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天敵彼女 (64)
翌朝、いつものように階段を降りると、玄関に段ボール箱が置かれていた。
この荷物は、早坂のものだ。
早坂とは、今日まで一緒に学校に行き、夕方にはご両親が迎えに来る。
別に名残惜しい訳ではないが、俺はここ最近の出来事を思い出し、その場に立ち尽くした。
本当に大変だった。
業務用スーパーに通いたくなるレベルでどんどん消費されていく食材。鍋を持つ手が痺れる程の重量感。
それが一食で消費されるなんて、悪夢としか思えなかった。
早坂の信じられない食欲に、ただただ翻弄され続けた日々だったが、それももうすぐ終わる。
俺は、思わずため息をついた。
今日の朝食当番は、確か奏だ。もうここまで良い匂いがしている。
俺は、ハッとした。こんな事をしている場合ではない。
思わず、歩き出そうとした俺に、誰かが声をかけた。
「あっ、おはようございます(高音)」
「おはよう……えっ?」
振り返ると、四角いものが宙に浮いていた。その謎の物体は、ゆらゆらと揺れながら、ゆっくりこちらに向かって来た。
俺は、思わず二度見した。さっきの声は、間違いなく早坂だ。
一瞬、何なのか分からなかったが、目の前に漂うそれは段ボールのようだ。
どうやってここまで来たのか分からないが、視界を塞がれた状態で荷物を運ぶ早坂に、俺は声をかけた。
「待って! 俺が持つから!」
「えっ? いいんですか?」
俺は、素早く早坂のもとに駆け寄り、荷物を受け取った。
「ありがとうございます(高音)」
「いいよ。あの箱の横に置くけどいい?」
「あっ、重ねちゃっていいですよ。並べると邪魔なんで(高音)」
「分かった。他にはもうない?」
「今ので最後です。ありがとうございました(高音)」
俺と早坂は、玄関に荷物を置くと、一緒にリビングに向かった。
「おはよう」
「おはよう。良いにおーい(高音)」
「あっ、おはよう。もうすぐ出来るから待ってて」
奏の声がキッチンからした。何か手伝うつもりで奏に声をかけると、大丈夫との事だった。
確かに、既に洗い物も済んでおり、後はみんなが揃うのを待つだけになっていた。
エプロンを外す奏。手持ち無沙汰にしている早坂に、卓上ピッチャーを渡した。若干、危なっかしいのは相変わらずだが、うちの間取りにも慣れたのか迷いのない足取りだった。
俺は、早坂を見送りながら奏に声をかけた。
「早坂、今日帰るんだよね?」
「うん……」
奏が少し寂しそうに微笑んだ。俺は、待ちきれない様子でダイニングテーブルに座る早坂を見つめ、ふと呟いた。
「早坂って、面白い子だよね。ちょっと寂しくなるね」
「そうだね」
「父さんも何だか本当の娘みたいって言ってたよ」
「うちもそうだよ。お母さん、都陽の事猫かわいがりっていうか、とにかくすごいんだよ」
「ふーん」
そうこうしている内に、縁さんも父さんもテーブルについた。二人とも、早坂にいつでも遊びに来なさいと何度も言っていた。
結局、そんな感じで最後の朝食も終わり、俺達は家を出た。玄関の鍵をかけていると、早坂が声をかけてきた。
「何か名残惜しいです(高音)」
「いつでも来なよ。みんな待ってるから」
「はい(高音)」
その日も、俺は奏と早坂の後ろを歩いた。こうやって一緒に登校するのも、しばらくないんだろうなぁと思っていると、後ろから鬱陶しい声がした。
「おっはよー」
俺は、佐伯を一瞥するとそのまま歩き出した。
「何だよぉ、シカトかよぉ」
安定のウザさでまとわりついてくる佐伯。気が付けば、早坂がうちに来てからも、毎朝顔を合わせている。
面倒くさい奴だが、こいつなりに早坂を心配してるんだろうと思った。
俺は、佐伯が早坂と奏に挨拶を終えるのを待って話しかけた。
「何だか、悪いな。待ってくれてたんだろう?」
「えっ? う、うん、まぁね」
「また早坂の事よろしくな」
「うん……分かった」
俺達は、いつものように歩いた。何もかも元通りかどうかは分からないが、多分大丈夫だと思った。
ふと奏と目が合った。俺は、周囲を確認してから、奏に微笑みかけた。