天敵彼女 (72)
「どこ行くの?」
「実は、まだ案内してない、いい部屋があるんだよ」
「どんな部屋?」
「行ってみたら分かるよ。でも、古民家的な意味では微妙かもしれない。それはあらかじめ謝っておくよ」
「ふーん……」
俺は、奏を連れてフローリングの部屋に向かった。
そこは、元々畳の部屋だったようだが、おばあちゃんが生活しやすいようにと、父さんが床を張り替え、ベッドやソファを置けるようにした。
それからおばあちゃんは、そこで寝起きをしていたようだが、今ではベッドは撤去され、ただの応接間になっている。
「じゃあ、ここ座って」
俺は、奏にソファを勧めた。奏は、古民家の中にこんな部屋がある事に驚いているようだ。
「ここどうしたの?」
「大学生だった父さんがおばあちゃんの為にリフォームしたみたい。畳の部屋だと立ったり座ったりが大変だったみたいでね」
「おじさまが? すごいね。建築関係の勉強してたの?」
「してない。でも、祖父の手伝いで、アパートの修繕とかはしてたみたい。そんなに大したものではないけど、うちに賃貸用の持ち物件がいくつかあって、その管理をしないといけなかったから……業者に頼むと高くつくしね」
「そうなんだ……」
「まぁ、大したことではないよ。サラリーマンが片手間にしている程度の事だから……あっ、ちょっと待ってて。お茶入れてくるから……」
「うん……」
それから、俺は台所に行き、飲み物を用意した。
奏が何の話をするつもりなのか分からないが、とにかく聞いてみる事にした。
俺は、フローリングの部屋に戻ると、奏の向かい側に座った。
「待たせてごめんね」
「いいよ……じゃあ、少し話をするから聞いて欲しいの」
「わかった」
俺は、とにかく聞き役に徹する事にした。普段出来ない話というのが若干気になったが、いつまでも中途半端な状態ではいけない気がした。
「私が峻に聞いて欲しいのは、私の事……私達、今までこういう話はしてこなかったでしょ?」
「う、うん……」
「もしかしたら、嫌な気持ちになるかもしれないけど、出来れば聞いて欲しいの。無理に峻の話はしなくていいから……」
「分かった」
俺は、まっすぐ奏の目を見た。多分、こんな感じで向き合うのは初めてだ。俺達は、今まで極力相手の家庭の事情には踏み込まないようにしてきた。
毒母は、縁さんにとって夫の浮気相手にあたり、縁さんの元夫は父さんにとって妻の浮気相手にあたる。
その複雑な関係性は、当然子供である俺達にも暗い影を落とす。奏と俺は、本来関わってはいけなかったのだと思う。
あの時、毒母が出ていき、父さんもいなくなった。俺には、頼れる大人は一人もいなかった。
多分、あのままだと俺はどこかの施設に預けられる事になっていたと思う。唯一の親戚であるおばあちゃんも、当時体調を崩し、とても子供の面倒をみられる状態ではなかったからだ。
そんな惨状をみかねた縁さんが、最もあり得ない選択をしてくれたお陰で、今の俺がある。
「……何だか緊張しちゃう」
「大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ……実はね」
「うん……」
俺は、もう一度奏の目を見た。奏は、大きく息を吐くと、懐かしむようにあの頃を語り始めた。