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天敵彼女 (71)

 父さんを見送ると、奏と俺は庭を散策した。

 相変わらず奏は色々質問してきた。俺は、知っている範囲で、この家の事を奏に説明した。

「わぁ、ここって何? 小さな小屋? って感じだけど」

「ああ、ここはね……」

 俺は、奏が興味津々だったので、井戸小屋の中を見せてあげる事にした。 一見すると、大きめの犬小屋のようだが、これでも俺と父さんの自信作だ。

 この中に、井戸用のポンプが入っている。残念ながら、俺と父さんの技術レベルでは、単なる囲い以上のものは難しいが、それでも一応雨風はしのげている。

 俺は、上開きになっている扉なのか屋根なのか分からないものを開けた。

 一応、中に刺したり噛んだりする系の困ったちゃんが潜んでいるかもしれないので、一人でポンプ小屋の内部を確認した。

 幸い、ポンプ小屋の中に危険生物の類はいなかったので、俺はいつの間にか装着していたペットグローブを外した。

 あんなに格好悪くて嫌だったものを、安全の為にシレっと着けてしまうのには自分でも驚いた。

 やはり、俺は父さんの子供なんだろう。

 出来れば、この件はそっとしておいて欲しかったが、奏の目をごまかすのは無理だったようだ。

「それつけるんだね」

 気が付けば、奏が井戸以上に興味津々になっていた。

 俺は、何とか被害を最小限にしようとしたが、そもそも奏相手にうまくいくはずがなかった。

「う、うん……父さんが折角用意してくれたものだしね」

「そっかぁ……良い親子だね」

「ま、まあね」

 この時点で、俺の顔は気温とは関係のない理由で赤くなっていたと思う。

 当然、表情の乏しい俺の変化を、奏はまるっとお見通しだ。益々、楽し気な表情になり、俺は防戦一方になった。

「おじさまが帰ってきたら、峻が自分からグローブ着けてたって教えてあげなくちゃ」

「や、やめて」

「でも、折角だし」

「いや、それはちょっと……」

「どうしたの? 顔が赤いよ?」

「暑いからね」

「そう? 珍しいね。峻、暑いの平気なタイプだよね」

 たすけて……俺は、奏の猛ラッシュに「恥ずか死」寸前だった。何とか話を逸らさないと、メンタルが持たない。

 俺は、奏に父さんのこだわりが詰まった空間の説明を始めた。

「そんな事より、井戸小屋の説明するよ! まず、ここにあるのがポンプで、その手前についているのが砂こし器だね。ここで、井戸水に含まれている砂を取り除く感じだね。次に、ポンプの向こうにあるのが浄水器。これは、活性炭が使われていて、飲み水以外はここを通った水をそのまま使うんだよ。ここに来た時、父さんが台所以外の水は飲んじゃ駄目って言ってたでしょう? 活性炭だけじゃ、細菌とか取り切れないみたいで、飲むと体に良くない場合があるって父さんが……何か質問ある?」

 俺は、何とか奏の興味が井戸に向かってくれている事を心の底から願った。

 まだ、弄り成分強めの視線を感じるが、俺が懇願の眼差しを向けると、奏はようやく井戸関連の質問をしてくれた。

「井戸水って砂が混じってるの?」

 それからは、比較的スムーズだった気がする。奏は、普通の施設見学モードになってくれたと思う。

 これで、父さんに余計な事を言う気が失せてくれればいいんだが……俺は、奏の気を逸らすため、全力の説明を続けた。

「うちはそうでもないけど、やっぱり多少砂が混ざる事もあるらしいから……」

 既に、俺の説明はこの時点で怪しかったが、何とか最後までやり通そうともがいた。

 いつもなら後で父さんに詳しくしてもらうのだが、奏の余計な口を封じたい今だけは得策じゃない。

 俺は、奏を台所に案内した。

 台所の水道には、父さんご自慢の逆浸透膜浄水器がついている。このフィルターを通すと、ピロリ菌などの有害な細菌も除去できるらしい。

「これすごいね。浄水器なの?」

「うん、逆浸透圧……じゃなかった、逆浸透膜浄水器っていうんだって。すごく性能がいいらしいけど、フィルターが細かいせいで、一度に浄水できる量に限りがあるらしくて、その為にあるのがこの備蓄タンクらしい」

「ふーん……そうなんだ」

「うちの井戸からは出てないみたいだけど、仮に井戸水の中に有害な細菌が繁殖しても、この浄水器で除去できるらしいよ。父さんによれば……」

「いつもの?」

「うん、そう。でも、これがあると安心は安心みたいだよ」

「そうだね。何だかんだ言って、私達もおじさまには助けられてるから……」

「そう言ってもらえると嬉しいよ(遠い目)」

 一瞬、しんみりした雰囲気になったが、俺は説明を再開した。

「でも、ここ空き家でしょ? 今回みたいに、一か月くらい来られない事もあるから、父さんが知り合いの業者に頼んでタイマーをつけてもらったんだよ。これで一日十分設定した時間に水が流れるようになっててね」

「へぇ、すごいね。おじさまらしいね」

「うん、いつものあれだよ」

 俺は、若干言葉を濁したが、奏には意味が通じている。父さんは、何事も徹底して対策したがる性格だ。

 通常、井戸水の水質にそこまで気を配る人は珍しいが、万が一に備えて高価な浄水器を取り付け、そのメンテナンス用にタイマーまで設置してしまう。

 確かに、便利だし、安心なんだが、何だかなぁと思う部分がない訳ではない。

 どうして普通に井戸水美味しいねで済ませられないのか?

 たまに遊びに行く先で、若干身体に悪いかもしれないものを口にする程度のリスク位、許容できないものなのか?

 そもそもここの水が危ないのなら、うちの水道水なんて飲めたものじゃなくなるのだが、うちには浄水器はついていない。

 たまの危険は許せなくて、日常に潜むリスクは無視するのでは本末転倒ではないだろうか?

 考え始めるときりがないが、多分父さんは自分の為に過剰な安全対策をしている訳ではない。

 あくまでも、俺やここを利用する人達が安心して水を飲めるように頑張っているのだ。

 そういう思いやり的なものを、毒母はきっと最後まで理解できなかったんだと思う。

 ああいう恋愛脳の持ち主には、危険はスパイス的な部分があるように思えるからだ。

 そう考えると、父さんと毒母には相反する部分が多い。お互い良く結婚する気になったものだと今でも思う事がある。

 結局、あの二人はくっつくべきではない者同士でくっつき、別れるべくして別れたのだと思う。

 そんな事を考えていると、奏が俺の顔を覗き込んでいた。

「ねぇ、これって結局飲んでいいのかな?」

 俺は、今日ここに来てからの事を思い出した。

 まず、父さんが通水を一人でやっていたが、俺は全くタッチしていない。

 俺基準では、特に問題は感じないが、父さんなりの「準備」が終わっているかどうかは不明だ。

 現に、ここに来てから俺達が口にしたのは、コンビニで買ってきた飲み物だけだ。

 俺は、無言で父さんにメールした。

 それは、台所の井戸水を飲んでいいか確認するものだった。そう言えば、弁当を買いに行くと言って結構時間が経っている。

 俺は、何やってんだと思いながら、父さんからの返事を待った。

「ちょっと待ってね。一応、責任者に確認してるから」

「あっ、お願い」

 しばらくすると、父さんから返信が来た。「飲んでも大丈夫。弁当はもうしばらくかかる」との事だった。

 俺は、素早くコップを洗った。二人で飲んだ台所の井戸水は、どことなく味気ない感じがした。

「冷たくておいしいね」

「でも、素っ気ないでしょ? ミネラル分まで浄水しちゃってるからね」

 俺達は、水を飲み干すと、どちらからともなくコップを洗った。縁側に戻ると、春の風が心地よかった。

「おじさま、もう少しかかりそうなの?」

「うん、ごめんね。お腹空いたよね?」

「それは、大丈夫……それよりね。ちょっと話しようか?」

「うん、いいけど何?」

「折角時間があるんだし、普段できないような話だよ」

 特に、深刻な感じはしなかったが、簡単に済ませていいとも思えなかった。

 誰が来るわけではないが、何となく落ち着かない感じがした俺は、奏と一緒に縁側から移動した。

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