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天敵彼女 (25)

 翌日も俺は学校に行った。ロングホームルームがあるのは毎週木曜日。今日は金曜日なのだから、祝日でもない限り学校に行く事になる。

 奏は既に前の学校に通うことはないらしく、うちに転校してくるのを待つだけになっているようだ。

 一応、二世帯住宅の体で生活し始めたはずだが、何だかんだで食事は一緒に取る感じになっていた。

「ここは俺がやっておくので大丈夫ですよ」

「じゃあ、それはお願いね。じゃあ、こっちはやっとくから」

「すみません」

「奏もお願いね」

「うん」

 うちのキッチンは三人で料理をするのには若干手狭だが、長年利用していなかった奏の家よりはましという事で、当面共同で使うことになった。

 八木崎のおばさんも働いているので、朝は一緒に料理をして、夜は俺と奏がメインで作る感じになりそうだ。

 別に、家事全般が嫌いではなかったが、やっぱり人手が増えると違う。

 俺は、大幅に家事負担が軽減されるのを感じていた。

「おばさんや奏がいてくれると本当に助かります」

「そう?」

「ええ、父さんも嬉しそうですし」

 父さんがはにかんだ感じで微笑んでいた。

 部屋着姿の奏と、スーツ姿の八木崎のおばさん。おばさんはまだエプロンをしていた。

「お母さん、そろそろ時間じゃない?」

「そういえばそうね。後頼める?」

「いいよ。行ってらっしゃい」

 そんな母娘の会話を聞いていると、突然うちのチャイムが鳴った。

 俺は、すぐに立ち上がった。ふと見ると、インターホンの画面に見知らぬ女性が映し出されていた。

「はい、どちら様ですか?」

「朝早くに申し訳ございません。私、八木崎の秘書の向家と申します。八木崎は在宅でしょうか?」

 俺は、思わず八木崎のおばさんを二度見した。

「すぐに出ますって伝えてくれる?」

「は、はい、分かりました」

 何故か丁寧語になる俺。おばさんに言われた通りの事を秘書さんに伝えた。

 それからおばさんはすぐに支度をしてうちの玄関を出た。おばさんの家は広い道路に面していない為、うちから出る方が便利なのだそうだ。

「じゃあ、行ってきます」

 運転手がドアを開けて待っている中、見るからに高級そうな車に乗り込むおばさん。さっきの秘書さんは助手席に座った。

 いきなり圧倒された感じだったが、俺は気を取り直し家に戻った。

 気が付けば、朝食の片づけを奏がやってくれていた。俺は何か手伝おうとしたが、奏は一人で大丈夫だと言った。

 それから、父さんはいつも通りに家を出て、俺も遅刻ギリギリに登校した。

 佐伯が何だかんだと俺をいじってきたが、他のクラスメイト達は普段通りだった。

 集団欠席騒動もすっかり落ち着き、俺の靴箱に謎の矢文が突き刺さっているような事もなかった。

 ようやく俺の日常も平穏を取り戻したと思い始めたのも束の間、ちょっとだけ俺の心をざわつかせる出来事が起こった。

 それは、鬱陶しい佐伯を振り払って校門を出てすぐの事だった。

 うちに見知らぬ車が停まっていた。

 家に入ると玄関に見知らぬ靴が並んでいた。男物一つと女物一つ。もう一つは子供用じゃないかと思えるほど小さかった。

 俺なりにプロファイリングした所、小さい子がいる夫婦じゃないかという結論に達した。

 でも、そんな家族が遊びにくるなんてあり得ないんだが等と考えていたら、リビングから話し声がした。

「あっ、おかえり」

 廊下に出てきた奏。その後ろに小さな女の子がいた。

「は、はじめまして。奏ちゃんとはずっと仲良くさせてもらってます。早坂都陽でしゅ」

 まず甲高い声が耳をつんざき、次に余りにも幼すぎる容姿に目が釘付けになった。俺は間違いなくいつも以上に硬い表情を浮かべていたと思う。

 女の子が奏の後ろに隠れた。かろうじて顔を出しているが、俺を見る目がうるうるしている。

 まずい。このままじゃ泣かせてしまう。これ以上、こんな小さな子を怖がらせるのは良くない。

 挨拶、挨拶だ。俺は材料を探した。

 まず、この子は何て言っただろう? さっき名乗ってたはずだ。

 確かフルネーム……だが、苗字は忘れた。名前は、多分都陽だ。

 俺は、都陽という子が「都陽でしゅ」と噛んだのを不意に思い出した。

 俺は、思わず「ブフッ」と吹き出した。

 都陽という子がビクッと体を揺らした。ごめんと言いかけた俺を避けるように、小さな影が奏の後ろに隠れた。

 この時、俺は自分も名乗った方が良い事を思い出した。初めましての一言でも添えようと思ったが、都陽と言う子は奏シェルターから出ようとはしな
かった。

 余程、俺の「ブフッ」が良くなかったのだろう。折角勇気を出してくれたのに悪いことをしてしまった。

 俺は、何とも言えないむず痒さを感じていた。こんな気持ちはいつ以来だろう?

 そういえば、こういう反応をする子が昔近所にいた記憶がある。俺より五つ年下で、小学校の時に引っ越していってしまった近所の女の子だ。

 あの子も、すぐお母さんの後ろに隠れてしまう子だった。

 さすがに「園児」と比べるのは失礼かもしれないが、他に比較対象がない程の人見知り具合に、俺は内心戸惑っていた。

 この子は奏の何なんだ?

 ずっと仲良くさせてもらっている?

 まさか、そんなの有り得ない。

 懐いている近所のお姉ちゃんじゃ駄目なのか?

 俺は、一瞬見えた都陽という子の服装を思い浮かべた。

 制服だった。それも奏が前いた女子校の制服だ。

 もしかして、この子高校生なのか? この見た目でどうやって義務教育パスしたんだろう?

 俺は、心底不正を疑った。

 華奢な奏の後ろにすっぽり納まってしまう子が高校生? こんな絶妙なフォルムをした子が、JKなんて世の中どうかしている。

 この子がもうすぐ成人を迎えてしまうなんて世も末だ。何かの間違いだとしか思えない。

 俺は、何がなんだか分からないまま呆然と立ち尽くした。

 顔立ちはすごく整っていたと思うが、余りに幼過ぎる。あの見た目を齢十五を過ぎてキープできるヒューマンがこの世に存在するなんて信じられな
い。

 俺は、完全に混乱していた。

 さっきから、奏の後ろに隠れている子をどう理解すればいいのか、全く分からなかった。

 重苦しい沈黙が続き、思わず奏に目で助けを求めた。何かを察したのか、奏は都陽という子を連れて一度リビングに戻った。しばらくすると二人の大
人が追加で姿を見せた。

 都陽という子だけでも一杯一杯だった俺は、内心動揺していたが、無表情フィルターをかけて何とかやり過ごそうとした。

「おじさま、おばさま、こちらが叶野峻君です。私の幼馴染で、今度転校する学校でも一緒になる予定です。峻、こちらは都陽のご両親です。今日は、
転校手続きの後、どうしても挨拶がしたいって来てくれたのよ」

 奏が見知らぬ大人に俺を紹介した。

 俺は、声が裏返らない事だけを考えていた。すぐに話し始めると失敗しそうだったので、とりあえず一呼吸置くことにした。

 その間に周囲を確認。都陽という子は、相変わらず奏の後ろに隠れていた。父親は、すらりと背が高く、母親は小柄だった。

 二人の平均を取れば、都陽という子は奇跡を起こさずに済んだだろうに。

 俺は、俺なりに二人に微笑みかけた。

「初めまして、叶野です。よろしくお願いします」

「初めまして、都陽の父です。この度は、大変ご迷惑をおかけしました」

「都陽の母です。奏ちゃんにはいつもお世話になっています。叶野君、これからよろしくね」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 玄関で、都陽という子と、そのご両親と挨拶をした。たったそれだけの事で、どうしてこんなに疲れるんだと思った。

 それでも、俺は見知らぬ見た目幼女の両親と当たり障りのない会話をした。さすがに黙っているのは失礼だと思ったからだ。

 そんな俺の気持ちが通じたのか、比較的スムーズに「後はごゆっくり」的な流れに持っていくことが出来た。

 奏の友人家族がリビングに戻った後、俺は思わずため息をついた。

「峻、大丈夫?」

「う、うん……」

「とりあえず、着替えてきなよ。いきなりで驚いたでしょう?」

「そ、そうだね。そうするよ」

 俺は、奏に促されとりあえず制服を着替えることにした。

 正直、人見知りには辛いシチュエーションだが、奏の関係者のようなので、それなりに対応しないといけない。

 俺は、まだ混乱したまま自分の部屋に向かった。

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