浮遊

これを書き始めている今、外は夕暮れ時だ。
柔らかい陽の光が辺りを包んでいる。
暖かいような冷たいような風が吹いている。

先ほど家から出て気づいたのだが、イヤフォンが少し壊れかけているようだ。帰ってきたら直せるか試してみよう。
左耳から音楽と一緒に外の音が聞こえる。
水の中に沈んでいる時のような音だ。
全てが曖昧な中で靴音だけが現実味を帯びて響いている。
宇宙空間もこんな風に音を感じるんだろうか?

いつものように音楽を聴いていて、ふと悲しい気持ちになる。
懐かしい心地がしたが、それは私の記憶ではない。
私たちは言葉だとかを使って思い出を共有していて、本来そこにはない、自分とは関係のない悲しみまで感じている。
私は知らない誰かの思い出の懐かしさが好きだ。

いつか住んでいた街では隣家が沈丁花を植えていて、その香りで春が来るのだと感じた。
いま住んでいる街では沈丁花の香りがしない。
だからいつの間にか突然春がやってきて、私は驚く。

一つ前の春、私はこうやって文章を残したりするようになった。
私はそれまではダーガーのように自宅の中でひっそりと夢の国を築いていれば満足する人間だった。
しかしそれを窓の外から見えるように置いてみたら楽しいのかもしれないと思い始めて、こうやってひっそりと文章を認めている。
これは私の記憶であり、記録であり、それと同時に手紙だ。
ボトルメールを海に送る人たちはこういう気持ちで瓶を投げていたのかもしれない。

とりとめのない思考が記憶と結びつく。
私はそれをそのまま書いている。
冷たいアイスコーヒーが目の前に置いてあり、煙草の匂いがする。
そろそろ家の冷凍庫で氷を作る季節かもしれない。

静かなプールに浮いて、水の音と塩素の匂いに包まれたい気分だ。