見出し画像

新婦からの手紙

 先日、知り合いの結婚式に参列した。幼いときに親戚のお兄さんの結婚式に行って以来、2度目の結婚式である。綺麗な会場、幸せそうな新郎新婦、祝福している参列者、幸せな空間であった。結婚式っていいなと思った。
 結婚式では、新婦が両親に感謝の手紙を読むのが通例である。私がもし両親に感謝の手紙を読むとしたら一体どのようになるのだろうと想像してみたが、両親に対して、親としての義務を果たしてくれたところしか感謝すべきところが見つからなかった。
 純粋に毒親育ち?と言われる方は結婚式にどのような手紙を読んでいるのでしょうか?私は毒親育ちではなく、両親のことは嫌いではありませんが、参考程度に聞かせていただければと思います。


父親について

 父親は、今では立派な陰謀論者となってしまいました。昔から愛国心が強く、日本史が大好きでよく日本史や政治経済の話をしてくれていました。自分の知識をひけらかすのが好きで、妹たちは父親の話を真面目に聞かなかったので、比較的興味を持って聞く私はそれなりに可愛がられたと思います。
 中国や韓国のことが嫌いで、「苗字が線対称の人間は在日だ」「朝日新聞は売国奴」などと生活に役立つ無駄知識をよく教えてくれました。コロナウイルスが流行るのは、ワクチンを打った人間が体内に病原体を持って色んなところに移動してるせいだそうです。文系である父が、パスツールがどのようにして人類から狂犬病の脅威を遠ざけたのかを無視して謎理論を展開しているのは無知なのか開き直りなのかよく分かりません。
 父は、子どもたちに絶対に大学に行くようにと教育してきました。バブル時代の申し子であるにもかかわらず、バブルが弾けて以降の日本の情勢を敏感にキャッチし、学歴の重要性を我々に教えてくれました。私は大卒が人間の義務だと思って生きてきたので、世の中には意外と大卒は少ないのだと実家を出たあとに知りました。
 絶対に大学に行けという割に「うちにはお金が無い」「県外の旧帝大より下の大学や私立に行かせる金は無い」と貧困アピールをし、進学で奨学金を借りることを義務としているところはどうなのかな?と思いました。自身が奨学金を借りたから子どもも奨学金を借りるのが当たり前だと思っているみたいですが、実家生で授業料が安くてなおかつ片親家庭で学費免除されている、消費税もなく物価も安いバブル時代の大学生の苦労と今の没落した日本経済での苦学生の苦労を一緒にされても……と思います。私は、このような苦労をイマジナリーガキには絶対にさせたくないと思います。お父さんを反面教師とし、将来のイマジナリーガキが絶対に奨学金を借りずに大学に行けるように、少なくともガキの奨学金を肩代わりしようと思っています。貴重な経験をありがとうございました。
 そんなら県外に行かなければいいじゃん、自宅から通えばいいじゃんという有難いお言葉をありがとうございます。仰ることはごもっともです。私が、センター試験本番で85%取ったにも関わらず地元の偏差値50切るくらいの地方駅弁に出願したのであれば、余裕で受かったし実家から通えて親のスネを齧った暮らしが出来たでしょう。しかし、後述の理由で私は絶対に家を出たかったのです。

母親について

 母親はルッキズムの塊で、自分の機嫌をとるのが苦手でした。対向車のドライバーの顔を見て「今の人ブスやったな」と平然と言ってきます。私も身長が女性の平均、体重が50kgを超えたことがないのに顔がパンパン、太ももがパンパン、脚太いなど散々な言い様をされました。実際ブスでその上ガイジなので、私より顔が整っている妹たちの方が可愛がられていたと思います。母親のルッキズムのおかげで幼少期に歯の矯正をしてもらえたことや、小さい頃からワキガの匂いケアをしてもらえたことはとても感謝しています。
 母自身はパッチリ平行二重で目頭もパッカーンの顔整いなので、化粧をあまりしないタイプでした。ファンデーションは塗れど、普段アイメイクは1ミリもしていませんでした。それゆえ、私が見た目を気にして高校生のとき化粧品を揃え始めると「色気づいてる」とからかわれたことを覚えています。また、自身が体毛ほぼないからと言って、脚毛や腕毛を剃っていたら「剃ると更に濃くなるからやめろ」と謎理論で止めてきたこと、今でも覚えています。そのため、鬼の居ぬ間に洗濯ならぬ母親の居ぬ間に剃毛をしていました。
 子どもたちが絨毯や机に少しでも飲み物を零すと大声出して明らかにイライラし始めるところがとても苦手でした。拭けば済むものをなぜ人を殺したかのごとく責められなければいけなかったのでしょうか。私が大学進学で家を出てから飼い始めた猫たちの方がゲボや粗相などよっぽど汚いものを撒き散らしているのに、そちらには優しく対応している辺りがなんとも言えない気分になります。
 また、私は片付けが苦手で物をどこにでも置いて放置して結果的に散らかるのですが、母はとても綺麗好きで毎日掃除機をかけて床に物を置くのを嫌うタイプだったので、よく怒られました。一人暮らしのときも「部屋汚いんやろ?掃除しにいってあげる」と過保護を発揮してきてそれがとても嫌でした。夕方まで寝ていると怒られたこともあります。病気だからと言い訳するつもりはありませんが、母はだらしない人間のことが嫌いなので合わないなと思っていました。私がそのときだらしなかったのか、精神が終わってたのかは今となってはよく分かりませんが……
 印象深いのは、幼少期に私が母の閉めるクローゼットに指を挟んだときです。そのとき、母方の祖母宅に行く予定があったので、母は泣きわめく私に保冷剤を渡し「指冷やしときな」と言って車に乗せられました。その後病院に連れていかれることも無く、指は青く腫れて爪が取れました。爪が取れると1週間くらいかけて新しい爪が生えてきました。あのときは流石に、私は親に嫌われてんのかな?って思いました。まあ、言語発達遅いキモイガキだったしな……

家庭について

 父と母は気が付いたら仲がとても悪くなっていました。母は機嫌を表に出すタイプなので、父親に話しかけられると明らかにダルそうな声色で返事をし、一つ一つの所作もデカい音を立てて不機嫌アピールするようになります。父親が私たち子どもになにか会話を振ると母親は舌打ちやクソデカため息をします。私たちはそれに気付いているので、父親には申し訳ないがちょっと塩目に対応することになります。最近は父親が陰謀論に染まって"YouTubeで見て氣づいてしまった真実"を目をガンギマらせながら話題に出してくることが多いので罪悪感はなくなりました。母も「反ワク思想気持ち悪い、自分だけならいいが人に押し付けるな」と言い始め、それには完全同意しています。余談ですが、我が家は父親にコロワク打ったことがバレるとダルいから内緒でワクチンを打ったらしいです。
 父と母はお互いのLINEを交換していないため、今でも連絡手段はメールです。夫婦間で会話がなく情報共有がされないので、帰省時には2回「いつ帰ってくるの?」に返事をする必要があります。それがとてもダルいです。仲が悪いのと裕福では無い(と私が勝手に思い込んでいる)ので家族旅行、家族で外食などは一切ありません。昔は車で日帰り旅行をすることがありましたが、父が強引に連れて行っており、母はいつも萎えた感じであまり楽しんでなさそうでした。
 また、我が家は二世帯住宅で父方の祖母と半同居なのですが、母は祖母のことが嫌いなので祖母が家に来る度にあからさまに機嫌が悪くなります。そのため、私は祖母と話すことすら抑圧される気分になります。祖母のことは普通に好きです。何も知らない子どもの頃は祖母の部屋に泊まりに行っていたし、そこそこ懐いていたのに、今では話すことすら気を遣う感じがして億劫です。祖母の家は汚くて、物が多くて、壁に落書きをしても怒られないところが好きでした。そういうところが母と合わないんだと思います。

家庭内の私

 私は高校卒業まで家にいました。私自身子どもの頃から頭がおかしくガイジだったため、奇行をしていた自覚はあるのですが、それが本当に頭のせいだったのか環境のせいなのか分かりません。上記の通り家庭内は両親が揃うと常にギスギスしていたので、気を遣っていたり別の部屋に逃げたりネットに逃げたりしていました。どうでもいいけど、当時SNSで本名を晒すなと言われていた時代に、親に禁止されていたTwitterのアカウント(痛い腐女子アカウント)が親バレしブチキレられたのが黒歴史です。結局あの後もこっそりTwitterをし今では立派なツイ廃になりました。ブルースカイになんか浮気はしません。
 父と母とは単体で相手にすると比較的楽しく喋れます。一緒にランチに行くこともあります。とは言ってもいちばん大切なところには踏み入れさせませんでした。いつも表面上の話をして、高校の教師が急死して目を真っ赤に泣き腫らした日もその悲しみを全く悟らせませんでした。母に「うちの子たちは自分の話をしてくれない、もっと友達みたいになんでも話してほしい」という悩みを最近打ち明けられましたが、今まで態度や恐怖で抑圧しておいて、そこまでに足る信頼度がないだけではと感じました。
 また、私は長女だったので常にいい子であろうと頑張っていました。親に心配と金をかけさせないように勉学に励みました。母はあまり勉強が得意ではなく、私がやることなすこと全部にすごーい!頭いい!と褒めそやしてくれました。私が文学部に行きたいと言ったときも、普通の家庭であれば「就職はどうするんだ?」というところを「なんか賢そう!」という理由で賛成してくれました。
 しかしながら、私が前期出願を関東の某国立大学にしたいと言った時は「遠いからイヤ!」という理由で泣いて反対されました。そのとき父親は、旧帝大以上だからという冷静な目線で賛成してくれて、色々あり出願できたので、そこだけは父親に感謝しています。
 この出来事から、受験落ちてごめんねという気持ちもありますが、私が受験に落ちることで母親が喜ぶからいいやという甘えがあったことも確かです。どっちに転んでも私は絶対に非難されることはないな、と正直思っていました。
 母は日々のパートの給料の中から大学在学期間中ずっと私に毎月仕送りをしてくれました。この仕送りと奨学金を足せば、物欲が全くなければバイトなしで生きていけるくらいの額でした。親に教科書代を貰うのが忍びなくて、できるだけ教科書がいらない授業を取っていました。大学在学中に留学に行きたいなんて一言も言いませんでした。うちは貧乏だと思い込んでいたので、親に金をせびることが嫌で、親に頭を下げてまでする価値のある経験を一切せずに大学を4年できちんと卒業してしまいました。残ったのは奨学金の返済だけです。
 最近、私や妹が扶養を外れたのと親の出世により一番下の妹の給付型奨学金が通らなかったと聞いて、もしかしてうちって意外と余裕あるんかな?と思いました。戸建てで猫を2匹飼い、人数分の車を買い、積立NISAをし、真ん中の妹は実家から私大に進み借りてる奨学金がどこにあるのか知らないと抜かすし、親のスネを齧りまくって生きています。一番下の妹も私大実家生です。国立大学に一人暮らしで授業料免除を受けながら4年間通う金と、私立大学に実家から4年間通う金って、どっちが高いんでしょうか。私って遠慮しすぎたのかな?

その他特記事項・私が実家を出て改善された症状一覧

  • 爪を噛む・毟ることによる深爪、指先の皮膚をハサミで切る行為(指先の皮膚は切っていると段々硬くなってきて切り甲斐が出る。ギターを弾いてる人間の指先ってこういう感じなのかなって思った)

  • 若白髪(少なくなってきた)

  • 氷食症(妹が貧血で倒れたことから、我が家の食事は鉄分が不足しているのかもしれない)

  • 生理痛(自分で病院に行けるようになったため)

  • ガイジ(自分で病院に行けるようになったため)

  • 実家に対する苦手意識(記憶が薄れて美化されて、実家に帰って「あーこういうところが嫌だったんだよな」と思い出す)

実際、本当にいいところは無かったの?

 私がわざと嫌なところだけを論っているように見えたらすみません。しかし、結婚式に読む両親への感謝の手紙とは抽象的でなければいけないと思います。受験のとき応援してくれてありがとうとか、私を大学に行かせてくれてありがとうとか、限定的であってはいけないのです。
 求められているのは「父と母の大きな愛で私はすくすく育ちました」的な文章です。その意味で言うと、私は「父と母のギスギスとした空気のなか胃を痛めながらも決して折れない、強くたくましい子に育ちました。」としか言えない。父母を反面教師にして幸せな家庭を築きたいと思いますとしか言えない。私は愛に溢れた家庭出身ではないため、お嫁さんになりたい♡はやく結婚したい♡などという意識が皆無である。
 もし私が結婚式を挙げることになったら、父母の期待する「感動的な結婚式」は挙げられないと思うので、それは妹たちにお願いしたい。てか、妹たちが両親に何を感謝するのか気になるからどうか私より先に結婚してくれますよーに!万が一私が、新婦からの手紙を読まなければいけないときがきたら、それをパクろうと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?