が包んでいた。
さっきまで俺をイジっていた縁さんは、無言でコーヒーとお菓子をテーブルに置き、奏はただ微笑んでいた。
俺は、父さんにすがるような視線を向けた。いつだって穏やかで、人畜無害を絵にかいたような父さんなら、良い着地点を見つけてくれる気がした。
父さんは、しばらく考えると、俺の目を見ながら言った。
「それどころじゃなかったとしても、ゴールデンウィークを忘れるとは……峻、人の話はちゃんと聞こうな」
「分かったよ、父さん……」
俺は、遠い目をして縁さんが用意してくれたコーヒーをすすった。