私は何を売っているんだろう。
不定期にやっているセルフ蚤の市(フリマ)。
認知度もだんだん定着してきた。入手元も色々多様化しつつあり、
引取の際も元持ち主の人生観が垣間見えて面白い。
Someone's unwanted items can still make someone else HAPPY
「誰かの不用品もまだ他の誰かをHAPPYにしうる」
最近特にそんな状況を目にするようになってきた。
行き場を失ったガラクタたちもまだまだ捨て(られ)たもんじゃないよね
骨董ほどのお宝はない。昭和の家ならどこにでもあったような親しみやすいもの。旅先のお土産や冠婚葬祭の贈答品、家で法事するときの揃いの器…。よく断捨離する子の不用品、親が趣味で描いた練習用の絵なども。
ちょっとした日帰り行楽地でもあるので、「どちらからお見えです?」と話しかけると共通点があったり、好みが合ったりとか、会話すると大体何か買ってくれるし、購入した時の満足感が伝わるのがうれしい。
お気に入りだったのに壊れてしまっていたものと偶然同じものを見つけて、
急に鮮明に昔の思い出が蘇る方もいて、そんなものに出会う確率なんて、
日時×場所×お客さんが売場を巡る×私の陳列とタイミング
次第なので、巡り合わせとかご縁と思うしかないですねー、と話すことも。
そんな出来事を体験してこのお出かけが愉しい記憶になっていくのがいい。
それで思ったのが見出しのこと。処分費の節約をきっかけに、不要品を運んで売って人件費も運搬費も賄えない程度の小銭を頂くのだけど、結果喜んで連れて帰ってくれる人のもとへ手渡っている。時には海も越える。
それを見届けるのが愉しくなっていく。そんな現象。
これっていったい何屋さんなんだろう。