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花屋のはなし

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店舗のない花屋はみんぐばーどのヒストリーなど、気持ちやつぶやき
運営しているクリエイター

#静岡

history 01

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静岡に来たのは2019年です。
当時は3年〜5年で転勤という話で
宮城に帰ったら店を再開するつもりでした。

正直、東北から基本的に出た事のない私は静岡がカルチャーショックの連続でした。
帰ろう、3年耐えれば何とかなるとそう思っていました。

初めての育児と病児育児もあり疲弊した状態で住むところ、環境が変わるのは本当に不安でした。

親、親戚、友達もいない
知らない人、知らない土地

引っ越してき

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history02

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コロナ禍は進みどんどん人に会えない生活に限界を感じ
ここは
「耐える生活」
から
「楽しむ生活」
に切り替えようと思いました!

宮城と静岡は700キロ離れています。
気候もハワイみたい感じがする
このヤシの木と湿度

うん!観光しよう!

もう辛すぎて遊んでないとやってけない笑
と考え方を変えました。

考え方を変えてみると
静岡は美味しいものが沢山、楽しいところが沢山あり
あれ?いつの間にか満

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history03

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こんな感じで静岡に来て次男を産んでからも
基本的にあまり人と接せずにきた私は
自分が商売人という事を忘れていました。

育児の息抜きで
少しずつアクセサリー作りをしたり、食べ歩きをしていると

不思議なことに
リスペクトしている静岡の花の生産者さんや今お世話になっている素敵なお店のオーナーさま達に出会いました。

素敵な出会いやタイミングがどんどん重なってやって来ました!

それまで私以外だと泣い

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プロフィール

プロフィール

宮城県出身
2019年に静岡へ

宮城では20代前半から家業の
花屋を継いでいました。

曽祖父、祖母、母と仙台で花の仕事に携わっており
花屋家系に育ち
周りはみんな花業界の人しかいないことから
花屋はやりたくなかったです。
高校卒業後、家族や周りのの反対を押し切り
動物看護師の専門学校を卒業し動物病院で働きましたが精神的に限界を感じ辞めました。

花屋家系で育ってはいますが
ニートでど素人の私を

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お花レスキュープロジェクトで宮城の地元の子に言われたこと

お花レスキュープロジェクトで宮城の地元の子に言われたこと

レスキュープロジェクトの話で投稿見て
収入も上がっていったらいいね
とメッセージいただき

レスキュープロジェクトは農家さんに利益を還元するのが目的で
私の収入の為にやってるんじゃないよ
地域貢献ってか花業界の社会貢献事業になればいいと思う
って言ったら

旦那さんの稼ぎが良いからできるんだね!!!
と御言葉をいただいたので
吹いた

そもそも地域貢献や社会貢献に興味あたんだーって言われたんだけど

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