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天敵彼女 (46)
「ちょっとこれ……行ってくるね」
若干片言になってしまった。何か返事があった気はするが、良く聞こえなかった。
俺は、素早く湯呑みを片付けトレーに乗せた。ソファーから立ち上がった時、また何か聞こえた気がした。
「ごめんね。ちょっと待ってて」
そう言い残すと、俺はリビングに背を向けた。ちょっと一人になりたかった。
幸い、奏はキッチンまで追ってこなかった。こういう時に放っておいてくれるあたりがさすがだと思った。
俺は、トレーを置き、蛇口をひねった。まだ頭の中がうまくまとまらない感じだったが、とりあえずお湯を沸かすことにした。
一応、中身を確認してからケトルに水を足した。それから、換気扇のスイッチを入れ、コンロに火を付けた。
さっきは日本茶にしたが、次は紅茶にしようと思った。
俺は、カップボードからティーカップを取り出した。
まだ、さっきの湯呑みはトレーの上にある。俺は、とりあえず洗い物を済ませることにした。
それからしばらくボーっとして、俺はこれからどうしたものかと考えた。
まだ、胸がざわついていた。ドキドキもしている。
俺は、奏の偽恋人計画に乗る事にしたものの、何かすっきりしないものを感じていた。
正直、奏とこれ以上距離が縮まり続けると、どこかで事故が起こる気がする。俺の自制心がどこまで持つのか分からないからだ。
このままでは、俺と奏は手に手を取って天敵サイドに堕ちてしまうかもしれない。
それはまるで、俺が奏を毒母に作り変えてしまうようなものだ。
命題Xに翻弄され、人格を弄られ、考えられないような行動をとるようになった奏と俺は、一体どちらに向かっていくんだろう?
今はそんな事は考えられないが、天敵サイドの俺は、いかにもなビッチに言い寄られ、鼻の下を伸ばすようになるかもしれない。
天敵サイドの奏も、スポ薦のようなチャラい男に魅力を感じるようになるかもしれない。
天敵サイドは修羅の国だ。俺も奏も、気が付けば恋人も家庭も顧みず、次の異性を探し求めるだけの人でなしになっているかもしれない。
そうなると、俺達は男女の共存問題だけでなく、天敵サイドからの誘惑にもさらされ続けるようになる。
考えたくはない。考えたくはないが、いつか、俺が奏の父親のようになるかもしれない。
奏も毒母のようになり、家族を邪険にし始めるかもしれない。
もうあんな思いをする子供を見たくない。その為にも、俺達は天敵サイドに堕ちる訳にはいかない。
俺は、あの時奏や縁さんのお陰で、暗い部屋から出ることが出来た。止まりかけていた時計の針が動き出し、今日まで生きることが出来た。
気が付けば、俺は高校生になり、これからそう遠くない将来、社会に出ていくことになる。
もう俺は、一人で生きていける。
命題Xに頼ってまで、誰かとつながりたいとは思わない。
だから、これは俺にとって奏にしてやれる最後の事になる。奏が俺にしてくれたように、俺も奏の未来を閉ざそうとするものから奏を守らなければならない。
でも、その為に俺が奏と変な事になってしまったら?
そんな事を考えていると、後ろから奏の声がした。
「お湯、沸いてるよ」
「えっ?」
俺は、目の前のケトルから蒸気が噴き出しているのを見て、慌てて火を止めた。
やっぱりキッチンで考え事をするもんじゃないと思った。
「大丈夫? 火傷とかしてない?」
奏が俺を心配そうに見ていた。もう必要以上に距離を詰めてくることはなかった。
「大丈夫。紅茶でいい?」
「うん、ありがとう」
奏はいつもの奏に戻っているようだった。
俺は、ティーバッグを用意し、ケトルを持ち上げた。
次の瞬間、注ぎ口から飛沫が飛び散った。
空焚きはしていないようだが、これでは危なくて注げない。
何だかなぁと思った。
今日は、色々あった。少し落ち着かないと……俺は、慌ててケトルに水を足した。