天敵彼女 (68)
本家に着いた。目の前には、そこそこ立派な古民家が見える。
父さんは、いつもの場所に車を停めると、大きなため息をついた。もう何度も来ているとはいえ、田舎道でのドライブは、思いの外ストレスフルなんだろう。
ここは、山の上の一軒家だ。一般道路から細い農道に入り、未舗装の急坂を上り切った場所にある。当然、ガードレールなどないし、場所によっては車輪がはみ出しそうになったりもする。
俺は、ここに来る度に嫌な汗をかく羽目になるが、幸い奏はこの手のスリルには強いようだ。
坂道でエンジンがあり得ない程うなりを上げても、うちの車が通った後に小石が崖を転がり落ちて行っても、全く平気だった。
いつもながら奏の肝の据わり方には驚かされる。俺は、若干心拍数が上がっていたが、いかにも平気な風を装った。
そう言えば、この家に来るようになって、真っ先に整備したのは駐車スペースだった。
俺も父さんも口には出さなかったが、デスドライブで削られたメンタルをいち早く回復する、平らな地面が欲しかったんだろう。
俺達は、裏庭に当たるこの場所をやたらと念入りに整地した。トンボで土を寄せてならし、タンパーで踏み固めた。さらに、雑草が生えないよう防草シートで地面を覆い、その上に砂利を敷き詰めてある。
さっきから、こういう場所に目がない奏が、今にも車を飛び出しそうだが、駐車場で一息ついた俺は冷汗も止まり、頭の中がクリアになり始めていた。
俺は、父さんと目配せしてから奏に訊ねた。
「ちょっと待っててもらっていい?」
「ど、どうして?」
奏は、この世の終わりが来たような落胆ぶりだった。もう心は、古民家なんだろう。
しかし、田舎には田舎の危険がある。
俺は、奏をなだめるように言った。
「一応、ここ空き家でしょ? 勝手に知らない人や動物が住みついてたりする可能性があるから、俺と父さんで入口が壊されてないかとか、窓ガラスが割られてないかとか、一応チェックしてから中に入ろうと思うんだ。だから、ちょっと待ってて欲しい。中の安全確認も含めて十分位だと思うから」
「そっかぁ……じゃあ、待ってるね」
奏は、何とか納得してくれたようで、車の中から手を振ってくれた。
ここは田舎だ。街中とは違い、マムシも出ればムカデも出る。いつの間にか生垣にハチの巣が出来ていたなんてこともある。
最悪、家の中に入ると刃物を持った不審者とバッタリ、なんて可能性も捨てきれない(さすがに、そんな第一村人発見は勘弁して欲しいが……)。
一応、俺も父さんも、縁さんから奏を預かっている以上、危険からはなるべく遠ざけたい。
それからしばらく建物の周囲をチェックし、俺と父さんは家の中に入った。
幸い、多少の埃っぽさはあるものの、空き家特有の嫌な臭いはしなかった。危険な動物や不審者が、知らない間に住みついている形跡もない。
俺と父さんは、最後に全ての部屋をざっとチェックし、奏を迎えに行く事にした。
「お待たせ」
ドアを開けると、奏は眠っていた。
俺は、起こすべきかそっとしておくべきか決めかねていた。父さんもどうしていいのか分からない様子で固まっている。
もしかしたら、奏は昨夜よく眠れなかったのかもしれない。よく遠足の前日に楽しみ過ぎてなる、あの症状だ。
俺は、しばらく父さんと一緒に奏の様子を見守っていたが、余りにすやすやと眠っているので、起こすのが申し訳なくなってしまった。
まず父さんが足音を立てないようにゆっくりと後ずさり、俺は出来るだけそっと車のドアを閉めた。
「う、うーん……」
奏が目を開けた。しばらく虚ろな視線を彷徨わせていたが、何かの音に気付き身体を起こした。
「ちょっと待って!」
奏がひどく慌てた様子でドアに手をかけたが、既にロックがかかっていた為、ガチャガチャと音がするだけだった。
俺は、奏に動かないよう身振り手振りで伝え、父さんに目配せした。
次の瞬間、父さんがズボンのポケットから車のキーを取り出し、俺に見せつけるようにボタンを押した。
これは、キーレスエントリーというらしく、一々車のキーをシリンダーに差し込まなくても、離れた位置から操作できる便利機能らしい。
正直、俺にとってはそんなに珍しいものとは思えないのだが、父さんは何故かいつもドヤ顔になる。
そう言えば、この車がうちに来た時、父さんがやたらとキーレスでエントリーしたがって大変だったなぁと思いながら、俺はドアを開けた。
「ごめんね。よく眠ってたから……昨日眠れなかったの?」
奏は、頬を赤らめ、照れくさそうに呟いた。
「ちょっと、色々ネットで調べてたら止まらなくなって……」
「眠いなら家の中に布団あるよ」
「大丈夫! 目の前に古民家があるんだもん。寝ていられないよ」
「そんなに古民家好きなの?」
「うんっ!」
「じゃあ、行こうか?」
「行こうっ! すごく楽しみ。家の中色々見せてね」
奏は、上機嫌で俺の裾をつかんだ。多分、二度と置いて行かれないようにする為だと思う。
俺は、奏が降りたのを確認すると、車のドアを閉めた。
それから、さっきみたいに鍵をかけてもらおうと父さんを探したが、既に家の中に入ってしまったようだった。
俺は、仕方なく運転席側に回った。その間も、俺の裾をつかむ奏の手が放れる事はなかった。
いつもしっかりしている奏が、時折見せる子供っぽさ……俺は、なるべく奏の歩幅に合わせゆっくりと歩いた。