12月1日発売『悪夢』の序文を掲載します
ナチス政権下の狂気の社会を描く短編集『悪夢』
今回はその冒頭に収録されている、著者セシル・スコット・フォレスターによる「序」を全文掲載いたします。
10編の短編に触れるためのゲートとして、ご一読ください。
序
本書は実際に起きた出来事を語っているわけではないが、最後の一編を除けば、どれも簡単に起こりえたであろうことばかりである。ナチス政権崩壊後に世に現われた幾千もの記録――ニュルンベルク裁判やベルゼン裁判の宣誓証言、事実に即した史学、釈明がましい回顧録、実際の文書などから物語の題材を集めたが、そのほとんどが信じがたいほどにシニシズムや恐怖に満ちていた。グライヴィッツのラジオ局のそばで発見された「犯罪者たち」の死体に関するナウヨックスの宣誓供述書や、ナッツヴァイラー強制収容所のハートイェンシュタインの有罪を示す証言、ベルゼン裁判でのクラーマーに対する証言も存在する。おわかりのように、本書にはこれらの資料から着想を得ているものがある。だが、こういった資料は簡単に手が届くものではなく読み物として多少退屈でもあるため、野放しになった権力というものがどれほどの事態を招くのかを普通の読者が知るのは難しいだろう。
ナチス政権下の十二年間、ドイツでは日頃から極めて合法的に、法にのっとって犯罪が行なわれていた。これに匹敵するようなことは、ローマ帝国の最も堕落した時代にすらなかっただろう。新たな支配階級による常軌を逸したピラミッドが誕生し、疑惑で穴だらけになりながらもそれを血で塗り固め、結局は軍事的失敗により衰退した。ロシアでの戦闘にドイツがあとほんの数回勝利していたら、イギリス国民の決意が一瞬でも揺らいでいたら、かの政権は今日まで存在していたかもしれない。四半世紀余り前、ひとりの男の言葉によって、人々が十万人単位で死んでいったのだ。完全に正気を失ったひとりの男の言葉によって。当時起こったのと同じことが、独裁的な集団が権力を掌握している他の国々で今まさに起きている。過去の教訓を現在の政治に活かさないのならば、歴史を学ぶ意味はない。政治の基盤となるのは、過去の教訓のみなのだ。
【一瀬さおり・訳】