現実主義者になりたかったわけではない
あなたの思考回路はどのように働きますか?
ちょっと夢見がちな人生か、それとも夢を見るよりも現実を見てしまう人生か。私は断然後者の人生を送っている。そのおかげか人生における大きな失敗はしたことがない。だが、全部うまくいくわけでも、納得できているわけでもない。どちらの考え方が良いのかなんてわからないし、非現実主義者で夢見がちな人生を送っている人の事もわからないが私目線の現実主義者について書いてみようと思う。
夢が見たかった
現実主義者だからと言って夢が見たくないわけではなく、むしろ人は誰もが夢を描いて生きたがっていると思う。でもそれが出来ないのがつまり現実主義者。これはただの憶測に過ぎないが、過去に挫折をしたか何かに期待することができなくなってしまうような出来事があった人がなりやすいと考えている。小さい頃は誰しもが大きな夢を抱いていたはず。だが、歳を重ね、経験を重ねていく中で徐々に気づき始めてしまう。そう、自分には出来ないということを。物理的になにかしらのワザやテクニックが「出来ない」となるのではなく、何かの本能で察してしまうときが来る。これを私の武器にするのは不可能、才能がないのだと察する。その時のなんとも言えぬ劣等感。絶望にもたどり着けない。なんせ、まだその道の終盤にも達していないのだから。どうせなら最後までやって、どうしても出来なくて絶望がしたかった。だが、途中で才能がないと察しながら最後まで目指すような時間の使い方を私は出来なかった。だってそれは意味のない事だから。説明をしにくいが、頑張ればどうにかなるものではないのである。そのことはきっと本人にしか分からない。
私は3歳から19歳までクラシックバレエを習っていた。舞台に立つのが大好きだった。だから自分には無理だと気付いてからは悔しくて悔しくて仕方がなかった。なにも考えずにただ舞台に立つことを楽しんでいる人を心の底から羨ましく思った。中学生の時点で私は表に立つ人になる事を諦めていた。本当は違うジャンルの踊りや芝居方面を始めれば才能が開花されたかもしれない、だが今から始めるのは遅いと考えてしまい、可能性のあったかもしれない道さえ潰してしまう。それが現実主義者の悪い点だと言える。それでも舞台が好きだった私は舞台芸術ができる大学に裏方の勉強をする為に入った。そこではありとあらゆる人からなんで舞台に立つ方を辞めてしまったの?と悪気もなく聞かれる。きっとみんなただの興味なのであろう。さらにはそんなに年数をやってきてもったいないと言ってくる人もいる。
「もったいないって言ったって、このまま好きな事だけをやり続けて私はその道で成功させることができるの?あなたにはその保証ができるの?」
なんて、言い返すことなんかできずに終わる。この道は自分で決めた事だし全く後悔なんてした事もないがこの話題になるとキラキラした表に向かっている人が純粋に羨ましくて、それが出来ない自分が悔しくて涙が出そうになるのを必死に我慢する事しかできない。
夢見がちなあなたへ
なかなかうまくいかなかったりして現実主義者に憧れている人がいるかもしれない、でも夢を見ることが上手な人はそのままでいいと思う。夢を見続けないと大きな夢はもちろん掴めない。私はそういう人達の行動力と純粋さに心から憧れている。時には鈍感さが必要なときがあるのだ。夢を見続けるという才能を生かしてあげてほしい。そういう人がいるからこの世界には娯楽が溢れているのだと私は思う。
現実主義との向き合い方
話は現実主義者に戻るが、自分にはできないと気付いてしまったからと言って絶望する意味はない。現実主義は、うまく付き合っていけばかなり良い方向に進んでいくはずなのである。先程は最後までやって絶望がしてみたかったと書いたが、逆に考えれば早く才能の無さに気づけたことはその分他の人よりも他の道を試す時間ができてラッキーなのである。きっといろんな知識をつけるための回り道ができる。そうやって前向きに人生を楽しんでいきたい。現実だって悪くない、そう思える日が訪れる。私は今、この生き方も楽しいと自信を持って言える。
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