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音楽にヘンなものが無くなったのか?

若者と音楽の話になり、「昔の音楽はさ」みたいな話をおっさんがしていまいました。

「ヘンなものが無くなったように思う」と、口から出た名前が「たま」。それはたまたま出た名前だったのですが、他にはフォーク・クルセイダーズや筋肉少女帯、J.Aシーザー、(ああ、もう忘れてしまったなあ)

当時は表現の自由が受入れられ、そういったものを評価できる社会だった(紅白に出たり)のかなと思い出していました。しかし近年は様々なものの評価が画一化されているように感じます。

web社会が定番化したこの5年くらい、社会風刺の表現を見る機会がめっきり減りました。これが芸術文化衰退のバロメーターのようなもの。

私は芸術文化は社会の根源的な意味において必要不可欠なものと考えていて、芸術の砂漠化は水を止められた田んぼのような死の世界なのです。

たとえば対人コミュニケーションは現代社会に必要なスキルですが、芸術文化は全く別のコミュニケーションがあったりします。あまり理解されない社会常識を逸脱した有り様が存在したり、それは継続を前提としない、自然的な関係の成立ということなのかもしれません。

社会で生きること=様々なことに適応する。という側面がありますが、本能や欲望、感性は必ずしも適応できるとは限りませんよね。

それらの表現またはそこから得られるインスピレーション、感覚が社会に還元されていくことで、私達はより多様で豊かな社会をつくり出すことができるのはないでしょうか。

しかし、それらは深層の部分になり、表層の光が当たるところには何ら影響しあっていないように見えてしまうもの。格差や不景気の行き着く先は、光の当たらない部分の減少になります。

なので、光の当たらない有象無象(なんだかジブリっぽくなってきた)があることで生かされているという自覚を持ち続けたいと思うのです。

そしてそれは自分自身が相当に芸術への欲求不満を溜めこんでいることの表れなのでしょう。

ああ、表現に触れたい!

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